[015] 2000年 4月25日(火)
「写真というものは・・・」
写真には上手い下手がある。
そう判断されるためには、その写真が人に見られなければならない。
なぜなら、写真とは「表現」であり、見る人間に訴える手段であるからだ。例え意識せずとも、撮影者がシャッターボタンを押すに至った理由があるはずだ。
訴えかけてくる写真。それが上手い写真と言われる。説明が必要な写真は、写真としての意味が無いというが、それもまた一理ある。
単にキレイな写真なら誰でも撮ることができる。そんな写真はどこにも溢れている。しかしそういう写真は、写真である必然性が無い。「現物があれば、それに越したことはない」と言われるだけだ。
一方、写真の位置付けが「趣味」であるなら、自分が自分に要求するものさえクリアすればいい。
なぜなら、その写真の消費者は自分自身であるからだ。そこでの「上手い下手」とは、要求をクリアしたかどうかにかかってくる。
自分が「もっと上手く撮りたい」と思うなら、その写真はまだ上手くないと言える。逆に「この程度なら満足できる」と思うなら、その写真は上手いと言えるだろう。全ては、「求める心」と、「それを満たす腕」しかない。それが趣味だ。
鉄道写真を撮る者の中で、背景や構図に構わない者がいる。彼は言う。「記録写真だから、いちいち構図に構っていたら、数をこなせない」と。それは全く正しい。彼は、自分自身の要求に対し、淡々とシャッターを切るだけだ。
今一度、何のためにシャッターを押すのかを考えてみるのも良いかも知れない。これは、我輩自身に対する、自問自答でもある。
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