2000/04/05
OPEN

表紙

1.主旨と説明
2.用語集
3.基本操作法
4.我輩所有機
5.カメラ雑文
6.写真置き場
7.テーマ別写真
8.リンク
9.掲示板
10.アンケート
11.その他企画

12.カタログ Nikon
 F3 (F3H)
 FM3A
 FM2
 FM
 FE2
 FE
 FA
 FG
 FM10
 FE10
 F4
 F-401X

Canon
 AE-1P
 AE-1
 newF-1

PENTAX
 K1000
 KX
 KM
 LX
 MX
 MZ-5
 MZ-3
 MZ-M

OLYMPUS
 OM-3Ti
 OM-4Ti
 OM-2000

CONTAX
 ST
 RTS III
 Aria
 RX
 S2

MINOLTA
 X-700
 XD

RICOH
 XR-7M II
 XR-8SUPER

カメラ雑文

[457] 2003年12月29日(水)
「出張」

我輩は大学時代を島根県松江市で過ごした。
卒業して次の年に松江に来た時は、在学中の後輩たちが夜のカラオケ大会を開いてくれたものだ。その時は、まだ自分が帰る場所があった。

しかしそれ以来、松江市には帰っていない。九州の実家への通り道でも無く、立ち寄ることが無い。
さすがに10年を過ぎたあたりから、機会を作って松江に行くことを考えたりしたが、それでもなかなか難しい。いつの間にか、今日まで時が過ぎてしまった。

ある時、出向先の職場で、発電所施設の見学ツアーに参加するという話が出た。
水力発電所、原子力発電所、風力発電所など、全国に散在する施設を観光バスで巡るコースである。それらの中には、大阪コースとして島根原子力発電所の見学が含まれているものがあった。一泊二日で、松江市内での宿泊である。
当初、我輩自身が見学参加者になるとは思っていなかったため、特に何も考えていなかった。しかしどうやら我輩も参加するという方向にあるようで、「12月6日〜7日の大阪コースで良いか?」との提示を受けた。我輩は驚きながらも、快く承諾した。

新大阪駅には当日の朝に集合せねばならないため、東京から参加するには前泊する必要がある。前の日の夕方、他の職員と共に新大阪駅近くのホテルにチェックインした。
夜は居酒屋で飲み食いしたのだが、なぜか体調がすぐれずビールジョッキ2杯程度で目が回った。
「マズイ、今からこの調子で松江はどうなる?」
ホテルに戻り安静にしていたが、頭がガンガンして胸が苦しい。帰り道に買った屋台の回転焼を2つ食べたが、それほどウマイものではなかった(回転焼の味は皮の素材が重要)。だがアンコの味が我輩を落ち着かせるのに役立った。

さて次の朝、何とか体調は回復したようだった。
駅前のロータリーにはバスが待っており、早速それに乗り込んだ。見ると、一般参加者は50名ほどいる様子。
バスは予定時間通りに出発し、大阪市内を抜けて中国自動車道を西へと走った。その経路は、持参したパーソナルGPSにより詳細に把握出来た。

最初の目的地は、揚水式水力発電所として有名な「大河内発電所」である。
発電施設自体は地下に造られているため、長いトンネルをマイクロバスに分乗して行くことになる。
我輩は、Kodak EPPを装填した「FUJI GA645Wi」を肩に掛け、その上から上着を着た。別にカメラを隠すわけではないが、背広姿にカメラというのは気恥ずかしい。GA645Wiはコンパクトなボディ故、普通の背広姿にしか見えない。
事前のテスト撮影により、ISO設定は80に設定してある。これでプログラムオートで撮影した。


<大河内発電所施設入り口>


<発電所施設内>

広いフロアに発電機4機が見えた。そこでしばらく説明を受けた後、階段を降りて発電機の回転軸が実際に回っている様子を見せてもらった。「この回転力が電気となり、各家庭へ送られ使用されるのか」と思うと感慨深かった。

大河内発電所の見学を終え、この日の宿泊地である松江へ向かった。移動時間が長いため、1日目の見学は大河内発電所のみである。

夕方、ようやく米子市入り。どんどん懐かしい景色が流れて行くのを目で追った。大学時代、同じ研究室のヤスと車でよく巡ったが、もうその行動範囲内にいる。
それにしても、松江市に近付くほどに景色は暗くなり、遠くは見渡せないのは残念。この地は、夜になれば本当に暗くなる。

松江市に入り、今井書店を過ぎ、トンネルを過ぎ、そして昔かよった自動車学校の近くを過ぎ、バスは信号待ちで停車した。目の前に、ヤスとよく夕食を食べに行った「浪花亭」があった。我輩は、バスが発車せぬうちにと急いでGA645Wiを構えた。ガラス越しだったため、何度か0.7m表示になったが、測距し直して10mになったときにシャッターを切った。
夜景のため、露出を変えて撮影したかったが、マニュアル露出で調節するヒマが無く、露出補正によって調整して素早く2枚撮影した。こういう時、ダイヤル式カメラであれば迅速に露出設定が出来るのだが。


<懐かしい「浪花亭」>

やがてバスは発車し、松江駅を過ぎて市内のホテル前に止まった。
その後、職員たちと2台のタクシーに分乗し、活魚料理の「京らぎ松江店」へ向かった。ここもヤスと1度来たことがある。懐かしい。
我輩はこの後の予定として、夜の松江市内を巡ろうと思い、あまり飲まないようにしていた。それでも前の日に飲んだくらいのアルコールは入ったが、体調が回復したのかそれほど酔うことは無かった。

解散後、我輩は一人、夜の松江市内を歩いて回った。時間は午後9時を過ぎていた。
まず最初に向かったのは、距離の近い和菓子屋「一力堂」。ここで1年間ほどアルバイトをしていた。夜の暗い条件が苦しかったが、ダメ元でスローシャッターを切った。


<和菓子屋「一力堂」>

その後橋を渡って歩いたが、本当に人通りが無く、街全体が真っ暗だった。しかし、知っている街であるから不安は何も無い。
そればかりか、このまま歩いてショッピングセンター「みしまや」や「ふくしま」へ行けば、そこには同級生や後輩が今でもアルバイトをしているような気になる。
友人の住んでいた下宿に行ってみれば、テレビでも観ていて「おう、どないしたんや」と声をかけてくれるような気になる。
自分のアパートの105号室へ行けば、そこは今も我輩の105号室になっているような気になる・・・。

しかし現実には、我輩の帰る場所はもはや何処にも無い。同級生や後輩なども、恐らく大阪などに就職しているだろう。もし、今でも学生時代と同じ生活を送っている者がいたとしたら、それこそ「おまえどないしたんや」と言わねばなるまい。
そのように、あらためて現実を認識すると、何とも言えぬ寂しさがこみ上がってきた。

その夜は、色々な想い出を呼び戻しながら2時間半くらい歩いた。


次の日は8時の集合である。
我輩は6時前にホテルをチェックアウトし、朝から松江城を目指して歩いた。
しかしこの季節であるからまだ暗い。写真に撮るならば、行きではなく帰りに振り返りながら撮影したほうが良い。しかしそれでも露光量は足りず、撮影時は必死にブレを抑えながらシャッターを切った。

さて、集合時間までには戻り、発電所施設見学コース2日目が始まった。
この日の発電所見学は、島根原子力発電所からだった。
だが物騒なご時世のため、原子力建屋には入れず、バスで敷地内をぐるりと走るだけだった。それでも、間近に見る施設には臨場感を感じた。


<島根原子力発電所>

最後の見学発電施設は、安来風力発電設備。
中海のほとりにたった1機の風車がポツンと立っているのみだが、その大きさは想像以上で圧倒された。説明によれば、風力発電所は発電量が100パーセントになることはほとんど無いそうで、通常ならば0〜20パーセントほどだという。だがこの日は12m/sと比較的風が強く、出力600kWの風車で80パーセントほどの発電量があった。
風の強さに応じて羽根のピッチが自動的に変化し、回転数は常に一定とのこと。見たところ、1秒間に1回転しているくらいのスピードだった。巨大な羽根のため、とても速く感ずる。


<安来風力発電設備>

その後、バスは中国自動車道の長い道のりを走り、夕方になってやっと新大阪に到着した。
この行程は事前に判っていたことだったが、この2日間はほとんどの時間がバスの移動時間であったため、疲労もそれなりに感じた。新大阪の駅が見えた時はホッとした。
しかし、懐かしい風景と珍しい風景を見ることが出来たのは、我輩にとって大きな収穫だった。


さて出張から帰宅後、一つのニュースを目にした。

「中国電力は10日から、島根原子力発電所(島根県鹿島町)の一般見学を初めて中止した。自衛隊のイラク派遣が決まり、テロ警戒を強化しようとする島根県警の要請を受けた対応で、中止は無期限という。」

我輩が島根原発の見学をしたのが12月7日であったから、本当にギリギリのタイミングと言える。もし3日遅れていれば、我輩は松江市に行く機会を失っていたことは確実。

これも何かの縁か。