2000/04/05
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表紙

1.主旨と説明
2.用語集
3.基本操作法
4.我輩所有機
5.カメラ雑文
6.写真置き場
7.テーマ別写真
8.リンク
9.掲示板
10.アンケート
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12.カタログ Nikon
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カメラ雑文

[224] 2001年02月07日(水)
「パソコン使えぬ者、人間にあらず」

人間というのは、自分の感覚を中心に考える。無意識にそう考えるのだから、自分では気付かないことが多い。
「ジョーシキだろ」、「変わってるなあ」、「普通はね」、・・・。 こういう言葉を発する人間は、それが本当にそうなのかを考えたことがあるのだろうか。自分の感覚だけを基準にしてはいないだろうか?


ちょっと前、知り合いがカメラを買いたいという話をしていたので、デジタルカメラを勧めてみた。
しかし、そいつは憮然として答えた。
「パソコンは持ってないよ。」

我輩は、自分がパソコンに依存して生きているということを当たり前のように感じていた。それ故、誰もがパソコンを持っているものと錯覚した。
しかし、それは全く違う。冷静に考えれば、パソコンを持っている友人というのは、そんなに多くない。ましてや、親戚の中で考えれば、唯一、母親が持っているくらいだ。

ところで、我輩は留守番電話を持っていない。
ある日、叔母から留守番電話にメッセージ残しておくと言われた時、我輩は少しムカついて言った。
「ルス電とか持っちょらんワ。」
留守番電話があることが、さも当然かのように言われることが面白くなかった。
そうだ。あの時、あいつが不機嫌に「パソコンは持っていないよ」と言ったのと同じ心境か。


デジタルカメラの出荷量が銀塩カメラの台数を越えたとか越えないとか、そういう話は聞く。しかし、陳腐化しやすく壊れやすいデジタルカメラが出荷量を増やすというのは、多くの人間が使っているという意味には必ずしも直結しないのではないかと考える。
現実に、我輩の母親が上京してきた時、EPSONのデジタルカメラが故障して、砂嵐のようなノイズしか写せなくなり、代替機が必要になった。ここでまた1台、デジタルカメラの普及が進んだということにされよう。
また、3年以上前の銀塩カメラを使っている者は多く知っているが、同じく3年以上前のデジタルカメラを使っている者は知らない。たいてい、性能向上につれて新機種へ買い換える。

もし、正確な普及率を知ろうとするなら、国勢調査あるいは無作為な電話調査などをやらねば数字の意味を簡単に取り違え、自分の都合の良い解釈に偏ることとなろう。
インターネットの普及率や、パソコンの普及率なども、1人で複数アカウント、複数パソコンを使っているケースもあることを考えると、意外に多くはないのかも知れない。少なくとも、我輩の周りを見回すとそう考えたほうが自然に思える。

そうでなくとも、パソコンというのは操作が難しい。慣れも必要だが、概念が日常生活と全く違うので、入りにくいのである。

例えば我輩の場合、「作成したファイルには名前を付ける」ということが解りにくかった。
大学時代に友人からパソコンを教わった時、ファイルを保存する時に名前を付けろと言われた。

「おいおい、ペットじゃないんだから、名前なんか付けてどうしようってんだ?」

目の前のバナナ1つ1つに名前が付いていないのと同様に、ファイルに名前を付けることはバカバカしく思えた。
だが、ファイルは名前を付けなければ保存出来ないのだ。「そういうものなんだ」と納得するしかない。そういったパソコン特有の慣習があるため、リアルな世界しか知らない一般の人間は、なかなかパソコンには馴染めない。

「パソコンを立ち上げて下さい」と言ったら自分が立ち上がったという笑い話があるくらいだ。年寄りなどにパソコンを教える時、「ファイルの名前を付けて下さい」などと指示すれば、姓名判断の本を取り出してくるかも知れない。名付け親というのは責任重大だからな。

・・・現在では、当時の我輩ほどに無知な者もいないかも知れないが、もしいたとしたら、まさか「パソコンを使えぬ者、人間にあらず」とでも言うか? さすがにそれは言い過ぎだろう。
パソコンというのは、理解している立場から見ると至極簡単だが、未経験の者からすれば、全てが未知で理解の手掛かりさえ無いのだ。
「こんな事も理解出来ないのか」などと思うのは、パソコンを使うことが出来る者の傲(おご)りでしかない。


もし将来、デジタルカメラが銀塩カメラに取って代わるとされるなら、カメラ自体の性能よりも、もっと考えねばならないバリアがある。
プリントアウトしようにも、肝心なプリンターはパソコンに繋がっている。たった1枚の写真を得るのに、パソコン相手に何時間も奮闘する毎日。

ラボや出力センターでプリントしてもらうにしても、焼き増しのコマを探すのが一苦労。余計な操作をしてデータが消えてしまう。
20年経った後に昔のデジタル写真を焼き増ししようとしても、「そのメモリは対応してません」と突き返される。便利だからと勧められた結果がこれだ・・・。

デジタルになって便利になったと言われることは、結局はパソコンを使えない者にとっては何の意味も感じられない。そういう者たちにとって、「写ルンです」で撮り切り、そのまま写真屋に渡す以上の便利さがあるのだろうか。
もしあると言うのなら、近所の旅行好きのオバちゃんに、デジタルカメラへの買い換えを勧めてみろ。果たしてオバちゃん、説明書だけで使いこなせるか?

「昔は良かったのう。写真はもっと簡単じゃった。」
我輩には、人間と認められぬ者のつぶやきが聞こえてくる・・・。