2000/04/05
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表紙

1.主旨と説明
2.用語集
3.基本操作法
4.我輩所有機
5.カメラ雑文
6.写真置き場
7.テーマ別写真
8.リンク
9.掲示板
10.アンケート
11.その他企画

12.カタログ Nikon
 F3 (F3H)
 FM3A
 FM2
 FM
 FE2
 FE
 FA
 FG
 FM10
 FE10
 F4
 F-401X

Canon
 AE-1P
 AE-1
 newF-1

PENTAX
 K1000
 KX
 KM
 LX
 MX
 MZ-5
 MZ-3
 MZ-M

OLYMPUS
 OM-3Ti
 OM-4Ti
 OM-2000

CONTAX
 ST
 RTS III
 Aria
 RX
 S2

MINOLTA
 X-700
 XD

RICOH
 XR-7M II
 XR-8SUPER

カメラ雑文

[600] 2007年05月13日(日)
「ゴールデンウィーク独り旅」

<注意事項>

旅の記録は、我輩自身にとって参考になる。今回の旅も、以前の旅の記録を読んで参考にしたほど。そのため今回の記録も、取るに足らぬことまで余さず書き留めることにした。そのせいで文章が非常に長くなっているので注意。


<旅のきっかけ>

日常追われて、ふと気付くと、ゴールデンウィークまであと1週間と迫っていた。
特に何処かに行ったり何かするという予定は無かったが、そういう状態のまま連休に突入すると、無為なまま終わってしまうのは明らかである。

そこで我輩は、独りで九州に帰省することを考えた。
いつもならば盆休みに家族3人で帰っていたわけだが、そういう時は我輩単独の行動が出来ないため、実家周辺写真を撮って回ることが難しい。なぜならば、観光地でもない土地で我輩以外の者には何の思い入れの無い場所を地道に回ろうというのだから、家族を引き連れて行くようなことではない。

もしこれを単独で回れるのであれば、心おきなく気の済むまで撮影することが出来るだろう。今回のゴールデンウィークは、そのチャンスである。真夏のような暑さも無いため、体力消耗も抑えられよう。

そのためにはまず、休暇取得が必要であった。というのも、今年のゴールデンウィークは真ん中で分断されているため、5月1日と2日で休暇が取れれば9連休となり、帰省日程にも余裕が出来る。
幸運なことに、職場の一斉休暇取得日(強制有給休暇取得日)が5月1日であったため、翌5月2日だけ都合付ければ良かった。

次に、帰省の方法についてだが、撮影して回ることを考えると、車が必要と思われた。
昔は気楽に自転車で回ったものだが、今回は滅多に無い機会を最大限活用するためにも、手早く移動出来る車でなければならぬ。
しかしながら、フェリーを使うと金がかかるうえ、予約は2ヶ月前に埋まっているはず。キャンセル待ちで行けたとしても、事前に予定を立てるには不確定要素は盛り込みたくない。
そうなると、新幹線で移動して現地でレンタカーを使うのが良かろう。ペーパードライバーの頃は車の運転など思い付きもしなかったが、今は車を所有しているため、運転についての不安は以前に比べて小さくなったのだ。

そこで、ふと、思った。
「どうせ独りで帰るのならば、途中寄り道して島根県松江市の母校を訪れるのも良いかもな。」
レンタカーを使うのであれば、都市間の移動は列車で済む。

島根県松江市へは、3年前くらいに出張で行ったものの(参考:雑文457「出張」)、昼間は業務のため市内巡りは出来なかった。しかも、母校周辺は同級生だったヤスと15年くらい前に車で訪れたきり。
そういうわけで、今回は島根県にも行くことにした。


<事前準備>

事前準備として、まず「新幹線指定席の手配」、「レンタカーの予約」、「松江市の宿の予約」が必要となる。

新幹線については、独り旅であるから、始発の東京駅であれば並んで待つことで自由席でも必ず座れる。しかし今回は、撮影が主目的ということで機材が重くなることを考え、出来るだけ苦労無く座れるよう指定席を取ることにした。それに今回は山陰への寄り道があるため、岡山駅で乗り降りが発生する。そうなると新幹線の場合、東京乗車では自由席で座れたとしても、岡山乗車では指定券無しでは座れまい。

また当初は、九州に帰る途中で寄り道をすることを考えていたが、まだ元気があるうちに一気に九州までの長距離を移動し、帰りに立ち寄るということにした。こうすれば、最終日の新幹線は岡山から東京までの区間で済む。もちろん、岡山〜松江の区間もあるのだが、こちらはいつも空いている(恐らく自由席でも2席分は確保出来る)ため疲労は少ない。

ちなみに学生時代は、松江〜小倉間は金の節約のため新幹線を使わず山陰本線の「特急いそかぜ」に乗って7時間ほどかけて行き来したものだが、残念なことに「特急いそかぜ」は数年前に廃止されたらしい。
本当は、時間がかかったとしても、日本海の海岸線を眺めながらのんびりと山陰本線で行きたかったのだが。

指定券は、今ではインターネットで予約出来るため便利。
パソコン画面上でリアルタイムに席の空き状況を見ながら"禁煙席の通路側"などという細かい指定が出来るうえ、JRの窓口営業時間外でも予約が取れるのが有り難い。
切符は後日、都合の良い時に、みどりの窓口で受け取れる。

またレンタカーも、同様にインターネットで予約が出来るが、こちらはリアルタイムな空車状況は見ることが出来ない。インターネット上の空車状況はあくまで目安で表示されているだけであり、申し込み後に担当者がメールを返信して初めて予約が完了する。
そのため、松江市のほうでは、駅レンタカーにて満車案内が来てキャンセル扱いとなり、ニッポンレンタカーのほうで改めて予約を行った。
今回、予約したのは軽自動車である。特に道路幅の狭い松江市では、軽自動車のほうが取り回しが楽であろう。もちろん、費用的な理由もある。

宿の予約もインターネットで行った。
探してみると、一泊2,100円という格安ホテルがあった。今回、ここに2泊することにした。バス・トイレ共用であったが、この値段では仕方無い。どのみち風呂は、近くの松江温泉にある「しまね社会保険センター」の展望温泉浴場に行くつもりである。ここは、学生時代に友人Yとよく行った。

さて、撮影機材の選定であるが、当初は一眼レフの「BRONICA SQ-Ai」を考えていたが、35mmカメラも加えるとかなり大掛かりになってしまったため、中判はレンジファインダーの「New MAMIYA-6」とした。ただし、交換レンズはフルセット持って行く。
フィルムは途中で使い切ると現地調達は不可能なため(参考:雑文362「長期休暇撮影3(万博公園撮影日記)」)、120フィルムは30本、135フィルムはコダクロームを含めて15本用意した(つもりだった)。

デジタルカメラは、いつもの露出計用途として「RICOH GR-D」を胸ポケットに突っ込んだ。
VAIOのミニパソコンも荷物に入れた。デジタルカメラのデータをコピーする目的のほか、パソコンの地図上に撮影予定ポイントをマークしてある。

これらの荷物はバッグ2つ分にもなった。しかも、ゴールデンウィーク中盤で雨が降るとのことで、折りたたみ傘を入れたため、余計な重量が増えてしまった。
車での移動とは言え、レンタカーであるから自宅から駅まではこの荷物を抱えて行かねばならぬ。そこがレンタカーの最大の弱点・・・。


目的地の位置関係


<1日目(4月28日)>

ゴールデンウィーク初日の昼過ぎ、2つの大きなバッグを肩にかけ、最寄駅まで何とか辿り付いた。
しかし駅に着いたと言っても安心出来ない。新幹線に乗るまでは、揺れる電車内でバッグを持ったまま頑張らねばならない。
東京駅に到着し、新幹線「のぞみ」を待った。指定券があるので並ばなくとも良いが、大きな荷物があるためどこに行ってもリラックス出来ない。
ようやく「のぞみ」が入線したが、車内清掃のためしばらく待たされた。見ると、掃除のおばちゃんたちが手際良く座席のシーツを取り替えている。その様子はまさに職人芸で感心した。

その後車内に乗り込み、荷物を網棚に載せてようやく一息ついた。
九州行きでは初めて「のぞみ」に乗ったが、小倉までは5時間半で到着するのだから早くなったものだ。昔は「ひかり」で7時間近くかかったような記憶がある。


500系「のぞみ」

新大阪を過ぎた辺りで車内がやや騒がしくなる。大阪人が乗り込んだようだ。特に、若い女性が関西弁で非常にうるさい。やはり関西というのは、西日本や東日本とは全く文化が異なるというのを実感する。

さて、岡山を過ぎたあたりで、だんだんと故郷に近付いているという実感が湧く。
そんな時ふと、小倉への到着時刻を見て驚いた。
「小倉到着18時35分・・・? なに? レンタカーを借りるのが18時半だったが、まずいな、これじゃ絶対に間に合わん・・・。なぜこんな状況に陥ってるんだ??」
レンタカーを予約する際、一度時間を変更したことを思い出した。恐らくその時に列車の到着時刻を読み間違えたのだろう。
「小倉駅で5分遅れで下車しても、場所を探して歩くとさらに5分はかかるだろう。そうなると10分の遅れか。」
レンタカーの予約センターの営業時間は18時までとなっている。それまでに連絡を入れなければ、10分の遅れであってもキャンセルさせられるとたまらん。
しかし、岡山を過ぎた辺りではトンネルが非常に多く、携帯電話が断続的に"圏外"となってしまう。新幹線に設置された公衆電話に行ってみたが、テレホンカード専用で使えない。仕方無いのでメールを打ち込んで、電波状況を見ながら送信した。
18時を過ぎても返信は無かった。大丈夫だろうか?


トンネルが多く圏外が続く

新幹線は定刻通りに小倉駅に到着。
改札で駅レンタカーの窓口の場所を聞いてそこへ急いだ。やはり10分遅れだった。
受付には茶髪のキュートなお姉さんがおり、手続きをしてくれた。車種は「スズキ ワゴンR」とのこと。しばらくして駅前ロータリーに車が到着し、簡単な説明の後、車が引き渡された。

この車は、ステアリング横から出ているコラムシフトを操作するタイプで、我輩もそのタイプの車は2回ほどしか運転したことがない。しかしまあ、いったん「D」の位置に入れればそれほど煩雑に操作するものでもないので問題無かろう。
カーナビゲーションは全車装備のため無料扱いだったものの、反応が悪く使い辛い。全体的なヤレ具合からしてかなり昔の製品なのだろう。


スズキ ワゴンR

とりあえず、母親が一人暮らしをしているマンションに向かった。小倉市内のため、10分程度で到着。近くのコインパーキングに停めてその日を終えた。


<2日目(4月29日)>

この日は朝早くからカルスト地形の平尾台(参考:雑文439「帰省日記」)へ行く予定。そのために前日からレンタカーを借りておいたのだ。

また、午後からは母親と「あじさいの湯」という温泉施設に行くことになっている。
最初に母親からこの提案を受けた時、「撮影予定をギリギリまで入れてあるのに、今さらそんな予定を入れる余地は無いぞ」と思った。今回の撮影計画は、我輩の心の中にある昔の風景を求めて写真に収めるための大事なものである。
そういうわけで、「あじさいの湯」の件は断りの返答をしようと思った。しかし、ここで思い直した。

「待てよ・・・。今、自分が生きているこの瞬間もまた、大事な時間ではないのか?」

現在というものを大切にせず、過去ばかり振り返っているようでは、またこの先、今の時代の風景を求めることになろう。
過去の失われた風景は今更どうしようもない。名残を求めて同じ場所の今の風景を撮影するだけである。しかし、今の時間は今目の当たりにしている現在形の世界。この体験を心に強く刻んだり風景を写真に撮ったりすることは、他の何よりも優先すべきことである。

さて、平尾台では、地質的興味と中学時代の懐かしさの入り混じった中での散策・撮影となった。
中学時代、科学部の顧問教師の運転する車に部員たちが乗り込み、平尾台を訪れた。そして、石灰岩の風化についての話を聞いた。
改めて平尾台の風景を見渡してみても、当時辿った道や目にした石灰岩は、今となってはどれだか特定出来ない。しかし、どの石灰岩であろうとも、顧問教師の説明に当てはまる。無理に特定する意味は無かろう。


平尾台のカルスト地形

今思えば、あの時に学んだ知識はごく限られたものであったが、その後の地質的興味を起こすには十分であった。そういう意味では、我輩にとって地質的興味の原点と言えよう。
今回の平尾台散策は、原点に立ち返ることで自分が求めている興味と言うものを改めて知る意味がある。これを行うことにより、今後自分の撮る写真が、本当に自分の撮りたい物なのか、それとも惰性で撮っている物なのかという判断を容易にするだろう。

それにしても、このワゴンRという車、どこでも目に付くな。
茶ヶ床園地の駐車場に停める時、前方に同じ色のワゴンRが停まってあり笑ってしまった。


同色・同形式の車

ただ、この車に荷物を置き去りにするのはかなり抵抗がある。後席はスモークガラスにはなっているものの、強い陽が当たっているとどうしても中が見えるため、カバンなど置いておくと車上荒しに遭う危険性が高くなろう。
その点、トランクルームがあるセダンタイプの乗用車であれば、荷物が外から見えず都合が良いのだが・・・。

13時頃に八幡(やはた)駅へ向かい、午後休暇を取った母親を車で拾って「あじさいの湯」を目指した。
時間的にはまだ早かったため、近くにある河内藤園の藤棚を見て回った。なかなか見事な藤棚ではあったが、一般的には「藤棚と言えば吉祥寺(きっしょうじ)」との認識が強いため、河内のほうにはあまり人が来ないらしい。いわゆる、穴場というやつか。まあ、ここは車でなければ来るのが難しい山奥の道であるから、そうなるのは当然か。
ちなみに、この日はいつもよりも混んでいるほうらしい。


河内藤園の藤棚

その後、物産館に寄って買い物をした後、あじさいの湯に到着した。
駐車場はかなり一杯だったが、なんとか空きを見付けて駐車した。

午前中に平尾台で歩き回ったため、まず大浴場で汗を流し、休憩所のリクライニングシートで仮眠した。
そして畳敷きの食事処で「だご汁(だんご汁の親戚?)」を食べ、一息ついて車に戻ることにした。

ところが駐車場に戻ると、車が見当たらない。
おかしい。
確かに停めたはずなのに・・・?
まさか・・・?!

潜在的な恐怖心が現実となったような気がした。
「盗難・・・? まさかな・・・。」
見ると、近くにパトカーがいるではないか。もしかして、他にも被害にあった者がいて、警察を呼んだのか?
そう思っていると、パトカーはゆっくりと我輩たちの目の前を通り過ぎて行った。


駐車場を出て行くパトカー

しかし、改めて停めたはずの場所の目の前に行ってみたところ、我輩の車は他の車の陰に隠れていただけだった。普通車と比べて軽自動車がここまで小さいとは思わなかった。
それにしても、冗談抜きで焦ったぞ・・・。
ホッとしたところで車に乗り込み、母親を小倉まで送り届け、南下して行橋市へ向かい、オバちゃん(母親の妹)のところで1泊した。


<3日目(4月30日)>

去年の夏、バアちゃんの居る実家に帰った際、折りたたみ自転車(参考:雑文572「折りたたみ自転車」)を置きっ放しにしておいた。今回、それをレンタカーに乗せて活用しようと思う。

朝、行橋市のオバちゃんの家から実家に行き、自転車を車に積んだ。パンクレス加工をしているため、物置の中で放置してホコリを被っていたにも関わらずタイヤは大丈夫である。
ワゴンRのハッチバックから自転車を乗せると、ちょうど良い具合に収まった。


車に積み込んだ折りたたみ自転車

子供の頃からの活動範囲であった豊津町と行橋市を中心に、要所要所を車で移動し、そこから自転車で細かく路地裏散策をして回った。
そこでは、全く変わらない風景もあれば、建物の中身だけ別の店舗になっている風景、そして、全く別の建物に変わってしまった風景などがあった。

失われた風景のことについては、我輩にとっては非常に残念ではあるが、この場所で今を生きている者にとってみれば、いずれは現在のこの風景が懐かしい姿ということになるだろう。
生きている限り起こり続ける様々な出来事が、思い出の数を増やしてゆくのだ。

それに対し、我輩はもはやこの場所で生活しておらず、年に1回くらい帰省する程度である。新しい思い出は出来ないのだろうか?
いや、ここには親戚・家族がおり、生活している。帰省という短い時間の中であっても、親戚・家族とのやりとりを通じて、この時代のこの場所を生きたという印しを、今もなお刻み続けている。

人間はいつか年老いてこの世を去る。親戚・家族も例外ではない。
いずれそうなった時、今回の帰省も懐かしい思い出となるのだろう。そういうことも含めて写真を撮り、後の時代までこの写真を遺そうと思う。
それが、今回の撮影の目的であるのだ。


<4日目(5月1日)>

この日は、昼から新幹線に乗って小倉から岡山まで移動。そして伯備線で「特急やくも」に乗って松江を目指す予定。
新幹線に乗る前にレンタカーを返さねばならないが、返す直前にガソリンを満タンにする必要がある。燃料計を見ると、だいたい半分に減っているようだ。
ガソリンスタンドに入ったところ、「給油口開けてください」と言われて戸惑った。レンタカーなので分からない。どこを操作すれば良いんだ・・・?
仕方無いので、正直に分からないことを伝えて操作してもらった。見ると、開放レバーが運転席右側に隠れていた。


こんなところにレバーがあるとは

給油後、満タン証明書にハンコを押してもらい、指定された返却場所へ車を置きに行った。
走行距離を見たところ、203km走ったことが分かった。

その後、母親と食事し、駅の改札で見送られて「のぞみ」で岡山を目指した。岡山までは1時間半と、まさにあっという間。
岡山からは伯備線の「特急やくも」に乗り換えた。予想通り空いており、自由席は2席分を広々使うことが出来た。しかし松江到着まで2時間半と、距離のわりには案外時間がかかる。
途中、車窓から大山(だいせん−伯耆富士)が見えたような気がしたが、雲がかかっておりよく見えなかったのは残念。


特急やくも

松江市内では、雲の流れが速く、宍道湖(しんじこ)沿岸では強風が吹き付けている。陽が差したかと思えば再び曇る。やはり明日は雨か。
とりあえず、ホテルにチェックインした。部屋は暗く、ちょっと掃除が行き届いていない感じであったが、安いので仕方無い。
荷物を置いてホッとしたので、松江温泉にある「しまね社会保険センター」に出かけた。
地図上では近いはずだったが、実際の距離感と相違があり、また道も不慣れだったことから20分ほどかかった。何しろ、学生時代は友人Yの車に便乗して行ったため、どの道を通ったか憶えていないのだ。
途中、小雨に降られて少し寒かったが、間もなく温泉に入れるのだと自分を励ました。

「しまね社会保険センター」は昔のままで、4階に展望温泉浴場がある。窓口で400円を払い、温泉で汗を流した。
湯上りは隣接した畳コーナーでジュースを飲みながらのんびりとした。この行動パターンは学生時代そのままで、あの頃に戻ったような気がした。


しまね社会保険センター

さて、ホテルに帰るわけだが、せっかくの湯上りが外の強風で冷めてしまうことに気付いた。
「まあ、今日は仕方無い。明日は車で来よう。」
そう思ってエレベータに乗ると、エレベータの壁面にポスターが幾つか貼ってあり、その中に案内書きの張り紙があった。
"共同浴場休館日--5月3日〜5月5日"
「うおっ、5月は3〜5日は祭日で休みか、危なかったな・・・。明日もかろうじて入れるか。」

帰り道は最短距離で帰ろうと思ったが、夕食のことを忘れていた。
しばらく歩くと、ラーメン屋があったが、「松江に来てラーメン屋というのもなあ」と思い通り過ぎた。どこかソバかうどんが食べられるところは無いものか。しかしだいたいの店は19時半くらいで終わってしまう。それに、徒歩で探し回ると本当に身体が冷えるので、近くのコンビニエンスストアで調達することにした。それでも普通の弁当は食べたくなかったこともあり、出雲そばの弁当を買った。

ホテルに戻り、暗い部屋で独りソバをすする。
もしかしたら普通のソバよりはおいしいのかも知れないが、器がプラスチックなのであまりおいしく感じない。
明日は、ヤスと2人でよく行った出雲そば処「とびた」へ行き、本物のソバとうどんを食べよう。


出雲そばの弁当



目的地の位置関係


<5日目(5月2日)>

朝、5時頃に目が覚めると、雨の音が聞こえていた。
開けるのが大変そうな窓だったので外の様子は分からないが、天気予報のこともあり、確実に雨だろうなと思った。
それから1時間して再び目を覚まし、起き上がって用意を始めた。
この日は朝からレンタカーを借りることになっている。レンタカー屋は駅前のニッポンレンタカー。

徒歩のため早めに出ようと思ったが、ホテルのフロントはシャッターが閉まっており、張り紙があった。
「経費節減のため朝のお見送りはできませんので、ルームキーは自動販売機の上に置いて裏口より出てください。」とのこと。
我輩は2泊連泊のため、仕方無くルームキーは自分で持ち歩くことにした。着替えや撮影済みフィルムなど、本日の撮影に関係ない荷物は部屋に残してあるので、誰でも手の届く自販機の上などにルームキーを残せるはずがない。

外に出ると、地面は濡れていたものの雨はやんでいた。
ニッポンレンタカーへ行くと、今回もまた、「ワゴンR」である。確かに、軽自動車の中で一番売れているのがワゴンRという話であるから、「もしかしたら次もワゴンRかも?」という予感はしていた。
こちらもカーナビゲーション付きであるが、我輩の車のカーナビゲーションとメーカーが同じため、操作法が似ているのが嬉しい。ただし少し前の型か、あるいは廉価版のようである。

出発時、「車の操作法について何か質問ありますか?」と訊かれたが、給油レバーの位置も知ってるんだぞという気持ちで「大丈夫です」と答えた。ワゴンRのことなら、何でも訊いてくれ。


再びワゴンR

まず、母校の島根大学周辺を目指す。
九州の時もそうだったが、今回も車にビデオカメラを設置して車窓を撮影する。こうしておけば、走り回るだけで街の様子が記録出来ることになる。


ワゴンRに設置したデジタルビデオカメラ

大学前の通りは、道路の一部が工事中。大学前の書店が別の店に替わっていた。
大学内に車を入れてもいいのか分からないので、そのまま通り過ぎて我輩が学生時代に住んでいたアパートに寄ってみた。

所々に水たまりがあるものの、道路はもう乾いている。
アパートは、我輩の学生時代の時と変わらず存在していた。車を降りて、部屋の前まで行ってみると、長い旅を終えて帰ってきたような気がした。

大学時代の4年間暮らしたアパートだったが、当たり前だが写真に撮ったことは一度も無い。しかし今、ようやく、カメラを構えて写真を撮った。
撮影後、我輩は車に戻って朝食のパンを食べながら思った。

「よく、"写真は撮りたいと思った時が撮るべき時だ"と言われるが、後で写真が見たくなる可能性があるならば、その時つまらないと思っていても無理にでも撮っておくべきだ。」

時間は戻せないということを思えば、これはもはや鉄の規則、つまり鉄則と言える。


4年間暮らしたアパート

さて、日程は今日一日と明日の午前中のみ。ゆっくりしていられないので、まず遠い場所から攻めることにした。
そういうわけで、出雲大社を目指す。
宍道湖(しんじこ)沿いの北側の道を走ったが、遭遇する信号機はほぼ全てが黄色点滅のボタン式信号機であり、ほとんど停まることなく運転出来たのは驚いた。
途中、「島根ワイナリー」に寄って外観撮影した後、出雲大社へ到着。駐車場が無料なのは、この地域では当たり前。

出雲大社の敷地はかなり広く、神殿へ行くためにかなり歩かされた。
時期的に修学旅行の学生が多く、あちこちで弁当を食べていたりしているのが見える。しかし、さすがに正月に比べれば人出は少ない。


出雲大社

出雲大社から少し入ったところに、日御碕(ひのみさき)という景勝地がある。せっかくだからここにも寄る。
かなりのワインディングロードで、車載ビデオカメラが吹っ飛んだりした。

道の途中、一時停車出来る場所が幾つかあり、そこから素晴らしい景色が見えた。
停まって撮影しようかとも一瞬思ったが、単純にキレイな景色を撮りに来た旅ではないことを思い出し、邪念を打ち払って先を急いだ。

日御碕駐車場もかなり広い。特別広いということではないが、出入り口が広いため、開放的に感ずる。
車を降りて改めて見渡すと、確かにここに来たことがあると実感した。
ここは、茶道部の仲間たちと遊びに来た場所だった。

駐車場から歩いて土産物屋の通りを抜け、灯台のある海辺に向かった。
目に飛び込んできたのは、懐かしい風景。茶道部の仲間たちと、岩の上で寝そべり、風に吹かれながら海を眺めた場所。

天気もすっかり回復し、当時そのままの風景の中に、我輩がそのまま入り込んだ。
ただ一つ違うのは、仲間たちはここには居ないということ。
今となってはどの辺で寝そべっていたかは分からないが、岩の上を歩いて適当な場所で撮影をした。もちろん、ただキレイな景色を撮ろうというのではない。学生時代の我輩と仲間たちの姿を、心の目で見ながら記念撮影をしたのだ。


日御碕(ひのみさき)

時計を見ると、もう昼食時を過ぎている。そろそろ、出雲そば処「とびた」へ行こう。
日御碕の遊歩道をぐるりと回って駐車場へ戻ろうとすると、そこにも土産物屋が1軒あった。そこには、貝殻や魚の土産物が置いてあり、ふと、豚児用に何か無いかと覗いてみた。

すると、店のオイちゃんが出てきて、色々と説明してくれた。
我輩はオウムガイやタコブネの貝殻が興味深かったが、少し大きいうえ壊れ易そうだったたので別なものを探した。
まあ、子供用にはタカラガイの笛と、タツノオトシゴの干物で良かろう。
オイちゃんと少し話をして、店の写真も撮らせてもらった。


土産物を買った店

駐車場の車に戻り、来た道を戻る。やはり、ワインディングロードではビデオカメラが飛んだ。
出雲大社前を通り過ぎ、今度は宍道湖(しんじこ)の南側の道路を走る。このまま松江市まで行くと、宍道湖一周したことになる。


宍道湖の南側

こちらは多少栄えているので、黄色点滅信号は少ない。しかしそれなりに車は流れており、距離のわりには早めに目的地に到着した。
ここは、ヤスとよく来た出雲そば処「とびた」である。
店の雰囲気も、昔と何ら変わらない。


宍道湖湖畔の出雲そば処「とびた」

我輩はうどん党で、当時もソバではなくうどんを食べていた。しかし、向かい側でソバを美味そうに食べていたヤスを見ていると、ソバも美味いのだろうかと思ったりした。

「それ、お茶か?」
熱そうな湯飲みをすすっていたヤスに訊いてみた。
「これはソバ湯ちゅーてな、ソバを茹でた時の茹で汁なんじゃ。」
我輩は、そういうものがあるというのをその時初めて知った。ソバなど眼中に無かったのだから、当然ではある。

今回、我輩は敢えてソバを頼んだ。
本場の出雲そばの店で、ソバを食べる。昔の体験には無いことであるが、ヤスが食べていたものを今知ることが出来る。


左上はソバ湯、右上はソバつゆ

ソバの味は、まあ、なかなかだった。ソバ経験が浅いため、深く感動出来なかったのは残念だが、少なくとも不味くはなかった。

店内からは宍道湖の景色が見えていた。これも全く昔のまま。当時に戻ったようだ。
時間は13時半と昼時を過ぎているため、店内は客も少なく、のんびりとした時間に浸った。


宍道湖が見える店内

「とびた」を出て再び松江市内へ戻った。
移動時間が思ったよりも短いため、時間が経つのが遅いように錯覚する。さて、これからどうしようか。
大学近くのショッピングセンター「みしまや」の駐車場に車を停め、少し歩き回ってみることにした。

一番近いところで、大学祭関係の友人だったN君の下宿先へ行ってみた。
記憶が定かではないが、同じ場所だと思われる所に、別の建物が建っていた。とりあえず、撮影。

今度はHの下宿先へ行った。
学生時代、Hに借りた本を返しにHの下宿先へ行った。ちょうど、Yの車に乗って展望温泉浴場に行くところで、途中寄ったのだ。
しかしYは車で待っていると言う。まあ、本を返すだけだからと思い、一人でHの部屋へ行った。しかし応答が無い。戸を開けてみると鍵がかかっておらず開いてしまった。見ると、Hが布団に入って昼間からグースカと寝ていた。「本を返しに来たぞ」と言うと、Hの隣に下着姿の女が寝ているのが見えた。Hは「おー?」と言って目を覚ました。我輩はそのまま本を置いて戻った。
車に戻ると、運転席のYは「やっぱそうなるから行きたないんよ」と言った。
そんな出来事のあった下宿。こちらは昔と同じ姿のまま、残っていた。戸はもう開けられないが・・・。

今度は、雑文506「写真で知った事実」にも書いた、我輩と同期の女性が住んでいたアパートにも行ってみた。
こちらも当時のままに建っていた。
雑文546「職場写真〜瞬間的な組合せ〜」では、その女性と再会したことについて書いたが、雰囲気はかなり変わっていたため同一人物だという実感が無く(もちろん、どう考えても同一人物であるという論理的判断は出来るが)、未だにこのアパートで暮らしているような錯覚を持っていた。
しかし実際にこのアパートの経年具合を目の当たりにして、もはや別の時代のことであると気付かされた。

その後、駐車場の車に戻り、今度は学生時代にアルバイトをしていたショッピングセンター「アピア」へ行ってみることにした。
ここは、雨の日も雪の日も、自転車で通った思い出のある場所。途中、武家屋敷のある道を通り過ぎる。
しかし、なぜか「アピア」が見当たらない。車で走っているため、うっかり見落としてしまったか?

今度は反対車線に入って引き返した。すると、「CASPAL」という店名のショッピングセンターがあり、どうもここが昔の「アピア」らしいということが判った。
早速、屋上駐車場に入った。
店内の様子はガラリと変わっており、残念なことに、我輩の働いていたインテリアショップは存在していなかった。

そろそろ、夕方になってきた。「しまね社会保険センター」の展望温泉浴場に行くか。
車で走ると、あっという間に着いた。
今日は歩きではないから、湯上がりでも冷えないという安心感がある。

ホテルに帰って荷物を整理すると、35mm判のコダクロームの消費量が多く、あと少しで無くなりそうだった。他にはISO100のフィルムが2本あったと思ったが、それは出発時に置き忘れていたことが判明。実際は思っていたよりも2本少なかったのだ。しくじった・・・。
明日は撮影カットが多くなろうとも中判をメインとするしか無い。


<6日目(5月3日)>

この日は13時まで行動し、その後東京へ帰る予定。
前日は、レンタカー窓口の営業が始まる時間まで動けなかったが、この日はレンタカーを借りたままであるから、朝早くから行動出来る。
朝食としてまた、コンビニエンスストアのソバを食べた。昼食時にはまた「とびた」へ行こうと思う。


朝食の割子ソバ(ウズラの卵入り)

6時45分頃、荷物をまとめて部屋を出た。カバン2つはやはり重い。
昨日と同じように、フロントにはシャッターが閉まっている。今日で出るので、ルームキーは自動販売機の上に置いておいた。
駐車場に出たところ、なんと、他の車が被さるように駐車しており、我輩の車が出せない状況になっていた。


出られない

しばらく車に乗って様子を見ていたが何の動きも見られないため、仕方無く車を置いたまま付近を散策することにした。
松江大橋を渡り、当時アルバイトをしていた和菓子屋「一力堂」に行って写真を撮ったりした。


和菓子屋「一力堂」

30分くらい回ってホテルの駐車場に戻って来たが、相変わらずの状態だった。
我輩はシャッターの閉まったホテルのフロント前に行ったりしたが、人の気配など何も無く、再び駐車場に戻った。しばらく車の周りでうろついていると、ホテルの裏側にオバちゃんがいるのが見えた。そしてオバちゃんは駐車場にいる我輩を見て「おはようございます」と言ったので、もしかしたらと思い、「ホテルの人はいますか?」と訊いた。するとオバちゃんは「ちょっと待ってて下さいね」と隣の建物に入り、しばらくしてフロントのオイちゃんが出てきた。
状況を説明すると、オイちゃんは館内放送でホテルの宿泊客に車のナンバーの持ち主に移動を求めた。
数分後、パジャマ姿の男が「すいません」とやってきて車を移動させた。我輩はやっと、自由の身になれた。

結局、40分くらい時間をロスした。
この日は午前中だけの活動時間のため、このロスは小さくない。このことは、後に色々な意味で大きな影響を及ぼした・・・。

予定としては、学生時代に泳ぎに行った野波海岸、そして夜光虫を見た加賀漁港、そのついでに「マリンゲートしまね」という施設に行く。
しかしまだ早朝のため陽が浅く、写真を撮るには少し時間が早い。そのため、大学周辺で回り忘れていたところを攻めることにした。本当ならば、近場は最後に回るようにしておいたほうが時間調整が利くのだが。

実は大学に入った当初、我輩は別の場所で下宿生活を始めた。それは、国の重要文化財である菅田庵(かんでんあん)という昔の茶室がある場所の近くだった。
しかし、下宿の大家のオバちゃんがタチが悪く、2週間くらいでそこを出てしまったのだ。
変な思い出のある場所なだけに、現在の下宿がどうなっているかを見ておこうと思った。まあ、ベニヤ板で覆ったような部屋であったから、今も残っているはずがなかろう。

現地へ行ってみると、やはり当時の建物は無かった。
すぐに用事が終わってしまったので、ついでに、近くの菅田庵に行ってみることにした。
入り口はひっそりとしており、観光であっても住宅地に囲まれたこのような場所にわざわざ来る者も少なかろう。


菅田庵入り口

奥に入って行くと、木々が鬱そうとしてなかなか落ち着く。夜はまず歩けまい。
やはり人の気配が全く無く、所々に伸びているタケノコを見ながら道を進んだ。

途中、円形に窪んだ場所が道の脇に現れた。何かの建物があった場所かとも思ったが、もしかしたら沼が干上がったのかも知れない。
我輩は昔から、沼の底がどうなっているかという興味があった。濁った水の底には沼の主がおり、ひっそりと暮らしている。透明度の高いキレイな水であればそんなふうには思わないが、底が見えない濁った沼というのは、妙に想像をかきたてる。

その円形の場所に足を踏み入れてみたところ、靴が少しぬかるんだ。やはり、ここは沼の跡だったのだろう。落ち葉が多く、靴が泥だらけになるのを防いでくれた。
沼の中心まで行って周りを見渡していると、水が溜まっていたであろう場所なだけに妙な気持ちがした。


沼の跡?

その時、人の気配がした。
誰か、来たようだ。
見ると、我輩が来た道を歩いている。そして、我輩と目があった。

雰囲気としては、近所のオイちゃんが散歩に来たようだったので、「近所のかたですか?」と訊いてみた。すると、近所ではないが最近松江市に住み始めて史跡巡りをしているとのことだった。
話によれば、会社を定年で辞め、今は松江城のお堀を船で巡って観光案内をする船頭をしているとのことで、観光について色々と勉強しているようだ。
一方我輩については、島根大学の学生だったことや、茶道部に入っていたこと、そして撮影の旅をしているということなどをオイちゃんに話した。
我輩とオイちゃんはしばらく立ち話をして意気投合し、菅田庵に2人で行ってみることにした。

菅田庵は改修中とのことで、結局は見られなかったが、オイちゃんと別れ際に2人で記念写真を撮った。
オイちゃんの、「一期一会ですねぇ」という言葉が、その時の情景をよく表していたと思った。写真は、その様子を捉えるための、大切なアイテムである。
こういう時にこそ、写真という趣味が活きるのだと、実感した。

オイちゃんは、我輩の「New MAMIYA-6」を見て「お、中判カメラですね」と言った。そして「仕事の様子を撮らせてもらおう」と、我輩がカメラをセッティングしている様子を携帯電話内蔵カメラで撮った。
そして互いに住所交換した後、それぞれに別れた。

この出会いは、朝の遅れが無ければ起こらなかっただろう。時間が10分も違えば出会わなかったのは間違いない。仮に出会ったとしても、すれ違う方向であれば挨拶程度で終わったはずである。互いの行き先が同じだったからこそ、交流が生まれたのだ。
一期一会、我輩が茶道部に入って最初に学んだ言葉だった・・・。


一期一会の記念写真

我輩はその後もしばらく大学周辺を回った。
当時の我輩は理学部化学科の学生だったが、研究室で実験をする際に溶液をスターラーという装置で6時間も撹拌する作業があり、それが終わるまでの間、研究室のみんなでカラオケ屋に行ったものだった。驚いたことに、そのカラオケ屋は当時のままに存在していた。

一通り撮影が終わり、そろそろ陽も高くなってきたこともあり、次は野波海岸へ向かうことにした。
夏にはここで仲間たちと泳いだ場所である。
今では少し整備されており、海の家が建っていた広い砂浜も、陸に近い部分がコンクリートで固められてしまっていた。
それにしてもこの日は風が強く、堤防あたりに行くと飛ばされて海に落ちそうになる。


野波海岸

その次は加賀漁港。
ここから桂島に歩いて渡れる遊歩道があり、そこで見る夜光虫はかなりのもの。
夜行って水面に石を投げ込むと、その波紋の形に光の輪が広がる。波の刺激で夜光虫が光を発するのだという。
この美しさは言葉で伝えるのは全く難しい。かと言って写真に撮れるほどのハッキリした光でもない。この様子を知るには、実際に自分の目で確かめる以外に無かろう。
ただ残念なことに、ここら辺の海は昔から朝鮮半島からのゴミが漂着し易く、ハングル文字の書いてあるプラスチック系漂着物が波打ち際に集まっている。


桂島への遊歩道

さて、今度は「マリンゲートしまね」という施設に行ってみる。
ここは仲間の車に乗って立ち寄った場所だが、どういう施設かは忘れてしまった。ただ、思い出の風景を目にするために行くことにする。
ところが行ってみると、この日は休館日のようで、中に入ることは出来なかった。
仕方無く、松江市街に戻った。

その時、ふと、思い出した。
そういえば、我輩が通った「島根自動車学校」を見ていなかったと。
最近運転を始めた我輩にとって、運転の原点に立ち返る意味でも、ここに行ってみることは重要に思われた。
ここも、昔と何ら変わらぬ状態で存在していた。


島根自動車学校

撮影後、時計を見るともはや12時近く。昼食は宍道湖湖畔の「とびた」へ行くつもりだったが、1時間で食べて戻るのは難しい。やはり、最初の出だしで遅れたのが影響したか。

急遽、近くのうどん屋「たまき」で食べることにした。ここも、ヤスとよく食べに行った所だ。
車を「たまき」の駐車場に入れようとしたが、昼時ということもあり、ほぼ満車状態。店の前はもちろん、横にも広い駐車場があったが、それらが全て車で埋まっている。それでも、入れにくい隅の場所に1つ空きがあった。軽自動車でようやく入れられる場所だった。


「たまき」

店内に入りカウンター席に座り、すぐに注文しようとした。時間の余裕が無く、簡単に出てきそうなものを選ぼうと思ったが、素うどんでは味気ないため、ちょっと考えて「肉うどん」にした。
時計を見ると、12時15分。まずいな、レンタカーを返す前にガソリンも入れなければならぬ。その時間を考えると、10分以内にうどんが出てこなければ困る。店内も混んでいるため、もしかしたら時間がかかるか・・・?

改めて店内を見渡すと、昔の面影は消えていた。表には、「改装オープン」と書かれていたので、最近模様替えしたのだろうか。

待ち望んでいたうどんは10分で出てきた。
それでも時間に余裕があるわけではなく、熱いうどんをハフハフしながら食べた。なかなかコシの強いうどんであったが、あまり味わう余裕が無かったのが心残りであった。


「たまき」の肉うどん

食後、急いで車に戻り、ガソリンスタンドを探した。
そして目に付いたところに入り、満タンを指示した。自分で給油レバーを操作したのは言うまでも無い。
時計を見ると、12時45分。
まったく、最後の最後は余裕が無いな・・・。

給油後はニッポンレンタカーに向かい、車を返却した。
走行距離は176km。九州よりも日数が少ないことを考えると、それなりに走ったと言えよう。

松江駅へ向かい、切符を購入。帰りも「特急やくも」は自由席である。
13時52分発のため時間が少しあり、駅前広場を少し見て回った。ここは、我輩が大学を卒業した後にかなりの大工事をしたようだ。地下に駐車場もある。

やくも車内からは、行きでは見られなかった大山(だいせん)がよく見えた。
学生時代にスキーをした大山・・・。


伯耆富士こと大山(だいせん)

ところで、デジタルカメラ「RICOH GR-D」は、今回の旅でそれなりに活躍した。
露出計用途としてはもちろん、シャツの胸ポケットに入る大きさゆえに、とっさの場面で撮影したのはこのカメラだった。
帰りの車窓からも、おもしろい風景があるたびに、胸ポケットからサッと取り出してシャッターを押した。


車窓から見た「宿り木」?


<旅を終えて>

旅を終えた後、色々な思いが湧き上がった。
その中でも一番強く感じたものとして、「過去の風景は二度とよみがえらない」ということだった。

どんなに昔の姿のままを保った風景があったとしても、それは昔の風景ではない。なぜならば、一緒にいた仲間たちがそこにいないからである。だから我輩は、現在の風景を撮った写真を見て、想像力で当時の様子を懐かしむしか方法が無いのである。

大切な物、それは、今自分が生きているこの時代である。
そのことを言葉では解っているつもりではあっても、普段からそれを意識して、撮るに足らぬ("取るに足らぬ"という言葉を掛けた)風景と思ったとしても、努力して写真に収めていただろうか?
こういうことは、「撮りたい」「撮りたくない」で済ませるような問題ではない。撮りたくなくとも撮るべきものは、身の回りにたくさんある。

それに気付かなければ、時が経った後になって再び、失われた風景を懐かしんで彷徨うことになろう。

さて最後に、撮影フィルムの集計であるが、120フィルムは21本(252カット)、135フィルムは11本(396カット)撮影した。
そしてデジタルカメラのほうは、驚いたことに950カットもあった。もちろん、デジタルカメラでは気を入れて撮影しているものは無いため、フレーミングやシャッターのタイミングなどは甘い。あくまでこちらは、フィルム撮影前の露出確認と、撮影後の記録まとめ用である。永く残すつもりなど全く無い。