我輩がシャッターダイヤルに固執するのは、今思うと「ピッカリコニカ」のせいかも知れない。
最初に使ったカメラは祖父のキヤノネットだったが、主に使ったのは家族で買ったピッカリコニカだった。確か、行橋そごうの「高千穂カメラ」で三脚付き1万円だったと記憶している。
誰でも撮れるカメラが来たということで、結構みんなで使った。
ピッカリコニカ
しかし、露出に関しては「シャッターを押すだけ」ということで、自分が何も関与出来ないという苛立ちがあった。確かに「押すだけ」というのは楽な場合もあるが、逆に撮れないものはどんなに努力しようが絶対に撮れない。EE(今で言うAE)に支配され、痒い所に手が届かない。
自由を奪われ、与えられた人生を生きているようなものだった。
そんな時、ついに救世主が現れた。それが、最初に買った中古一眼レフ、「Canon AE-1」だった。
革命は、そのシャッターダイヤルにあった。1/1000秒から2秒まで任意に選べ、しかもシャッターを開きっぱなしにも出来る。それまではセロハンテープでピッカリコニカのシャッターを固定していたのだが、今度からはダイヤルを
「B」の位置にセットするだけで良い。
AE-1のシャッターダイヤルは巻上げレバーと同軸で、必ずしも少年時代のイメージとしては格好良いものとは言えなかったが、やはり自分の意志でカメラを思いのままに操ることが出来るという意味で画期的だった。
つまり、我輩はダイヤルによって自由を得ることが出来たのである。
我輩にとって、ダイヤルに刻まれた数字の多さがカメラの自由度を示す尺度と感ずる。
当時は「ニコンF3」や「キヤノンNewF−1」が憧れであった。レンジの広いシャッターダイヤルは、一目見ただけでその高性能ぶりを想像させた。特にF3のダイヤルは全周回転可能で、多くの数字が並んでいるのが素晴らしく思えた。しかも、今まで学校の理科室にある顕微鏡撮影装置でしか見たことのなかった「T(タイム露出)」という設定が可能であることも、F3が大人の道具であるということを強く感じさせた。
どんなに安物カメラであっても、ダイヤルさえ持っていれば、それが自由の思想の基に作られたカメラであると認めることが出来る。
「ダイヤルさえ付いていれば何とかなる」と思わせるところが素晴らしい。
ダイヤルとは、我輩にとっては自由の象徴である。