[100] 2000年 7月28日(土)
「見事に騙された」
我輩が小学生のガキだった頃、デパートの切手・コイン売場で、小判のイミテーションを買ってもらった。単に金メッキしてあるだけのモノだったが、我輩はそれを本物だと信じ、友達に自慢したりもした。
本物の小判の価値がどれほどかというのを知らないのだから無理もないが、それがイミテーションだと知った時はガッカリした。最初からそうだと知っていたなら、気持ちの浮き沈みは無かったろう。少なくとも、友達に自慢などしなかった。今さら、「あの小判、実はニセモノだった」などと言えようか。
もちろん、イミテーションにはイミテーションの価値がある。
しかしまあ、見事に騙された。
昨日、普通の一眼レフを改造してハーフサイズに出来ないものかと考え、とりあえずニコンFG(クロームボディ)のトップカバーを外してみた。
ところがなんと、トップカバーの裏側はプラスチックがムキ出しであった。「Nikon」のネームプレートがプラスチック製であることは知ってはいたが、まさかトップカバーがプラスチックだったとは・・・。どうりで軽いわけだ。
表面の手触りはまさしくクロームボディのそれで、奥まった部分には緑色のサビが浮いたこともあり、てっきり、金属製だと思い込んでいた。
まあ、FGがプラスチックボディであることは、AE−1と同じく、世間では有名な話に違いない。ただ、我輩はその瞬間まで本当に知らなかった。
それにしても、プラスチックをここまで金属に似せることが出来るというのは大したものだ。
しかしそれにしては、FGよりも後に開発されたはずのAFカメラには、なぜかそのような技術は用いられていない。見ようによっては、まるで開き直っているかのようにも思えるのだが。
よく考えてみると、当時はエンジニアリング・プラスチック(エンプラ)という新素材が登場したばかりで、自動車の部品に取り入れられ始めた時代である。そういう意味で、プラスチックということが「ハイテク」の象徴とされた可能性も否定出来ぬ。
「衝撃に強い」というのが当時のエンプラの謳い文句であったから、AF時代には、あえてプラスチックであることを前面に出したということなのか。あるいは、エレクトロニクスの新時代カメラを象徴していたのか。
FGの時代、カメラがまだカメラらしさを持っていた。人によっては、「それまでの常識にとらわれ、自由にデザインできなかったカメラだ」と揶揄する者もいよう。いずれにせよ、プラスチックであることを隠し、金属のフリをしようとしたのは確かだ。騙すつもりは無かったとしても、何となく裏切られた気分になる。
別にそのことをとやかく言うつもりはないが、もし我輩が、「さすが、金属ボディのFGは違うな」などと、小判の時と同じように言い回っていたらと考えるとゾッとする。今さら、「あのカメラ、実はプラスチックだった」などと言えようか。危うく恥をかくところだったぞ。
|