[228] 2001年02月14日(水)
「マジック・ショー」
我輩は去年末に別府へ旅行した。
宿泊先の「杉乃井ホテル」では、大ホールで「演歌ショー」と「マジック・ショー」をやっていた。
我輩は、マジックショーをあまりナマで見たことが無い。わざわざ出掛けて見に行くものでもないという意識があったのだが、実際にその場で見るとなかなか楽しい。
ところで、マジックというのは必ず仕掛けがある。
「タネも仕掛けもございません」というのはマジックの常套句だが、見ている者は皆、仕掛けがあることを知っている。ただ、その仕掛けが見破れない。
仮に仕掛けを知ったとしても、それをシロウトが真似するのは至難のワザ。余程の鍛錬を積んで初めてマジシャンになれる。
スゴイのはマジックの仕掛けなどではない。マジシャンの鍛錬された手の動きなのだ。もし、誰もが1日でマジシャンになれるのであれば、マジックなど何の驚きも無い。
見えないところで確実に動くその手。マジックの極意とは、手で物を見ることにあると我輩は読む。
一般的に、男の脳は女の脳よりも大きい。その理由は、単純に身体のサイズの違いによるとされる。
動物を見ても、やはり身体の大きい動物は脳も大きいという傾向がある。
世間では「脳=知能」という考えがあるかも知れないが、動物が身体を動かしたり、感覚器官から刺激を受けたりするのも脳の重要な働きであることを忘れてはならない。
人間の場合、手がとても器用に動く。
細かい作業を実現させるため、脳は多くの脳細胞を「手」に割り振っている。そして鍛錬を積むことにより、脳細胞どうしの神経ネットワークはさらに複雑化し、手の鋭敏な知覚と高度な制御を可能にするのだ。
冒頭のマジシャンの例は、鍛錬による人間の可能性を示している。
現代の液晶表示カメラは、マイクロ・プロセッサがカメラ全体の制御を行っている。
つまり、人間がそのカメラを使おうとすれば、そのマイクロ・プロセッサに働きかける必要がある。どんなことをしたいのかをマイクロ・プロセッサに伝え、それをマイクロ・プロセッサが理解した後、そこからあらためてシャッターや絞り、フォーカスなどの制御が行われる。
液晶表示カメラ。正確で操作ミスが無いかわりに、全ての操作がカメラのマイクロ・プロセッサの検閲を受ける。
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手動式カメラ。ダイレクトに各部を操作出来るが、操作ミスによる間違いも起こり得る。
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マイクロ・プロセッサは機械の制御が人間よりも得意である。何も知らない人間がモード選択によって「風景を撮りたい」とマイクロ・プロセッサに伝えるだけで、それに適した絞りとシャッタースピードを自動的に選んでくれる。実に楽チンだ。しかも、操作は正確でミスが無い。
だが、人間の意志がなかなか伝えられないこともある。
単純な誤解もあれば、マイクロ・プロセッサに理解させるには撮影者のイメージが複雑すぎる場合もある。そんな時は、撮影者が自分の手の延長としてカメラを操作することが一番手っ取り早い。
いちいち、マイクロ・プロセッサを介することなく、絞りやシャッター、フォーカスなどに直接働きかけ、まるで自分の手のように操るのだ。
もちろん、これには鍛錬が必要となる。時には間違った操作により失敗することもあろう。
しかしマジシャンが1日でマジシャンになれないのと同様に、カメラも思い通りに手動操作するのは鍛錬が必要だ。それが出来るようになった時、カメラは確実に撮影者の手となる。
カメラを通して被写体を知覚する実感は、人間の器用な手でなければ難しい。眼は見ることしか出来ぬが、手は見ることと働きかけることを同時に行える。
人間の手は、まだまだ可能性があり、鍛錬する価値があるのだ。
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