2000/04/05
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表紙

1.主旨と説明
2.用語集
3.基本操作法
4.我輩所有機
5.カメラ雑文
6.写真置き場
7.テーマ別写真
8.リンク
9.掲示板
10.アンケート
11.その他企画

12.カタログ Nikon
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カメラ雑文

[230] 2001年02月20日(火)
「無くてはならぬ一眼レフカメラ」

「一眼レフカメラ」は、撮影レンズを通った映像をファインダーで確認出来ることが最大の利点である。そのため、どんなに接近して撮影しようが、どんな種類のレンズを使おうが、どんなフィルターを使おうが、実際に写る状態を事前に見ることが出来る。

このように書くと、「実際のボケの具合がファインダースクリーンによって違う」だの、「偏光フィルターの影響がある」だのと細かいことで突っ込まれるかも知れない。だが、原理的には「見たままが写る」と言って良い。

子供の頃、ピッカリコニカの透視ファインダーを覗いていた我輩にとって、一眼レフカメラのファインダー像の実像感は、驚きと感動の体験だった。
見たままが写るということは、努力次第で自分の思い通りに何でも撮れるということだ。そのことが幼い我輩の創造力に火を付けた。

それまでは、どんなに努力しても、天体望遠鏡で見る土星の写真はピッカリコニカごときでは撮れなかった。もしかしたら望遠鏡の接眼レンズの映像がうまい具合にピッカリコニカのフィルム面に投影出来るかも知れない(露出は全く足りないだろうが)。だが、それは目で見て確認出来るようなことではない。ピッカリコニカのファインダーを見たところで、そこから見える光景は望遠鏡の光軸からズレている。望遠鏡の側面がファインダーの右端に見えているだけ。何の助けにもならない。

我輩が初めて手に入れた一眼レフは「Canon AE-1」だと前にも書いた。しかし子供の我輩には高価な買い物であり、当然ながら交換レンズなど同時に買えなかった。
しかし、そんなことは問題ではない。一眼レフカメラを購入した直接の動機は、天体望遠鏡で見る映像をカメラに収めることだったのだ。

実際、我輩は「Canon AE-1」購入直後に庭で天体撮影を行った。
カメラを望遠鏡に接続するアタッチメントが無かったため、ビニールヒモで強引に縛り付けた。多少グラグラしていたが、そんなのはどうでもいい。

試しに月面に向けてみた。
ファインダーを覗くと、そこには晴らしき世界が広がっていた。我輩の一番好きな月面地形「プラトー」。それをファインダーで捉え、シャッターを切った。
カメラが多少傾いていたため、ファインダーで見た映像では端にピントが合っていなかったのは仕方がない。だが、この片側ピンボケが「ファインダーで見た通りに写った」ということに大きな意味を持つ。

この日は我輩にとって記念すべき日となった。どんなに努力しても越えられなかった壁を越えることが出来たのだ。
それを可能にしたのが、一眼レフカメラなのである。

現在、我輩はたまに「ニューマミヤ6」などのレンジファインダーカメラを使うこともある。しかし余程のことが無い限り、普段は一眼レフタイプを選ぶ。それは、我輩が一眼レフのファインダーのおかげで新しい地平を見ることが出来たという体験が、いまだに影響を及ぼしているからだ。

透視ファインダーの手応えの無さは、我輩に不安を与える。ファインダーがクリアであればあるほど、それは我輩にとって心地良くない。
この気持ちは、同じような貧乏臭い体験をしていない者には恐らく解ってもらえないだろう。最初から何の苦労も無く一眼レフカメラに触れていた者は、我輩の不安感を笑うだけだ。


我輩は、たまにカメラのピントを思いっきりボカして覗いてみる。そしてゆっくりとピントを合わせて像を浮かび上がらせていく。透視ファインダーでは見ることの出来ないボケを見て、一眼レフカメラを使っているという再確認を行う。そしてそれが、我輩の原点となる記憶を呼び覚まし、我輩を刺激するのである。