2000/04/05
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カメラ雑文

[867] 2016年12月08日(木)
「一眼レフは死んだ」


我輩はフィルム時代には一眼レフ至上主義だった(参考:雑文230)。
思い返せば、我輩にとっての一眼レフカメラは特別な存在だった。なぜならば、一眼レフというのはファインダーで見たそのままが写るという、我輩にとって究極マシンだったからだ。
もし一眼レフカメラに触れることがなければ、カメラ・写真を趣味としなかったろう。

子供の頃、生活に余裕が無いのにどういうわけか天体望遠鏡を買ってもらった。ビクセンの6cm屈折経緯台であった。
我輩はそれを夜空に向けて月や惑星を眺めた。初めて土星の輪を見た時は、「今、望遠鏡を向けた先に本当にこんな天体が浮かんでるのか!?」と感動したものだ。
やがて、それらを写真に残したいと思うようになった。

さすがに惑星のような小さな像を写すのは無理だろうが、月面くらいは撮りたい。
そのためには望遠鏡にカメラを接続する必要がある。ビクセンのガイド本には、一眼レフカメラが最適と書かれているが、そんな高級なカメラは自宅には無い。あるのはコンパクトカメラの「ピッカリコニカC35EF」のみ。

<ピッカリコニカC35EF>
ピッカリコニカC35EF

だが一眼レフカメラが無いのならば、今あるものを使って何とかするしかない。
ガイド本には、カメラのレンズが着いたままの状態で撮影する「間接撮影法」というものが載っていたので、それに倣って天体望遠鏡にコンパクトカメラをくくり付けて撮影してみた。

だがこれがなかなか難しい。なぜならば、コンパクトカメラの場合、ファインダーは撮影レンズに平行した単なる覗き窓でしかなく、望遠鏡からの像を確認する術が無い。カメラのファインダーを覗いたとしても、望遠鏡の側面が見えるのみ。
結果は現像してみるまで分からないし、まさに闇夜で鉄砲を撃つに等しい。
我輩は、クリアな素通しファインダーを恨むしかなかった。

ところが一眼レフの場合、望遠鏡にくくり付けると、実際に写る像がザラザラのスリガラス状のファインダースクリーン上に映り、それを目で見て確認出来る。これはまさにすごいことだった。
中古で念願の一眼レフカメラを入手した時(参考:雑文085)、レンズは買えなかったので最初から天体望遠鏡にくくり付けた。ファインダー上で真ん中に見えれば真ん中に写るし、ピントが合って見えれば実際にピントの合った写真が撮れる。当たり前のことなのだが、その当たり前が出来ずに苦労していたから、我輩にとって産業革命にも匹敵するくらいの革命だった。
それが、一眼レフなのである。

このように、一眼レフという形式は、1つのレンズを撮影用とファインダー用に振り分ける、実に巧妙で合理的な仕組みであり、その仕組みは様々なアクセサリを活用出来る汎用性を持っていた。
我輩は子供心に、その合理性と汎用性に心惹かれ、「一眼レフカメラさえあれば、どんな撮影も出来る」と思った。その究極のカメラが、「Nikon F3」だった(参考:雑文083)。

「Nikon F3」は、システムカメラの最高峰である。
一眼レフならではのシステムとして、ファインダーが用途に応じて交換出来、ファインダースクリーンも信じられないほど細かい用途に対応していた(※)。
(※例えば全面マットスクリーンでも、望遠用や広角用だけではなく、開放F値によっても適したスクリーンが用意されていた。)

<Nikon F3用ファインダースクリーン22種>
Nikon F3用ファインダースクリーン22種
Nikon F3カタログより

我輩は、必要になるかどうかは分からないものの、とりあえず全てのファインダーアクセサリを買い揃えることにした。
何でも撮影可能なシステムカメラならば、その全システムを所有しておかねばなるまい。そうでなければ何でも撮影可能とは言えないからだ。

この行為を以ってして、我輩は自らを「一眼レフ至上主義者」と宣言出来る。
逆に、「アクセサリも買わずシステムを必要としない者ならば、別に一眼レフでなくとも良いだろう」と我輩は思うのだ。


さて、時代は下ってデジタルカメラ全盛の現在。
我輩は一眼レフ形式のデジタルカメラを1台も所有していない。ミラーレスカメラのみ。
なぜならば、デジタルの時代、一眼レフならではの利点が無いからである。

かつての一眼レフにはシステム性があった。
しかし現在の一眼レフにはそんなものは全く無い。

デジタル一眼レフカメラを過去から現在まで見渡してみても、ファインダーが交換出来るようなものは1台も存在しないし、ファインダースクリーンも交換出来るようになっていない。一部にはファインダースクリーンだけ交換可能な機種があるようだが、肝心の交換するものが数種類しか用意されていない。そんな狭い選択肢では自分に適したものが見付かるはずもなく、それならば無理に交換せずそのまま使うほうが良いということになる。実質的には無いも同然なのだ。

<一眼レフのメリットはファインダーのシステム性にあり>
一眼レフのメリットはファインダーのシステム性にあり
一眼レフのメリットはファインダーのシステム性にあり

もちろん、現代の一眼レフカメラは、それまで外付けシステムだった機能を内包している面もある。
例えば、モータードライブというアクセサリが消えたのも、内蔵が当たり前になったためである(今やデジタルカメラとしてはシャッターチャージとしての役割すら無くなってきた)。

しかしながら、一眼レフという形式ならではの汎用性を考えると、以前ほどのメリットは無くなったと言えよう。こんな状態だからむしろ、電子的処理によるライブビュー形式のほうがはるかに汎用性があろう。
一眼レフを有り難がる奴らは、そこのところをどう考えているのか?

交換ファインダーが用意されなくなった時、一眼レフは死んだのだ。
だから、我輩にとっての最新最強の一眼レフカメラは「Nikon F3」で止まってしまった。

とは言っても、我輩はデジタルカメラの時代になってからも、一眼レフ形式のカメラを何台か使ってきたことは事実である。
当時、「高性能なデジタルカメラ」とはすなわち「一眼レフカメラ」だった。大きなイメージセンサーや高性能な電子回路はコストがかかるため、高価格帯の一眼レフでしか採用出来なかったせいである。
つまり、一眼レフだからというよりも、単に高性能なデジタルカメラだったから使っていたに過ぎない。

ところが今日、ミラーレスカメラが登場し発展してきたことにより、高性能さは一眼レフとの差が無くなってきた。画質も全く変わらない。一眼レフは単にファインダー形式の話なので、一眼レフであろうがなかろうが、画質に関わることではないのだ。むしろ、一眼レフではバックフォーカスをかせぐために広角レンズにて高画質を得にくいという面すらある。

そんな状況であるならば、一眼レフに固執する意味はどこにも無い。
シャッターレスポンスがどうとか、AF速度がどうとか、およそ一眼レフとは関係ない話を持ち出すあたりどうかしている。それは1製品の問題であり、形式上の宿命とは関係無い話ではないか。

光学ファインダー(OVF)のほうがクリアだと言う意見もあるが、クリア過ぎてピントの山が分からないのが今の一眼レフ。MFの時代はもっとザラザラしていてピントの山が明瞭だったはず。いつの間にやら短所が長所にすり替わってるぞ? そんなにクリアなファインダーが良いのならば、ピッカリコニカでも使えば良かろう。
そもそも、将来的にEVF(電子ビューファインダー)の性能がOVFに追い付かないという確証でもあるのか?

かつて我輩が、コンパクトカメラで天体望遠鏡にくくり付けて撮影していた時、「これが一眼レフだったらなあ」と唇を噛んだ。
フィルム時代の一眼レフとコンパクトカメラは完全に隔絶しており、いくらコンパクトカメラが発展しようとも一眼レフには到達しえないことは明白だった。そこには、絶対的な一眼レフの必要性があった。

しかしデジタル時代の今、一眼レフとミラーレスでは、隔絶感というものは無い。
それどころか、デジタルにはデジタルならではの将来性があり、そこに向かって昇華しつつあるのがミラーレスであろう。対して一眼レフのほうは過去の遺物が足かせとなり、形式として限界点に達しつつある。

今この瞬間の製品群だけを見て「一眼レフのほうが優れている」とするのは、あまりに考えが浅いと言わざるを得ない。
その優劣は、技術が進んでも原理的に避けられないものなのかをよく考えたほうが良い。"一眼レフ"という形式でなければ実現出来ない機能・性能なのかどうなのか。

多分、そんなものは無いと思うがな。


(追記:2016/12/14)

我輩の書くカメラ雑文には、皮肉を込めたメッセージが根底に隠されていることがある。
本雑文においても、隠れたメッセージがあるのだが、今回のメッセージは我輩にとって重要でもあることから、ここで明記しておきたい。

●一眼レフカメラが自らのメリットを放棄したことに対する異論
ファインダーのシステム化によって他には無いメリットをもたらす"一眼レフ"というファインダー形式であるのに、自らそのメリットを放棄してしまった。我輩はそのことに憤りを感じた。
当雑文では、一眼レフという形式そのものが「劣っている」とも「遅れている」とも言いたいわけではない。実際の製品において、一眼レフならではの価値を維持出来なかったことを残念に思うのだ。せっかく一眼レフが一眼レフらしいところを持っていながらも、それを自ら放棄して表面上の改良に終始したのである。一眼レフがライブビュー可能になった辺りから怪しくなった。「ひょっとして一眼レフでなくても良いのでは?」と正直思った。一眼レフならば、そこはウェストレベルファインダーや高倍率ファインダーの出番だろうが。
一眼レフカメラは、進む道を誤ったのだ。絶滅する以外無かろう。
とは言うものの、レトロ路線ながらダイヤル式を復活させた機種もあることから、一眼レフならではのファインダーシステムを拡充した機種も出てこないかと期待もしている。

●一眼レフが無条件に画質が良いとする風潮に違和感
行楽地などでママさんカメラマンがEOS-Kissなどレンズキットの普及型一眼レフカメラを使っているのを非常によく見る。我輩はそういう光景を見て違和感を持つ。「そうまでして一眼レフを選ぶ必要があるのか?」と。
どうやら「画質で選ぶなら一眼レフしかない」という思い込みとでも言うか、一眼レフ信仰でもあるようだ。
ヘナチョコ妻がPTAの広報部にいるので、学校イベントでは一眼レフを持つ広報部ママさんたちが撮った全カットを見ることが出来るのだが、それらは高感度ノイズまみれや強引なカメラ処理ノイズリダクションでベロベロになっており仰天する(特に体育館内など低照度下のイベントにて)。もちろんこれは一眼レフのせいではなく、使い方を誤っているだけのこと。
それにしてもこのような画質で満足であるならば、画質を狙って一眼レフを選んだ意味はどこにある・・・?

●近い将来に対する見通しの甘さ(限界論と不要論)
昔から、「ハードディスク容量は1GBが技術的上限。そんなにあったとしても使い道は無い。」とか「NikonFマウントは径が小さいのでフルサイズに対応しないし、そのメリットも無い。」などという限界論及び不要論が持ち上がることがあった。だが必ずと言って良いほどそれら技術限界は突破され、それと同時に否定的意見が消滅するという歴史を繰り返した。
限界論者は、現時点での技術が根拠となっている。不要論者にしても、現時点の環境が続くという前提で語っている。いずれも現時点の確認であって未来予想ではない。
画素数などはその典型で、表示デバイス(液晶テレビ)が4K・8Kが将来的に確定事項になっているから、高画素化について「可能、不可能」あるいは「要る、要らない」という意見とは関係無く、「絶対にそうなる」と言うほか無い。そうでなくば、将来低画素データはテレビに表示させるにも不足してしまう。
同様に、現在のミラーレスカメラについても限界論があろうとも、非一眼レフであるということの原理的な問題でない限り、一眼レフを超えられない限界点があるとは考えにくい。また不要論があったとしても、不要論で進歩が止まることがこれまであっただろうか?