2000/04/05
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表紙

1.主旨と説明
2.用語集
3.基本操作法
4.我輩所有機
5.カメラ雑文
6.写真置き場
7.テーマ別写真
8.リンク
9.掲示板
10.アンケート
11.その他企画

12.カタログ Nikon
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カメラ雑文

[146] 2000年 9月22日(金)
「選ぶべし」

「我輩くん、写真を撮ってみたよ。」
3年くらい前の話だが、職場で、ある人が自分の撮った写真を見せてくれた。
それは風景写真だったが、同じようなカットがいくつもあった。露出を少しずつズラして撮ったというカットもあった。
なんだか不思議な気分だったが、アルバムのページを繰って行くと、最後のページのホルダー部分にネガが挟んであった。
チラッと見て我輩は全てを理解した。
「そうか、撮影した全てのカットを見せてくれたのか。」


記念写真などでは、ピンボケや露出の失敗などがあっても、写真屋がプリントしてくれたものなら全てを人に見せるのが「暗黙の了解」となっている。
多分、その時の習慣が抜けていないのだろうと推測する。

しかし、失敗写真を見せないからこそ写真が上手く見えるのだ。いやいや、誤解を避けるために正確に言うならば、撮った写真を選ぶという行為も含めて「写真撮影」という作業が完結するのである。

ましてや、リバーサルフィルムなどという失敗しやすいフィルムを使ったりすれば、露出を変えて何枚も撮影したりする。そのようなカットは、既に撮影時点で「どれかが要らなくなる」と了解済みなのだ。そんなものをバカ正直にみんなに見せたりはしないだろう? いくら失敗写真を大量生産したとしても、目的のカットが得られるならば、それは意味のある失敗と言える。

失敗写真の存在があってこそ成功写真が生まれたのであり、そういう意味で必然性があるわけだ。そして、成功写真を1枚見せるだけで、他の失敗写真の重みを伝えることが出来るのだと我輩は考える。
ところが、失敗写真を全て見せてしまえば、撮影意図がボヤけて伝わらなくなり、せっかくの渾身の1枚の価値を失う。これでは、縁の下で支えている失敗写真も浮かばれない。
写真を人に見せるならば、何を見せたいかが分かるよう、事前に写真を選ぶべし。

しかしこれは、写真を見る目を養っておかないと案外難しい。ピンボケやブレなどは、誰が見ても失敗と分かるが、撮影意図が反映されているかどうかという判断は撮影者が決めることだ。得てしてそういう写真ほど、成功と失敗のボーダーライン近くにあることが多い。

ただ色がキレイだからとか、ただ絵になっている気がするとか、それだけの理由で写真を選んで、何か意味があればいいのだが・・・。

気を抜いたり、自分を甘やかしたりすると、成功と失敗のボーダーラインが曖昧になってしまう。写真を選ぶ時にも、撮影時の気持ちを思い出せるようにしたい。
写真を選ぶのは、シャッターを押した本人でしか出来ないことだからな。