昨日の雑文で、「絞りとシャッターを自分で変えろ」と言った。
そこでふと考えた。「我輩が最初に絞りとシャッターを意識したのはいつだったのだろうか」と。
我輩が最初に撮った写真は、恐らく戦闘機の写真ではなかったろうかと思う。小学校何年生の時かは忘れたが、友達と祖父と我輩3人で、自衛隊の築城(ついき)基地の航空祭に出掛けた時だった。
我輩は祖父のキヤノネット(レンズシャッター式の非一眼レフ。要するに安物。)を借り、駐機してある戦闘機を撮って回った。祖父がカメラについて何か言ったような気がしたが、構わずシャッターを切り続けた。
撮影後、我輩の頭の中には、戦闘機の見事な写真が浮かんでいた。そして、「早く現像してくれ」と祖父を急かした。しかし、出来上がった写真は見事な露出不足。当時の我輩には露出調節の概念など無かったのだ。
我輩の頭に描いていた写真は、空しく消え去った。
あの時の気持ちとしては、本当に残念でたまらなかった。
しかし、その経験があったからこそ、我輩は露出というものを意識しはじめたというのも事実である。写真を写すためには、色々と調節する事があるということを肌で実感したわけだ。
これが現在のカメラならば、どのように撮ろうと、それなりに写る。写真について何か勉強しなければいけないと分かっていても、何も考えなくとも、一応は写る。だから、「勉強するのはまたそのうち」ということになってしまう。
さて、失敗写真の後、我輩はキヤノネットで練習を重ねた。いや、「今思えば練習になった」という意味で、子供にとってはいつも本番のつもりである。
「今度こそは、うまく飛行機を撮ってやる」
こういう意気込みだった。
我輩の実家は、築城基地の着陸路の真下に位置し、日中はよく軍用機の爆音が轟いていた。
紅色の燃料タンクを見せながら飛ぶT-33練習機、 燃えるような爆音でガラス戸を振動させるF−4ファントム、矢のように飛んでいくF−104などが見られた。
我輩は爆音がするたびにキヤノネットをつかんで庭に出た。肉眼では大きく見えるのだが、写真にするとなぜか小さく写ってしまう。
<今は懐かしいF−104>
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<確かにF−104>
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どうやらレンズが良くないらしいというのが解ってきた。もっと遠くが写るレンズが必要らしい。現在のように、ズームレンズなどもちろん付いていない。
そこで、我輩はキヤノネットを調べてみた。レンズを換えるにはどこを操作すればいいのか。
しばらくやっても分からなかったので、レンズ鏡胴を掴み、とりあえず力一杯ねじってみた。「回転方向が違うのかも知れない」と左右にねじってみるが、少しガタが出た程度で、全く外れる気配が無い。
ついに我輩は諦めた。そして悟った。
「これはレンズが換えられないカメラなんだな。」
その後、キヤノネットのレンズシャッターは切れなくなっていた。