「ニコンF3H」は、数年前に銀座カツミ堂写真機店のショーケースで目にした。それまで我輩は「F3H」の存在を知らず、その突然の出会いに戸惑った。
「ん・・・? 何だ、このF3は・・・?」
外見はF3Pによく似ていたが、値段がそれを遙かに上回る、「58万円」となっている。こんな高価なモノが一般向けであろうはずがない。多分、特需カメラだ。
その後、このカメラは限定生産のハイスピードモーターカメラであり、
13コマ/秒という並外れた連続撮影能力を持つカメラだと知った。
しかし、値段が値段だけに、最初の出会いの時点で購入は既に諦めていた。それはつまり、「違う世界のカメラ」・・・、そう、スペースシャトルに搭載された特別仕立てのF3と同じようなものだ。モノ自体も他の店では見たことが無い。
ところが今回、思わぬ臨時収入を得て、我輩なりに使い道を考えた。小さな買い物や、魔が差した買い物もあったが、それらは特別、今しか買えぬモノではない。
候補に挙がったモノは、「ペンタックスLX2000」、「ペンタックスLXチタン」、「安藤カメラ50周年記念ニコンF3クラシック」であった。
しかし、「LX2000」は多少物足りなく、「LXチタン」は巡り合わせが無く、「F3クラシック」はセンスが合わない。要するに、衝動の沸き上がるカメラではなかった。
そこで蘇ってきた記憶が、「F3H」との出会いだった。
雑誌のF3特集に掲載されていた「F3H」。極限の性能を持つ特殊カメラ。その性能は、ゴールドカメラと対局に位置する別の価値なのだ。一般人には手に余る連続撮影スピードではあるが、希少価値以上の性能価値を持っている。こんな所に惹かれるからこそ、男なのだ。
船なら「戦艦大和」、車なら「カウンタックLP500」、銃なら「44マグナム」と、超絶なる性能を持つものは、常に憧れの対象となってきた。それらは超絶な性能ゆえに、使う場面を選ぶ。「F3H」も、それらと同じなのだ。
モノがあれば欲しい。モノさえ、あれば。
そう思い立ったのが昨日の午前中だった。直後、カメラ店に片っ端から電話をかけまくり、F3Hの在庫を訊ねた。やはり、どこにも無い。銀座のカツミ堂にも無いという。
電話応対した店員のほとんどは、「F3H」という言葉を聞いただけで苦笑した。「さすがにソレは置いてないよ」というニュアンスが伝わってくる。
ほとんど諦めかけた時、ふと1つの店の名前が浮かんだ。
「ニコンなら・・・、ニコンハウスじゃないか?」
ニコンハウスは、雑誌の電話リストに載っていなかったため、盲点となっていた。我輩はあらためてニコンハウスの電話を調べ、問い合わせた。
果たして、「F3H」は未使用状態で存在した。さすがはニコン専門の店と言うだけのことはある。
値段は59万8千円(税込み62万7千9百円)だった。初めての出会いから数年経っているので、値段は少し上がっているはずだと思ったが、ほとんど変わっていない。安心した。
すぐに銀座へ行き、即金で払って手に入れた。1万円札を63枚も数えるのは苦労したぞ。店のオヤジは、いかにこのカメラを入荷するのがラッキーだったかを力説し、その話に相づちを打つたび、万札を数える手を休めねばならなかった。
世界で何台しか作られていないとか、このカメラのシリアルナンバーを見るとほとんど生産終了間際のモノだとか、訊いてもいないことまで教えてくれる。このカメラは、それほど人を熱くさせるものなのだ。
店のオヤジがF3Hを包む時、ふと手を止め、上目遣いでひとこと言った。
「これ、使うんですか・・・?」
その目は、我輩に対する牽制のようだった。
「このカメラは、人類共有の資産だ。あんたを信じ、大事なF3Hを託すのだ。」
こう言われているような気がした。
オヤジは、高い物が売れて機嫌が良かったのか、それとも元々話好きなのか、支払いを済ませた後もニコンの世間話が続いた。最後には、「ニコンようかん」なるものを見せてくれて、その入手経路を事細かに説明してくれた。なかなかおもしろいオヤジだな。だが、今は一刻も早く帰り、F3Hの外観写真を撮り、完全密封のフロンガス充填ケースに収めたい。
帰宅して開封したF3Hは、まさしく我輩のモノである。しばらくは実感が無かった。それはまるで、有名人と結婚したかのようだ。確かに欲しいカメラには違いないのだが、ほんの数時間前までは、絶対に手に入らないと諦めていたものなのだ。
高い買い物だったが、少なくとも損はしないだろう。オヤジは「これは必ず値が上がる」と言っていたが、我輩もそう思う。そうとしか思えない。
しかし、これを売ることはないだろう。金を得るよりも、F3Hを得ることのほうが遙かに難しいのだ。
※
|
F3Hの写真は、下に掲載したものの他に、カタログコーナーの「ニコンF3H」の項目にも載せている。
|