2000/04/05
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表紙

1.主旨と説明
2.用語集
3.基本操作法
4.我輩所有機
5.カメラ雑文
6.写真置き場
7.テーマ別写真
8.リンク
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10.アンケート
11.その他企画

12.カタログ Nikon
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カメラ雑文

[685] 2010年02月24日(水)
「昔はそれが当たり前だった」


ペーパードライバー歴15年だった我輩がクルマを運転するようになってもうすぐ5年になろうとしている。

我輩がクルマを買う動機となったのは、火口湖「蔵王のお釜」を訪れるためであった。
「蔵王のお釜」は山の上にあり、西は山形駅から、東は白石駅から山頂行きバスが出ており、クルマを持たなかった頃はそれを利用していた。

しかしバスは東西それぞれ1日2〜3往復しか無く、もし最終バスを逃すと行程が根底から覆ることになる。実際我輩は、初回から最終バスに乗り遅れてタクシーを呼んでもらう事態に陥った(参考:雑文444)。
それでも我輩は、これまで5回もバスを使って「蔵王のお釜」へ訪れた。ようやくクルマを使うようになったのは6回目からである。

普通の人間であれば、バスに乗り遅れた初回訪問時にクルマの必要性を感ずるだろう。しかし我輩には、そもそもクルマという発想が無かった。運転出来なかったのだから当然である。
だから、今振り返ると「よく不便なバスなど利用していたなぁ」と思うわけだが、当時はそれが当たり前だという認識だった。

もちろん当時は、バスの利用に苦労を感じなかったというわけではない。
しかし「蔵王のお釜」へ行くためには避けられない苦労であり、それが"当たり前"ということなのだ。

ところがクルマを導入してからは、クルマの便利さに手放せなくなり、1日2〜3往復のバス路線などもはや利用する気にもならなくなってしまった。
我輩の中で、これは驚くべき変化であった。

クルマを導入した影響は他にも広がり、例えば九州の実家へ帰省した際は2時間に1本のバスなど眼中に無かったし(そのバスも現在では廃止された)、第二の故郷である島根県へ訪れた時も、手軽なレンタカーで済ませてしまい、風情ある一畑電鉄線に乗る機会を逸してしまった。
とにかく、クルマでの移動が前提となってしまった。

<実家近くの西鉄バス停留所 (現在廃止)>
実家近くの西鉄バス停留所 (現在廃止)

学生時代の我輩は、実家九州の片イナカや、誰も位置を知らないイナカ県の島根にて、クルマ無しで実際に生きてきた。特に島根県などは、先日、民主党の石井一選挙対策委員長が「日本のチベットのようなもので人間より牛のほうが多い土地だ」と発言したほどのドイナカである。

そんな場所でも、バスや鉄道、そして自転車があればどこにも行けた。日本海側特有の大雪の時は苦労したが、それでも「クルマ無しでは生活出来ない」などと思ったことは1度も無い。それは歴然とした事実である。

しかし今、その事実が信じられない。
今では、自転車で2〜3分ほどのコンビニエンスストアに行くのでさえ、クルマでなければ行きたくなくなった。いや、行けなくなった。

人間というものは、一度便利なものを体験してしまうと、もう後戻りは出来ない。
昔からそう思ってはいたが、ここまで強く実感したのは初めてだった。

そこでふと、他のことについて考えてみた。

例えば、携帯電話。
我輩は現在の携帯電話のあり方に疑問を持っているため、いつでも捨てられるようプリペイド式携帯電話しか持たない。しかしそれでも、公衆電話を使う機会がゼロになった。そもそも連絡を取るための選択肢として公衆電話が挙がらなくなった。
最近では公衆電話が減り、そのためさらに携帯電話が無ければ不便になった。まさにスパイラルである。

それはクルマとて同じことで、クルマを利用する人間が増えたことでバスの便数が減り続け、そのせいでさらにクルマが無ければ生活できなくなってしまったのだ。
(逆に交通の便が悪いからクルマが普及したわけではないことは、軽便鉄道やローカル線の廃止の歴史を見れば解る。)

<5年前まで自転車で走っていた道をレンタカーで走る>
5年前まで自転車で走っていた道をレンタカーで走る
かつては国鉄路線だった鉄道も第三セクター運営で1両編成となり便数も大幅に減った。またバス路線のほうは廃止され乗り合いタクシーのみとなった。全てはマイカー普及が原因である。

ならば写真はどうか。
言わずもがな、デジタルカメラの存在である。

デジタルカメラが存在しなかった時代、そして、存在しても性能的に不十分だった時代、我々は何も不便を感ずること無くフィルムで写真を撮っていた。
最大36枚撮りのフィルムを買い、その場で撮影結果が分からぬカメラで撮影し、現像仕上がりまで辛抱強く待ち、ようやく写真映像を手にしていた。

恐らくデジタルカメラを使った者の多くは、フィルムには戻れないであろう。
メモリカード容量次第で何千枚も撮れ、撮影したその場で結果が分かり、現像せずともパソコン上で写真が得られる。
人間というものは、一度便利なものを体験してしまうと、もう後戻りは出来ないのだ。

だが、我輩はフィルム撮影をやめない。いや、やめられない。我輩は、写真には「クオリティ」を求めるからだ。
フィルムには、デジタルではとても到達出来ぬ「クオリティ」がある。

クルマや携帯電話であれば、得られる結果が同じ(クルマの場合は目的地到着、携帯電話の場合は音声通話)であるから、手段は簡単なほうが良い。
しかし写真の場合は、フィルムとデジタルでは同じ結果が得られない。

デジタルカメラでは、便利さと引き換えに光の眩しさと色の深みを失ってしまった。
眩しさの上限は、ディスプレイのバックライトの上限。色の深みの限界は、データ深度の限界。
いくら色の情報量を増やそうとも、それを出力する手段が、現状無い。

こんなことを書くと、「電子化の流れに適応出来ない頭の固いヤツめ」と思われるかも知れない。
しかし我輩はデジタルカメラ歴15年、フォトビクスによるアナログ電子画像化をも含めれば20年近いキャリアを持っている(参考:雑文470)。去年、30万円以上もする「Canon EOS-5D Mark2」を導入したのも心の迷いではない。いやそれどころか、NikonからD700の後継機の発売を待っている状況ですらある。
このように、我輩はデジタルカメラ黎明期からその成長を追ってきたのだ。デジタルカメラに対するアレルギーや偏見は無い。

確かに最近では、ローカル線縮小・廃止の如く、フィルムの利用も厳しくなりつつあるが(我輩の利用していたクリエイトラボの新橋店も先日閉鎖された)、クオリティの面で言えば、デジタル写真は到達する目的地がフィルムとは完全に異なる。

フィルムの目的地へ向かうならば、面倒であっても他に方法は無い。ならば、何を今さら面倒に思うことがあろうか。
昔はそれが当たり前だったのだ。

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