2000/04/05
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カメラ雑文

[563] 2006年02月04日(土)
「自己満足」

言葉には、元々の意味とは別に、世間一般に認識されたイメージがある。
それは、誤った意味として使われているわけではないが、限定したイメージに偏らせているために、他の用法を排除することがある。

具体例を挙げるとすれば、「奇特な」という言葉はその代表と言えよう。
これは"感心する行為"という意味が強いのだが、他にも"不思議な・奇妙な"という意味もある。つまり、プラス面とマイナス面のどちらにも使える言葉である。
しかしながら世間一般としては"物好きな"という意味合いで使われることが非常に多く、プラス面の意味は排除されている。
そのため、この言葉をプラスの意味で使ったつもりであっても、マイナスなイメージで受け取られる危険性が高い。

さて、以前雑文487「写真の価値」で書いた点について心配事が一つある。
それは、「自己満足」という言葉についてである。
雑文487「写真の価値」では、以下のように書いた。


写真は、自分さえ満足していれば最低限それだけの存在価値は持つ。
極端な例えだが、パンチラ写真などを撮る者にとって、それらの写真は他人には見せられないものの、確かに自分だけの価値を持つ。他人に評価されるかどうかなど問題ではない。
我輩の撮る写真も自分だけに向けた写真であるため、他人の評価を必要としない価値を持つ。まさにパンチラ写真のような価値である(卑下しているわけではないので注意)。


この文章は、「自分さえ満足していれば」と書いていることからも分かるとおり、まさに「自己満足」という意味である。
客観的評価や他者の評価を適用せず、自分自身が満足することのみを価値基準としている様子を強く書き表した。

しかしながら、我輩はこの雑文487中に「自己満足」という言葉を一つも使わなかった。
その理由は、「自己満足」という言葉が持つ世間一般のイメージが、我輩の表現したい文章の意味を著しく偏向させてしまうと恐れたからだ。
しかもパンチラ写真などを例に挙げたこともあり、「卑下しているわけではないので注意」とわざわざ書き加えて我輩の真意が隠れぬよう努めた。

ただそうは言っても、後日改めてこの文章を読み返すと、我輩の真意は表しきれていないと感じた。
いくら「自己満足」という言葉を使わなくとも、意味として「自己満足」に変換されるのであれば、結局は同じことである。
そこで今回、敢えて「自己満足」という言葉を明言し、それについての我輩の真意を述べることにしたい。


「自己満足」という言葉について世間一般のイメージとしては、"他者の厳しい評価を回避した妥協の産物"という意味合いが強い。
それはつまり、マイナスのイメージである。

確かに、自己の評価基準を決めるのは自分自身であり、自分の都合で基準をいくらでも甘くすることが出来る。そういう意味で言えば、確かに「自己満足」イコール「妥協」となろう。

しかし、自己の評価基準が非常に高いとしたら?
他者の評価を遙かに上回る要求を持っていたとしたら?

以前、雑文254「ジンクス」で書いたが、他人が「どうでも良い」と思っているようなことであっても、我輩にはジンクスに縛られるほどの強いこだわりがある。
一度でもそのジンクスを破ってしまえば全ての努力が無となる強迫観念。それを自らに課しているのだ。
これはまさに、「自己満足」であろう。

例えば、我輩がリバーサル写真にこだわることに関して、「結局はパソコン画面で鑑賞したりプリントしたりするわけだから必要の無いクオリティだ」という意見をもらうことが度々ある。
しかしそれは他者の評価基準であり、我輩の評価基準を到底満たすことは出来ない。
我輩を自己満足させるには、他者クオリティでは全くに不足する。

ここで、雑文355「気概ある者、闘いに備えよ(2)」で書いた言葉を再び書くことにしたい。


マニアをマニアたらしめているのは、クオリティに対する異常なまでのこだわりであり、妥協の無い自分に満足するという、ある種の潔癖さである。


我輩は、自分が満足するまで、金と努力と時間を惜しまぬ。
これこそが、我輩の自己満足。