世紀末大予言。それはノストラダムス(正確にはノストラダムスの研究者)にはじまり、ジーン・ディクソンやその他の霊能者・超能力者、そして火に油を注ぐかのようなエセ科学者によって1つのジャンルが確立した。
超常現象の中でも、この予言関連はかなり異質なものであり、その性質上、宗教的な匂いを持つ。端から見れば皆同じように見えるのだが、本人たちは「いや、ウチはここが違う」と言い切る。そこもまた宗教的に感ずる。
さて、手元に面白い本がある。「宇宙人が警告している〜199X年地球大破局」という本。確か1989年の出版だったか。著者は工学博士という肩書きの深野一幸氏。
そこには、これから起こるであろう様々な出来事が予言されている。それは、色々な意味で実に興味深い。一部を紹介すると・・・、
世紀末大破局と地球再生のプログラム
●1991年
我々の周りの空間に無尽蔵に存在するエネルギーの存在が確認される。
●1992年5月
関東地方に巨大地震(M8.5程度)が起こる。
●1992年〜
世界的に異常気象が激しくなる。
●1993年
アメリカは隠蔽していた宇宙人を公表する。
●1993年〜1994年
世界各地の火山が次々に爆発する。
●1994年
宇宙人が公然と地球人の前に姿を現わす。
●1994〜1995年
寒冷による世界的大飢饉が起こる。
●1997年
宇宙エネルギー発電機が実用化される。
キリストが再臨する。
●1997〜2000年
第三次世界大戦が起こり、これが最終戦争へと発展する。
●1998年
空中携挙が起こる。空中携挙とは、宇宙連合の宇宙人が、一時人間が住めなくなる状況に陥った地球から、UFOで一部の地球人を救いあげ、他の天体に避難させることを意味する。なおこれは、いずれ彼らを地球に戻すことを前提とした緊急避難的措置である。
戦争には世界的規模で核兵器が使用される。
ローマ法王庁が滅亡する。
極移動が起こり地球が横転する。極移動は、太陽系に大きな惑星が突入し、それによって惑星の軌道が乱されるために起こる。
●1999年
世界的大洪水と低地への浸水が起こる。
以上、一連の世紀末大破局の結果、地球人の三分の二以上が死ぬ。
−−−(西暦2000年以降略)−−−
信じるか信じないかは読者の判断にお任せする。
(146〜149頁より)
今、西暦2000年の後半。解説するまでもなく、この予言は全く当たらなかった。実際にその年が過ぎたのであるから、これほど確かなことはないと言える。
地震や噴火、異常気象にしても、小さなものは毎年のように起こっている。例えるならば、「2001年、大きな交通事故が起こるだろう」と言っているようなものだ。いつも起こっていることならば、予言が当たったことにはならない。
とにかく、少なくとも無尽蔵のエネルギーは見つからないし、キリストは再臨しなかったし、宇宙人も公然と現れることはなかった。
1989年の時点でこの本を読むならば、少しはドキドキしたかも知れない。そこに書かれていることが「信用出来る・信用出来ない」に関わらず、「一寸先は闇」であることに変わりない。交通事故で死にゆく者も、ほんの数分前までは自分が死ぬなどということは考えてもみなかったことである。
予言された時代をクリアし2000年に生きる我々にとってみれば、その戯言(たわごと)をおもしろおかしく読むことが出来る。それは、未来人としての視点である。
しかし、まだ見ぬ時代に対する期待や恐れは、その時間に生きる人間には、とても笑い事で済まされる事ではない。
さて、カメラの方面でも、似たようなものがある。
ここに一冊の本がある。「ダメなカメラ採点」という20年前の本だ。著者は写真家・山田照男氏。我輩以上に辛口カメラ批評をしている。その内容は、今見るとかなり面白い。それは未来人の視点で読んでいるからである。
ここでも少し内容を紹介してみよう
<ニコンF3>
新型ミラーに不安あり
飛行機などの応用構造を少しは知っている私としては、ボディにあんなにデザインのための曲線を多用しては、衝撃に対してへんな歪みが起こりやしないかと、ちらっと心配する。
−−−(中略)−−−
こんなに芸術品のように精緻に仕上げてしまっては、壊れた時直すのが大変だろう、とやはり心配だ。
−−−(中略)−−−
それかあらぬか、独特の苦心の作らしい、中枢をなすあのミラー(一部半透明)の件だが、肉眼には見えぬその透過孔に、ゴミが詰まって機能を害するものと聞いた。「いや、クリーナーとティッシュで除去できますから」とメーカーは言うが、素人が旨く拭けるかどうか。
(126頁より)
ロングセラーのF3が生産終了という節目を迎えた現在からすると、それは聞いたこともないような心配事である。20年前にそんなことを知ったならば、F3の購入をためらったかも知れない。そんなにゴミの詰まりやすい(笑)デリケートなミラーを使ったカメラなど恐くて使えるか、という気持ちにもなる。
しかし、それが杞憂であることは、20年の実績が何より証明している。
また、F4の形を知っている今の自分にとって、F3のデザインを「曲線を多用」などと言っている部分はかなり笑える箇所である。
当時の視点としては、F2でさえ「カドの取れた丸いカメラだ」という認識があったくらいであり、それならばF3も確かに丸いと言えるだろう。しかし2000年現在のカメラは、当時の丸いカメラが角張って見えるほど丸さに磨きをかけている。だから、当時のカメラ批評を見るとおかしく思える。
いやあ、古い本は楽しい、楽しい。そうやってまた、未来人は今日も古本を漁る。