2000/04/05
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表紙

1.主旨と説明
2.用語集
3.基本操作法
4.我輩所有機
5.カメラ雑文
6.写真置き場
7.テーマ別写真
8.リンク
9.掲示板
10.アンケート
11.その他企画

12.カタログ Nikon
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カメラ雑文

[586] 2006年10月18日(水)
「自分のため」

高校時代、我輩が入っていた写真クラブにて各生徒の撮った写真の講評が行なわれていた。
キャビネサイズにモノクロプリントされた各写真。それを、顧問教師が一枚一枚皆に見せながら感想を述べていくわけである。
講評は順調に行なわれていたが、我輩の撮った写真を手にした時、顧問教師の動きが一瞬止まった・・・。

− − −

我輩が写真を撮り始めたのは小学生の頃だったが、当時は家にあったピッカリコニカを使い、気の赴くまま撮りたいものに向けて、ただシャッターを切っていた。
庭木に飛んでくるチョウやトンボ、そして裏山から降りてくるノラネコたち。我輩のお気に入りが、すなわち被写体であった。

中学生になると、毎週1回必須クラブがあり、我輩は写真クラブに入った。
他に入りたいクラブも無かったことによる消極的選択であった。
(参考:雑文278「冬の匂いに想い出す」

必須クラブというのは、文字通り誰もが何かのクラブに入らねばならない。いわゆる選択授業のようなものであるから、何でも自由にやれるという雰囲気ではない。しかも時間枠が決まっている。
そういったことから、無難に時間を過ごすためとして、この写真クラブを選んだわけである。

今でこそカメラは安物が存在するが、当時はカメラというのは貴重品の代名詞であり、中学生ごときが容易に所持出来るようなものではなかった(「PENTAX K2DMD」を所有していた友人のクラッシャージョウなどは、オヤジさんがカメラ好きであったから特別である)。
そのため、写真クラブの活動は座学が中心で、ただ聞いておれば良い。
まさに、我輩の思惑通りの無難な時間の過ごし方であった。

高校に入っても同じように週1回の必須クラブがあり、やはり消極的選択により写真クラブに入った。
ところが高校生ともなると、写真に興味ある者はカメラ所有率もそれなりに高かった。
そういうわけでこちらは、各自がカメラを持って撮影を行い、それぞれが撮った写真を集めて顧問教師が評価していくこともあった。

撮影はモノクロフィルムを使い、課外部活動の写真部が使っている暗室を借りて現像・引伸ばしを行なう。
多くの生徒の作品は、いかにも「健全な高校生写真」というような写真であり、我輩はそれに違和感を持った。確かに、同級生のポートレートやスポーツに勤しむ姿、あるいはスナップ写真は画になろう。高校生らしい写真である。
だが、それは高校生以外の者が観るとそう見えるのであり、高校生当人である我輩にとって興味あるものではなかった。

写真雑誌などのコンテストの総評などでも「高校生のうちに撮れる高校生らしい写真を撮れ」というようなことが書かれていたりする。だが、今しか撮れない写真であっても、そもそも関心無い対象物を撮ることは我輩には出来ない。

当時の我輩は「大人は高校生らしい写真というものを高校生たちに押し付け、その一方で、高校生たちは大人の評価に適うような写真を撮ろうと努力している」という意識が強くあった(実際にそうであるかという問題は別として)。
高校生の年頃にありがちな反体制的な心理と言ったところか。

またそれと同時に、我輩は大人から良い評価を受ける機会が少なかったということについて僻(ひが)みを持っていたのかも知れぬ。確かに当時は受験戦争真っ只中で、高校生ともなれば一年生の頃から大学受験を意識させられた。
大人の評価に適わなければ、受験大学も自由に選べない。

だが写真のような趣味的なものまで大人の評価を気にしながら撮るのは、明らかにバカげていると思った。
そもそも我輩の写真のスタートは、興味ある対象を気の赴くまま撮るというものである。他者の評価など初めから気にして撮ったことは無い。
もちろんこれは、妥協という意味ではなく雑文563「自己満足」で言うところの自己満足写真(=自分が満足する写真が撮れるまで努力を重ねる妥協無き写真)である。それは同時に、他人に理解されることを必要としない。
(その他参考:雑文254「ジンクス」

当時、我輩は高校入学祝いとしてステレオコンポを買ってもらい、カセットデッキはソニー製カセットチェンジャー「MTL-10」を選んだ。これは通称「カセットバンク」と呼ばれ、カセットマガジンに10巻のカセットテープを装填して連続再生を可能としていた。

我輩はこのカセットデッキの内部構造について非常に関心があり、ローディングの調子が悪くなった機会に、ついに好奇心から天板をはずして覗き込んだ。我輩の期待通り、非常に興味を引く構造で、思わず写真に撮ってしまった。

そのフィルムを現像した後にコントラストの強い印画紙に焼き、モーターや配線、フレームなどがクッキリと表現されるようにした。焼き直しも何度か行い、思った通りの濃度になるよう調整した。
そして、自分にとっての見応えある画を得た。
無理やり解説を付けるとすれば、これは我輩の好奇心を写真に表した"作品"と言うところか。

ある日、生徒各自が撮った写真の講評が行なわれた。
それが、この雑文の冒頭のシーンである。
ほとんどの生徒の写真は、非常に高校生らしい写真ばかりであった。顧問教師はそれに対して構図やピントのアドバイスなどを行い、良い作品は誉めた。

やがて、我輩の写真が現れた。天板をはずしたカセットバンクMTL-10の写真である。我輩にとっては渾身の作品であった。ただし、誉められるとは思っていない。
どのような講評をするか、どのような反応があるか。

「???」
顧問教師は、我輩の写真を見て一瞬動作を止め、縦位置にしたりしてみたが、何と言えば良いのか分からない様子であった。
そしてそのまま何も言えずに次の写真に移ってしまった。

正直言って我輩の写真に対する講評が全く無かったのは少し残念ではあったが、今回のことで、「自分は自分だけが認める写真を撮れば良いのだ」という気持ちを改めて強くした。
そして、他の生徒の写真を見ながら、「おまえら、それは本当に自分が撮りたいと思った写真か?大人に媚びるために撮った写真ではないのか?」と心の中で問い掛けた。

我輩の写真は、万人に理解されにくい写真であった。
単純に、自分が求む写真を撮り、それをプリントに焼いた。それだけである。顧問教師向けに作ったものではない。
だが我輩は、敢えて自分というものを重視した。他人のために写真を撮るのではなく、自分のためだけに写真を撮る。だからこそ、自分がシャッターを押すことの意味が生まれるのだ。

変に理由をつけて写真を撮り続ければ、いつか行き詰まったり写真への熱が冷めてしまったりするだろう。
写真の画面中に自分の表現を写し込むのも大事かも知れないが、写真を撮る姿勢そのものも、表現として大事であることを忘れてはならぬ。
写真に対するエネルギーが消えるとすれば、それは、そもそも最初から写真に対するスタンスが間違っていたと言うしかない。

高校時代までの我輩は、それほど写真に入れ込んでいたわけではない。しかし自分の興味というものを、写真に撮ることによって強く意識し、結果的に写真に対するエネルギーが強まった。
写真は視点を固定する意味があるため(参考:雑文313「見方と味方」)、肉眼で漠然と眺めるよりも、写真に撮って視点をハッキリさせることによって自分自身を知ることに繋がり、潜在意識を顕在化させることになる(自分自身というのは意外に本人にも分からないものである)。

あの頃の写真クラブの生徒たちは、今でも写真をやっているだろうか?若い頃のように作品を作りつづけているだろうか?

我輩の、写真に対するエネルギーは尽きることは無い。そのエネルギーは我輩が生存している限り続くであろう。
なぜなら写真を撮ることは、純粋に自分のためであるから。



(参考)
雑文015「写真というものは・・・」
雑文081「写真の情報量」
雑文260「趣味性」
雑文481「写真の情報量(蔵王のお釜)」
雑文487「写真の価値」