ここのところ、過激な文章が続き、読むほうとしても少し疲れたのではないかと思う。実は、もう1つ過激な文章を用意していたのだが、それは明日以降へ持ち越すことにした。
よって、今日の雑文は急遽、別の文章を書き起こした(別に毎日書かねばならないことでも無いが)。
以前、マルチメディアCD−ROMの仕事で、江ノ電を取材したことがあった。その時、江ノ電検車区へ撮影に行き、そのついでに電車のステレオ写真を撮ってきた。
通常、ステレオ写真は、左右に配置した2台のカメラを使うか、あるいは左右2つのレンズのついた専用カメラを使い、同じタイミングでシャッターを切る。しかしその時は通常の機材しか無く、1台のカメラを使って左右で撮り分けた。つまり、1枚写真を撮った後、少し右に移動してもう1枚撮る・・・そんな感じだ。
電車の場合では、そのような時間差のある撮影は難しい。なぜなら、走っている電車を写す時は、左右の時間がズレると、当然ながら電車が移動してしまう。また、駅で停車中の車両であっても、乗客などの人物が動いてしまう。
しかし、検車区では人も入らず、車両も止まったままなため、余裕を持ってステレオ写真を撮ることができた。
ステレオ写真というのは、本当に面白い。立体的に見えるというのが、その魅力の全てだ。
普通の写真であれば、背景をボカして主題を際立たせたりする。ところがステレオ写真では、画面全体にピントが合っていなければ効果が薄れる。
人間の目を考えてみると、我々は無意識に目のピントを合わせている。遠くの物、近くの物、どちらもピントが合って見える。なぜなら、我々には「視線」という概念があるからだ。全体を見渡す時には視線を移すため、結果として全体にピントが合っているように見えることになる。
通常の写真には視線という概念は無い。フレームの中に写った全ての物が等価である。しかし、人間の視線はある一点しか見ることが出来ない。視野全体で見ることは、零戦のパイロットのような特別な訓練を受けた者にしかできない。ウソだと思うなら、写真を見る時、視線を中心から逸らさず見るがいい。全体がよく見えないだろう?
このように、人間特有の「視線」という概念を、写真という2次元のメディアに表現(固定)することが必要となる。そのための手法が、様々な撮影テクニックである。
先に述べた、「背景をボカして主題を浮き立たせる」という手法は、かなりポピュラーな「視線の表現法(固定法)」だ。そう考えると、今まで機械的に行っていた、“人物を撮るときは目にピントを合わせ、望遠を使って背景をボカせ”ということの意味が解ってくることだろう。それは、撮影者の視線を固定する作業なのだ。
さて、ステレオ写真に話を戻してみる。
ステレオ写真では、画面の全てにピントが合っている必要がある。それはなぜか。
ステレオ写真は、立体であるがゆえ、人間の視線を自由に受け入れることが出来る。遠くや近くの物について、その写真を見ている者に視線を委ねることが出来るのだ。近くの物を見る時、視差の為に遠景が擬似的にボケて見える。逆に遠景を見る時、近くの物がボケて見える。
最初から背景がボケている2次元の写真では、背景を見ようとしても不可能だ。そこでの視点は固定されている。写真はフレーム内に写った全てが等価であるがゆえ、技法を使って視線を固定させねばならないからだ。
そういう意味では、ステレオ写真の主体は、見ている側にあると言える。見る者に色々な発見をさせる楽しさがある。ステレオ写真の面白さは、まさにそこだ。画面内にゴチャゴチャ写り込んでいるものほど面白い。
下の写真は、「平行法」と呼ばれる方法で見る。右目で右の画像を、左目で左の画像をそれぞれ見つめると、2つの画像が融合され立体画像として浮き上がる。平行法なので、決して寄り目にしてはならない。遠くを見るような感覚で見ると良い。
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江ノ島電鉄車両「501形」
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左目
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右目
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江ノ島電鉄車両「1002形」
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左目
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右目
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