我輩はその様子を見ながら思った。
「その子供は、大人になった時に当時の写真を見ることが出来るだろうか?」
もちろん、データの保存性の話である。
我輩は今までデータ保存の問題について書いてきた。
(参考:
雑文095「データ完全消滅の危険性」、
雑文469「それでもデジタルカメラ」)
先日も、ハードディスクトラブルにより、データを失いかけたばかりである。
それでも、データ保存の問題を先送りにしたまま、デジタルカメラによる画像が増え続けている状態が続いている。
ランニングコストが低いだけに、メモ程度でも気軽にシャッターを押すため、画像の増え方は半端ではない。ヘナチョコ妻にデジタルカメラを貸した時でさえも、フィルムの時と比べて撮影枚数が3倍にもなっているくらいだ。
「重要でない画像は消えても問題無い」という考え方もあるだろう。
確かにそれもそうなのだが、消えても問題無い画像など、そもそも最初からシャッターを切らないとも思う。シャッターを押すからには、それなりの理由があるはず。
そうでなくとも、写真の価値というのはハッキリと区分け出来るものではない。あたかもグラデーションのように連続的に価値が変わるため、仕切りを設けるのはなかなか難しい。
しかも、失敗写真であってもレタッチすれば使える(かも知れない)画像は多い。
そうでなくとも、シロウトというのは撮った写真全てが見せるべき写真となる。
(参考:
雑文146「選ぶべし」)
そういうわけで、とりあえずは全ての画像を保存対象とするしか無い。
ところで、我輩がデータ保存の問題を先送りにするのはなぜかと言うと、突き詰めれば「最適な方法が見付からない」ということである。
まず、ハードディスクに保存したままにしておくのは良くないことは解っている。
ハードディスクというのは、ディスク(媒体)とドライブ(機械装置)が一体となった構造ゆえ、どちらか一方の不具合でもデータが読み出し不能となるためである。
また、パソコンを使う間はずっと駆動している点も不安がある。
では、媒体と機械装置が分離出来る、いわゆる「リムーバブルメディア」ではどうか。
これならば、ドライブが故障しても他のドライブを使えば済むという安心感はある。
しかも、使わない時はディスクをドライブから取り出して休ませることが可能。
ただ、少なくともCD-RやDVD-Rなどの色素系光ディスクは長期保存に向かない。
色素系であるがゆえに光の暴露には弱く、いわゆる色褪せによって数年で読み込み不能になる場合がある。
もし本気で使おうとするならば、一定期間ごとに新しいメディアに保存し直す作業が必要になろう。
そうは言っても、もし365枚のメディアがあった場合、1日1枚ずつ保存し直し作業をすると1年かかることになる。
ちょっとでもサボると、スケジュールがどんどん狂ってしまうため気が休まらない。
ならば、色素系ではなく金属の相変化を利用したMOやCD-RW、そしてDVD-RAMなどはどうか。
MOやCD-RWは容量が小さく問題外で、DVD-RAMも価格の面で負担になる。
そもそも、DVD-RAMドライブが標準装備されているパソコンはまず無い。つまり、一般家庭向きではない。
我輩が思うに、現実的で確実な写真の保存方法として、「デジカメプリント」などの物理的なプリント写真に焼き付けてアルバムに貼るしかない。
フィルムを使うか、メモリーを使うかの違いはあるものの、最終成果物は実績のある従来のものと同じため安心は出来る。
ただ、デジタルカメラによって大量に得られる画像データを全てプリントするとなれば、膨大なコストがかかるのが問題。
良いカットだけを選ぶなど出来ないのが一般人であるから(出来る出来ないという以前に、選ぶという発想すらない場合もある)、もうどうにもならぬ。
・・・他人事とは言え、シロウトの写真保存については非常に気になる。
我輩ですらデータ格納&メンテナンスに頭を悩ますのであるから、一般人は何も対策していないはず。
事前にデジタル画像の保存について対策をせず、目先の便利さだけで一斉にデジタル画像に移りつつある現在。
我輩はそのような状況に本能的に危機を感ずる。
新しいものが出ればすぐに全員乗り換えるというのが我が日本の文化であり、これまでの発展の要因であった。
しかしそれが、今回は裏目に出るのだ。
今後、デジタルカメラで撮られた写真が各地で消滅していくことになろう。
まさに、多様性の無い種が全滅するかのように、写真文化が崩壊するのである。
その時になって、やっと自分たちの状況が危機的であることを自覚するというわけだ・・・。