[245] 2001年03月24日(土)
「お好み」
職場の営業課B氏は、我輩に「Nikon F3リミテッド」を安く売ってくれた人である(買い叩いたとも言えるが)。
そのB氏のお好みは、何でもかんでも「立派なもの」。
「立派」という言葉には色々な意味があろうが、B氏の場合、それは即ち「デカくて頑丈なもの」ということを意味する。
B氏の家に行くと、誰もが驚く。
デカい通勤カバンがあり、デカいシステム手帳があり、デカいオーディオアンプがあり、デカいGateway製タワー型パソコンがあり、デカいテレビがあり、デカい車(パジェロ)があり、そしてデカいNikon F4とデカい大口径ズームレンズがある。
我輩はB氏に訊いたことがある。
「なんでそんなにデカいのばかり買うんですか? もっと小さくて良いモノがあるのに。」
するとB氏は照れくさそうに言うのだ。
「いや〜、やっぱりデカいと、買った気がするよね。」
もちろんB氏は少数派には違いない。しかし、軽量・コンパクトなものが必ずしも喜ばれるわけではないということをあらためて知らされたという意味では興味深かった。
そう言われれば、我輩のお好みも一般的なものとは違っている場合があるのに気付く。
カメラの場合、我輩はシャッター音は大きくなければならないと思っている。モータードライブのハデな音は、我輩にとっては一種の効果音であり、撮影時の手応えを感ずる部分だ。
人間を撮る場合ならば、隠し撮りでもない限り相手にもその音が十分聞こえなければ撮影の支障となる。
街頭スナップであっても、「私は今、あなたの写真を撮りましたよ」というサインとなる。相手が音に気付いてこちらを見ても、その時点では撮影が終了しているから、自然な表情に変わりは無い。もし相手からクレームが無ければ、撮影を了解してもらったと判断出来る。
一時期、「Canon EOS100」という静音化技術のカメラが現れ始めたことがあったが、あの時は「将来的に全てのカメラがあのようになるのか?!」と非常に危機感を持ったものだった。
それから、カメラは軽いほうがいいという考え方にも違和感を覚える。もちろん、携帯する道具であるカメラは、重いと撮影者にとっては体力的負担となる。他の荷物のことも考えるならば、なるべくカメラは軽いほうが助かるだろう。同じ働きをする道具ならば、軽い方が良いと考えるのは当然。
しかし、今はプラスチックの多用により、異常に軽いカメラが存在する。カメラというのは、質量が大きいほどシャッターブレが少ない。もちろん、シャッターメカニズムの違いで振動の強弱が変わるだろうが、一般的には慣性の法則によりカメラの質量が大きい方がシャッターブレには有利なのだ。
ちなみにシャッターブレは手ブレとは違い、三脚を使っても発生を抑えるのは難しい。カメラ本体が鐘のように振動するのだから、中途半端なスローシャッターを切るよりも、長めのスローシャッターにしたほうが、かえって振動の影響を逃れることが出来る。
「たかがシャッターブレ」と侮るなかれ。確かにシャッターブレは手ブレよりも振動が小さい。だが、手ブレはカメラを持つ手が揺れるだけであるが、シャッターブレというのはカメラが内部から振動するから厄介だ。フィルム面で起こるちょっとした振動は、画質に重大な影響を及ぼす。あの小さなフィルムサイズから写真を拡大することを思えば、フィルム面上のコンマ数ミリの振動ですら許されないと解るだろう。
以上が我輩のカメラに対する「お好み」である。
まあ、B氏のように、デカいカメラは困りものだが、それでも人間の手が操作するのであるから、必要以上に小型化されるのもまた困る。少なくともオリンパスのポリシーのように、「カメラ本体は小型化しても、操作部材は十分に扱いやすい大きさにする」というものが欲しい。
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