[037] 2000年 5月23日(火)
「ネイチャー・フォト」
自然を撮る、それが「ネイチャー・フォト」。
「美しい」と感動することは、我々が写真を撮る時の動機の1つだ。
自然とは、美しいものである。
ここで、なぜ自然を「美しい」と感じるのかを考えてみる。異論はあるかも知れぬが、あくまで我輩の考えの範囲だということを付け加えておく。
自然とは、自然法則の具現化したものだ。それはあたかも、風が砂丘に風紋を残すかのようなものと言える。風は目に見えない。しかし、目に見えないものが形を作る。風紋とは風の残した足跡である。風紋を見ることによって、目に見えない風を感じることができるのだ。
自然法則は、「ここにある」と指し示すことは出来ない。目に見えないが確実に存在する。そしてその自然法則が、あたかも砂丘に風紋を残すように、自然景観を形成する。生物であろうと、無生物であろうと、そこには自然法則の具現化した姿がある。
我々が自然に美しさを覚えるのは、景観の背後にある普遍的な自然法則というものに触れていると感じさせるからだ。
また、自然とはシステムである。激流のようなダイナミックな「動」を見せる時もあれば、数百万年のサイクルを持つ山の造形のような「静」の断片を見せる時もある。いずれにせよ、我々人間の目にするものは、自然法則の断片的な姿、「風紋」でしかない。そこに想像力を込めて、シャッターを押す。人間の偉大さとは、その断片から全体を推し量ることができるということである。それゆえ、その写真を見る者の想像力をかき立て、場合によってはその場所へいざなう原動力となりうるのだ。
人間の感覚や感情は、動機付けに支配されている。
「痛み」は危険を避けるため、
「空腹」は食事を摂らせるため、
「怒り」は敵を排除するため、
では、「自然に対する感動」は・・・?
自然に感動するのは、人間が本能的に持っている、自然システムへの帰巣本能ではなかろうか?
システムの中に入れない動物種というのは、いずれ絶滅する。それは自然であり、不自然ではない。その意味からも、人間が自然に感動するという本能は大切にしたいものである。もし自然に感動する事がなくなれば、それこそ、人類の、種としての寿命なのかも知れぬ。
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