2000/04/05
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表紙

1.主旨と説明
2.用語集
3.基本操作法
4.我輩所有機
5.カメラ雑文
6.写真置き場
7.テーマ別写真
8.リンク
9.掲示板
10.アンケート
11.その他企画

12.カタログ Nikon
 F3 (F3H)
 FM3A
 FM2
 FM
 FE2
 FE
 FA
 FG
 FM10
 FE10
 F4
 F-401X

Canon
 AE-1P
 AE-1
 newF-1

PENTAX
 K1000
 KX
 KM
 LX
 MX
 MZ-5
 MZ-3
 MZ-M

OLYMPUS
 OM-3Ti
 OM-4Ti
 OM-2000

CONTAX
 ST
 RTS III
 Aria
 RX
 S2

MINOLTA
 X-700
 XD

RICOH
 XR-7M II
 XR-8SUPER

カメラ雑文

[580] 2006年08月29日(火)
「夏の帰省2006(その1)」

●はじめに

  • 今回も前年のように、長文となっても1つにまとめて書こうと思ったが、あまりに長文となるため複数に分けざるを得なかった。ちなみに掲載日は同日とした。
  • 日頃書いている豚児日記をベースにカメラや撮影に関する記述を加えた文章のため、かなり冗長になっている。
  • カメラや撮影に関する記述については、区別し易くするためこのように着色した。
  • 中判写真はスキャナ作業を省くため掲載は見送る。ただし、中判カメラで撮影したシーンは必ずデジタルカメラでも撮影しているため、デジタルカメラの画像を掲載している。

●事前計画

今年の夏も、九州の実家に帰省することを計画した。
前回はフェリーを利用したため自家用車を使うことが出来、バスの廃止された田舎で家族揃って移動する際に威力を発揮した。
しかしながら予約のタイミングが悪く、関東から離れた新潟県直江津出航のフェリーしか押さえられず、結果的に走行距離が1,119kmにも及んでしまった。
(参考:雑文549「夏の帰省2005」

走行距離の長さは大きな問題であった。
ガソリン価格の高騰もあるし、長距離移動による疲労もある。当然ながら移動距離の長さに応じて事故のリスクも高くなる。
そういうわけで、今年は何としても関東圏からフェリーを利用したい。

調べてみると、神奈川県の久里浜港と大分県の大在港を結んでいるフェリー「シャトルハイウェイライン」というフェリー会社があり、丸一日乗れば到着することが分かった。
ただし船は結構古いものを2隻使っているとのこと。船名はそれぞれ「しゃとる・おおいた」と「しゃとる・よこすか」で、交互に船を走らせている。つまり、久里浜港を「しゃとる・おおいた」が出航すると、同時刻に大在港から「しゃとる・よこすか」が出航するわけである。

ちなみに、ウェブ上の情報を総合すると、どうやら「しゃとる・よこすか」のほうが微妙に設備や性能が良いらしいことから、我輩は行き帰り両方とも「しゃとる・よこすか」となるようスケジュールを組んでみた。
また、盆休みに入る直前の金曜日の夜に出発することとし、有効時間を多く取れるようにすることも考慮に入っている。それに、予約倍率も少しは低かろうと思った。

8月11日(金) 三郷→久里浜港23:10発(フェリー泊)→
8月12日(土) →大分大在港21:30着→大分(泊)
8月13日(日) 大分→湯布院・九重巡り→京都郡(泊)
8月14日(月) 京都郡→実家周辺撮影→源じいの森→京都郡(泊)
8月15日(火) 京都郡→到津の森公園(小倉)→苅田(泊)
8月16日(水) 苅田→親戚巡り→京都郡(泊)
8月17日(木) 京都郡→別府巡り(スギノイパレス&地獄巡り)→大分大在港23:45発(フェリー泊)→
8月18日(金) →久里浜港20:55着→三郷

撮影については、いつもの通りブローニー判をメインとする。
ただし、サブカメラは考える必要がある。というのも、今回は車と自転車を組み合わせることによって機動性を向上させ、多くのカットを得ることを期待している。(参考:雑文571「目標のために」
もし銀塩35mm判を使うのであれば、金銭面でつらくなる。メインは中判でキッチリ押さえておくのであるから、サブカメラはデジタルカメラ「D200」で割り切ることにしたい。その代わり、撮影カット数は500枚が目標。それくらい撮らねば、わざわざデジタルカメラを選んだ意味が無い。


●フェリー予約

予約電話は2ヶ月前の同日9:30から受付ているとのこと。つまり、目標は8月11日出航であるから、予約は6月11日に入れることになる。
ところが土日祝日は電話受付が休みであるため、日曜日である6月11日には予約を入れることが出来ない。その場合、次の営業日である6月12日の月曜まで待たねばならぬ。ただ問題なのは、8月10日・11日・12日それぞれの予約電話が、休み明けの6月12日に集中するということ。3日分の予約が殺到するわけであるから、電話が繋がりにくくなるのは容易に想像出来る。

ところで、月曜日の9:30というのは、すなわち職場にいる時間である。
電話が繋がらなければ業務に支障をきたす。ここは何としてでも一発で予約を決めたい。時間キッチリと電話を入れねばなるまい。
前の日から緊張感が高まる。

6月12日朝、職場に出社。予約開始時間まで間があるため、小さな仕事を一つ済ませる。
その後、時報117番で自分の時計のズレを確認し、9時30分丁度に電話をかける準備をしていた。
あと10分で勝負か。
手元のメモには予約時に必要な項目を書き出しておき、少しでも短時間に予約が取れるように下準備した。電話が繋がったとしても、話をしている間に予約が埋まる可能性もあると考えたからだ。

しばらくの間、隣の同僚と客先から受け取った原稿について話をしていたのだが、ふと気付くと9時31分。
血の気が一気に引いた。
急いで予約の電話を入れようとしたが、恐れていたとおり話し中で繋がらない。何度も何度もかけ直したが、「ツー、ツー、ツー」と音がするだけ。
時計の針はどんどん進んでいく。電話は繋がらない。

業務中ということもあり、会社の電話で何度も電話をかけるのは目立つため、携帯電話からかけることにした。
これならば、表示画面で繋がったかどうかが判り、仕事をしながらでも机に置いた状態で時々リダイヤルのボタンを押すだけで済む。
しかし何度も何度もリダイヤルするが、一向に繋がる気配が無い。

そして30分後の10:00頃、ようやく呼び出し音が鳴った。
「やった」と思ったが、もう30分も経っているため予約が埋まっている可能性が高い。心臓がドキドキする。今回ダメだとすると、予定が根本から覆ってしまう。
早く電話に出てくれ・・・。呼び出し音が長く感ずる。

「ガチャ。」
電話が繋がった。

声を出そうと息を吸い込んだと同時に、お姉さんの声が聞こえた。
「ただいま、電話が大変込み合っていますので、しばらくしてからおかけ直し下さい。・・・ガチャ。」
一方的に切られてしまった。
「くそっ、繋がったとしても、これか。」

最悪の事態が頭をよぎる。
去年は直江津発フェリーでさえ午後の電話では希望どおりには予約が入れられなかった。今回のように東京発(正確には"横須賀")のフェリーでは、30分経過というのは致命的。
「まったく何ということだ、折りたたみ自転車まで買ったと言うのに・・・。」

その後、再びリダイヤルを続けた。
同じ事を何度も繰り返すと、それに対する意識が薄れてくる。
仕事の合間に携帯電話のボタンを決まった順番で押す。表示が消えれば再びボタンを押す・・・。
10時33分、最初に電話をかけ始めて1時間経った頃だった。ふと携帯電話の表示を見ると、「呼び出し中」となっていた。しばらくボーっと見ていたが、ハッとして受話器を耳に近付けると、確かに呼び出し音が鳴っていた。
だが、電話が繋がっても喜ぶのはまだ早い。またテープ音声で終わる可能性もある。

だが今度は本当に繋がった。
「シャトルハイウェイラインです。」
よく聞くと、電話の背後からは他の受付らしき声が聞こえている。やはり、何回線かあるのだろう。

予約するため希望の日程を告げると、「空きを確認します」と保留になった。
我輩の気の焦りもあったためか、保留はかなり長く感じた。
「もしかして、やはりダメだったか? 去年は帰りの便で希望の日が取れなかったためやむなく別の便にした経緯があるが、まさか今回も・・・?」

それにしても、携帯電話であるから電波が途切れるのが怖い。ここで切れてしまえば努力が水の泡。せめて連絡先を言うまで切れないことを願うのみ。

しばらくして保留が解除された。
「予約が取れました。」
よーし、これで一安心。
こちらの連絡先や自動車の長さ等を伝え、予約番号を取った。
その後、「料金の確認をします」とのことで、再び保留で待たされる。料金の計算であるから仕方無いのだろうが、この保留も長かった。

料金は、往復の合計が140,100円。
去年の直江津発博多行きフェリーは約10万円だったことを考えると少し高いが、直江津までのガソリン代や高速料金を考えると妥当なところ。
そればかりか、灯火の無い夜中の高速道路を数時間走る必要も無く、しかも今回は1等船室で完全なる個室である。部屋にはテレビも設置されている。

結局のところ、この電話の通話時間は7分36秒(携帯電話の画面に表示されている)であった。こんな調子ならば、何度かけても電話が繋がらないのも納得出来る。


●出航前

出航数日前から豚児が風邪をひいた。熱はあるし、夜になると咳もしている。
しかし本人はすこぶる元気で、本当に熱があるのかと疑うほど。
すぐに熱は引いたものの、念のために病院に連れて行った。船に乗っても良いかと医師に訊いたところ、問題は無いでしょうとのこと。

ところが問題はそれだけでなく、台風7号・8号・9号と立て続けに発生し、日本に近付いていた。
どうやら8号と9号のほうは沖縄や台湾付近に進路をとっているようだったが、7号のほうは紀伊半島を目指して近付きつつあった。しかもその速度は遅く、早く通過してくれれば良いものを、じらすかのように低速度で進んでいた。

シャトルハイウェイラインのウェブサイトを見ると、8月7日は欠航となっていた。
まあ、出発の11日までには天候は回復しているだろう。
しかしながら、1日欠航するとなれば、「しゃとる・よこすか」と「しゃとる・おおいた」の交換が行われないわけであるから、11日は狙っていた「しゃとる・よこすか」には乗れない。「しゃとる・おおいた」である。

だがこの心配は無用であった。なぜなら、翌8月8日も欠航となったため、結局は2回交換が行われず、11日は予定通り「しゃとる・よこすか」に乗ることになった。
ちなみに、8月9日以降は通常運行となっていた。


●8月11日(金) 1日目
<久里浜港23:10発(フェリー泊)>


この日、15時頃に会社を早退する予定であった。
帰宅後に車を洗い、荷物の最終積み込みをし、風呂に入り、そして夕食を摂る予定。
早退の話は2ヶ月前から職場で調整済みだったため、キッチリと15時には職場を出ることが出来た。

ところが上野駅で携帯電話が鳴り、客のクレーム対応が始まってしまった。我輩は客と制作現場とのやり取りを行い、帰宅した後もそれが続いた。そのため、洗車しながら電話対応するような間抜けな形となってしまった。
しかし何とか同僚が外出先から帰ってきて対応を引き継いでくれたため、この件は我輩の手を離れた。

さて、21時までには港に着かねばならないらしい。
自宅から港までは道のりで100kmあるのだが、首都高の混雑を考えると2時間はかかると見た。それに若干の余裕を入れて2時間半。つまり、自宅を出るのは18時半が目標。
まあ、道のりの大半が高速道路であるから、もし混雑が無ければ逆に早く着いてしまうかも知れない。そんな心配までしていた。

荷物を積み込み、車載ビデオカメラをセットし、豚児とヘナチョコ妻を後部座席に座らせ、ほぼ予定時間に出発。
途中、コンビニエンスストアに寄って翌朝の朝食を買い込んだりしたが、時計を見るといつの間にか19時。ヘナチョコを急かして車に乗り込み、車を発進させた。
道はそれなりに車が多かったが、流れは悪くない。もし高速道路が混雑していたらということが頭を過ぎったため、いつも乗るインターチェンジを通り過ぎて少し先のインターチェンジで首都高に乗った。意外にも混雑していない様子だったのでスピードを上げた。
カーナビゲーションシステムの到着予定時刻表示は20時40分となっている。

ところが両国あたりまで来た時、前方の暗闇にハザードランプの点滅が見えた。悪い予感がする。スピードを落としながら近付くと、完全なる渋滞であった。
5分ほど停まったかと思うと、数メートル動き、また停まる。到着予定時刻がどんどん先に延び、21時30分となってしまった。
ヘナチョコにフェリー乗り場に電話をかけさせたところ、21時30分に着くようになっているとのこと。21時までというのは勘違いらしかった。だがそれにしても間に合わない。フェリー乗り場の案内の人によれば、最悪22時30分まで来れば間に合うとのこと。それを目指すしか無い。

渋滞中(車載ビデオカメラ映像)

首都高を降りたほうが早いか?しかし出口まで行くだけでも時間がかかる。余計なことをして事態を悪化させるのはよくあるパターン。ここはこのまま辛抱することにする。
到着予定時刻は22時を回った。
たった3.5kmを進むのに1時間かかっている。
「う〜む、これはホントに間に合わんかもな。」

渋滞表示板(D200撮影)

職場からは、ビルの間から首都高が見える地点がある。
昼間、「ああ、あとでこの道を通るんだなあ。」とのんびり考えていた。それがまさか、こんな時間に走る・・・いやノロノロ運転することになるとは・・・。
そんな時、職場の同僚の携帯電話から電話が入った。
「いくら渋滞でも電話には出られん。何かあったのか気になるが、呼び出されても今さらどうにもならん・・・。」
電話のコールが止んだあと、ハッとした。
「フェリーに乗り遅れたら、呼び出しを断る理由が無くなる。しかも皮肉なことに、ここから職場まではすぐそこ・・・。」

深夜であるから、フェリーに乗り遅れれば他の選択肢が無い。本来ならば船に乗った後は就寝する予定だったのだから、予定を変えて夜通し運転で九州を目指すなど不可能。
色々と心配していると、渋滞域を越えたのか徐々に車が動き出し、幾つかの分岐を越えると通常通りに車が走れるようになった。しかも追越車線にはほとんど車が走っていない状態である。不思議なことに、多くの車は走行車線にて列をなして時速80kmくらいで走っていた。まるで追越し禁止の道路のようだった。

一方、我輩の車については、直前のノロノロ運転がエンジンやバッテリーに悪影響を与えたのではないかと心配したが、特に不具合も無くエンジンは順調に回り、走行車線の車を追い抜きながら何とか久里浜港には22時に到着出来た。
ただしガソリンがかなり消費されていたのは仕方が無い。暑い夜であるから、渋滞中であってもエアコンを切るのは難しかった。

急いで乗船手続きをとり、車を船のほうへ移動させた。
乗り場では誘導員によって車が整列され、船首部にある搭乗口より順次乗り込んだ。
去年利用したフェリー会社では、原則として同乗者は別のバスに乗って乗り場へ向かうことになっているのだが、このフェリー会社では、同乗者もそのまま車に乗って船に乗り込むことになっている。


フェリー搭乗口(車載ビデオカメラ映像)

フロントで乗船券を渡すと、一等室のルームキーを渡された。2人部屋個室である。
ベッドが2つであるが、豚児はヘナチョコと添い寝をすることになる。
救命胴衣が1着しか無かったため、フロントの女性にそのことを言ったところ、後で持っていきますとのこと。しかしなかなか持ってこない。午前12時になるとフロントもいったん業務を終えてしまうため、再度言いに行ったところ乗組員が1着持ってきた。
「1着しか無いのはおかしいですね〜。」と言っていたが、豚児分が無いと言うと「子供用を持ってきましょう」と言ったまま二度と来なかった。もし万一のことが起こったら、我輩の分を使わせるしか無い。

船内のフロント(D200撮影)

窓から外を見ると、フェリーはすでに港を離れ、ビリビリと激しく振動させながら速度を上げていった。
真っ暗闇の中に浮かぶ小さな灯火がゆっくりと後ろへ流れて行く。
うねりがあるのか、ゆったりと上下の揺れを身体に感じた。船室自体もミシミシ言っている。もしかしたら、船酔いするかも知れぬ・・・。

ヘナチョコと豚児は早々に寝たが、我輩は船室にあるコンセントを使ってノートパソコンで港で撮影したデジタルカメラ写真を見たりして過ごした。
テレビもあったが、衛星放送以外は電波の入りが良くない。

そのうち、揺れのせいか頭が重くなり、我輩も寝た・・・。


●8月12日(土) 2日目
<→大分大在港21:30着→大分(泊)>


朝起きてみると、窓の外は真っ白で何も見えなかった。
「何だ?」と思って下のほうを見ると船体が波を立てているのが見えた。
「そうか、霧か・・・。」
我輩は一瞬、窓が白く曇って外が見えなくなってしまったのかと錯覚した。

携帯GPS端末「GARMIN」で計測したところ、紀伊半島沖を航行中であることが分かった。
相変わらずゆっくりと大きく揺れており、頭が重くてしかたない。
ヘナチョコも気分が晴れない様子。
ところが豚児はこんな時でも元気で、ベッドの上でデタラメなダンスを踊ったり、お尻ペンペンなどをやって我輩をからかって馬鹿笑いしている。
「おまえはいつも変わらんなあ・・・。ホントうらやましいわ。」

ダンス中(D200撮影)

せっかくの一等室であるから、フィルムで撮影するかと「BRONICA SQ-Ai」を出した。ところがストロボを取り出そうとしたところ、どこにも見当たらない。
「そんなバカな、携行品リストを作ってチェックしたはずだ・・・。」
しかしどんなに探しても見当たらない。もしかしたら、車に忘れてきたか?いやそんなハズは無い。撮影関係の機材は別の場所に置いておくことは考えられぬ。

室内撮影において、ストロボが無いということは撮影不能を意味する。
そういえば、2年前の帰省時にも同じようなことがあったが(参考:雑文503「夏の帰省日記(1)」)、再び同じような状況に陥るとは情けない・・・。

九州の母親に連絡して大分県のカメラ屋を探してもらおう。
携帯電話はもちろん圏外であるため、船舶用の公衆電話を使って電話した。
北九州ですら大きなカメラ屋が無かったのであるから、大分県では期待するだけ無駄かも知れぬ。
とりあえず、行きの船内の写真はフィルムでは撮れない。それは仕方無いため、帰りの船で撮ることにしよう。どうせ、帰りも「しゃとる・よこすか」なのだから。


さて、朝食はコンビニエンスストアで仕入れたおにぎりなどを食べたが、昼食はフェリーの食堂で摂ることにしていた。時間は12時〜13時までと短い。急いで行ったが、満席に近い状態になっていた。そのため、禁煙席には座れなかった。

我輩は事前情報で楽しみにしていた「海軍カレー」を注文。ヘナチョコと豚児もそれぞれに別のメニューを頼んだ。
しかし期待の海軍カレーだったが、飯が柔らか過ぎ、肉も脂身が多過ぎて今ひとつであった。
さらにヘナチョコと豚児はそれぞれ半分も食べなかったため、我輩がそれらを引き受けることになってしまった。
ヘナチョコはともかく、豚児も食べなかったのは計算外・・・。

我輩は満腹のため、そしてヘナチョコは体調不良のため、それぞれしばらく動けなかったが、豚児は相変わらず元気であった。
そんな豚児の気を紛らすため、操舵室見学ツアーの案内があった時、すぐに申し込みをした。

操舵室では、船長殿が各機器の説明をしてくれたりした。
船長殿の話によると、この船は渋滞5km分を持って来たくらいの搭載量があるとのこと。
レーダーなども見せてもらったが、今のレーダーは我輩のイメージとは異なり、他の船の進行方向や速力なども画面上でカラフルに表示されていた。

操舵室見学(D200撮影)


操舵室見学(D200撮影)

こういう対象物は、フィルムで記録するまでもないが、興味深い対象であるから、ここはデジタルカメラで撮影しまくった。こういう時は内蔵ストロボが役に立つ。操舵室だけで50枚くらいは撮ったろうか。
このような調子で撮っていくと2GBのメモリではすぐにいっぱいになるため、船室に戻ってすぐにパソコンにデータを移した。こまめにやらなければ、データを移す時間だけでも馬鹿にならない。


夕食時、ヘナチョコはいよいよ起き上がれなくなり、我輩は豚児を連れて食堂へ行った。
我輩もあまり食べられそうもないため、とりあえず2人で1食分の「生姜焼き定食」を頼んだ。我輩は1食分くらいは食べられるつもりだが、豚児分の余りが来るとツライのだ。多いよりも少ないほうがまだマシ。
ただそれにしても、2人で1食分を食べる姿は、少し侘(わび)しいものがあった。

食後はデッキに出て夕方の景色を楽しんだ。
風が強く、船のエンジンの排ガスが少し煙かった。
左手を見ると、陸が見えている。GPSで確認したところ、大分県であることが分かった。予定時間はともかく、距離としてはもう目の前である。
「あれが九州だよね!」
豚児が言ったので、頷いてやった。

GPS画面(D200撮影)

九州上陸後、我輩は母親と連絡を取り、カメラのキタムラが別府にあるという情報を得た。
しかしながらこの日はすでに21時を回っていたため、カメラのキタムラへは翌日行ってみることにした。

とりあえず、大分駅前のビジネスホテルにチェックイン。 このホテルではインターネットが使えるため、改めてカメラのキタムラについて検索してみた。すると、サンパック系のストロボを取り扱っているとのこと。ならば、ベストセラーの「SUNPAK B3000S」くらいは置いているだろう。予定外の出費だが、「SUNPAK B3000S」であれば1万5千円くらいで手に入ろう。
心配事が無くなったため、我輩は安心して明日に備えて休養した。


夜の大分駅(D200撮影)



●8月13日(日) 3日目
<大分→湯布院・九重巡り→京都郡(泊)>


この日は、大分県から福岡県に入るまでに湯布院・九重観光をしておこうと思っていた。
事前情報によれば、「やまなみハイウェイ」という道が景色雄大で素晴らしいとのこと。牧場や地熱発電所などを回ってみようと思う。
ただ、それよりもまずカメラのキタムラへ向かい、サンパックのストロボを入手せねばならぬ。

朝の大分駅(D200撮影)

ホテルの駐車場が9時まで無料ということだったので、9時頃出発。
大分市から別府市まで20分くらいで、カメラのキタムラの開店時間10時まで間がある。途中、コンビニエンスストアに寄って買い物をしたりしたが、それでも間がもたない。

朝とはいえ日差しが強烈で、外にいると目眩(めまい)がしてくる。
カンカン照りの中でエンジンを止めると車内の温度が上がってしまうのだが、ヘナチョコの体調が悪いとのことで、開店前のカメラのキタムラの駐車場でやむなくアイドリングしたまま休むことにした。船酔いではなく、どうやら風邪のせいらしい。
風邪の身体でさえ暑く感ずるのであるから、この日は湯布院・九重行きは中止とし、別府スギノイパレスの大ホールで休むことにした。
どうせ、帰りにまた大分県へ行くのであるから、湯布院・九重観光はその日にすれば良い。

さて、しばらく待っているとカメラのキタムラのシャッターが開いた。
ヘナチョコの財布を借り、さっそく店内に入って「SUNPAK B3000S」があるかどうかを訊いてみた。すると、あっさりと「在庫無し」の返事。
「じゃあ、別のストロボは?」と訊いたが、ストロボ系はNikonかCanonの専用品しか無いとのこと。
「そういうものはコジマ電器さんあたりで売ってるかもしれませんね・・・。」と言われてしまった。


カメラのキタムラ別府店(D200撮影)

我輩は信じられぬ気持ちで車に戻った。
別府市には、他に大きな店舗は無い・・・。どうすれば・・・?
そこで、ふと思った。
Nikon用専用ストロボであっても、ホットシューはJIS規格であるから使えないことは無い。もしこれがマニュアル発光可能であれば、フラッシュマチックで撮影は十分可能である。外光調光可能であれば尚良い。
しかも、Nikon D200を所有しているから、その後はこのカメラ用として活用も出来る。

我輩は再度カメラのキタムラに入り、Nikon製ストロボの在庫状況を訊ねた。
すると、6万円くらいの「SB-800」と3万円くらいの「SB-600」しか無いとのことだった。
カタログを見て比べてみると、両方ともマニュアル発光は可能ではあったが、外光調光は「SB-800」のみ可能である。しかし6万円も出せないため、結局は3万円の「SB-600」を購入した。
それでもサンパックストロボの値段の約2倍。


Nikon SB-600(D200撮影)

購入後、急いで車内で開封し、一通り操作してみた。
まず、シュー部分が金属製であるのが素晴らしい。これまでのストロボは、各社共通にシュー部分は樹脂製であった。それが金属製となって樹脂特有のしなりが無くなり、スムーズな装着を実現している。
また、ロック機構もワンタッチで、従来のようなネジ式ではなくなったのは有り難い。
さらには、マニュアル設定が電源ON/OFFでキャンセルされないのが良い。


さて早速、スギノイパレスへ向かい、駐車場で車を停める。
やはり、車を降りると真夏の熱気が襲ってくる。我々は早足でスギノイパレス屋内へ急いだ。
夏休みであるから人入りが多いかと思ったが、それほどではなかった。

スギノイパレス(D200撮影)

スギノイパレスは座敷形式の大ホールを中心に、屋台コーナーやゲームセンター、ボウリング場、そして温泉入浴が楽しめる。もちろん、大ホールに負けない面積の土産物コーナーもある。
例えるならば、健康ランドの温泉地版と言えるかも知れない。

別府周辺に住む者なら、子どもの頃から慣れ親しんだ施設である。我輩自身も、子供会の遠足や家族旅行などで何度行ったか数え切れない。

スギノイパレス内(D200撮影)

大ホール入り口では幕の内弁当を売っていた。
屋台コーナーのラーメンでも持ち込むかと悩んだが、ヘナチョコの体力を付けるために色々とおかずの入ったほうが良いだろうと幕の内弁当を買った。
大ホールは冷房がかなり効いており、ヘナチョコは少し寒そうだったので、長袖上着を着せて横に寝かせておいた。

しばらくするとホール内の照明が落ち、なんとシロウトカラオケ大会が始まってしまった。
幸い、ヘナチョコはどんなにうるさくても寝られるという特技があるため、我輩は豚児と共にカラオケ大会を見ながら弁当を食べた。

そして、先ほど購入したばかりのストロボ「SB-600」をテストしてみた。
バックライト付きで暗闇でも操作がし易い。
フラッシュマチック撮影でなくとも、デジタルカメラであるD200で前撮影を行い、その撮影設定で本番撮影をすれば良いだろう。
ワイドアダプターも内蔵されているが、見たところ、ワイドアダプターを使わずとも照射範囲はカバー出来ているように思う。


大ホール(D200撮影)

カラオケ大会が終わり、しばらくすると、ウルトラマンショーが始まった。
最近のウルトラマンは色々なモードがあるそうで、今回はルナモードと呼ばれる状態で登場した。
まあ、たくさんのモードを使い分けるよりも、単純な要素を思い通りに操れるようになったほうがウルトラマン自身のためになるのではないかと思ったが、気持ちを切り替えるという意味では、それなりの効果があるのかも知れない。

Nikon D200での撮影では、動きのある被写体のためISO800まで感度を上げて撮影した。もちろんストロボ光が届かない距離のためストロボは使っていない。ISO800くらいに感度を上げるとさすがにノイズが乗るが、思ったほど酷いものではないので実用出来る。

ウルトラマンショー(D200撮影)

今回のショーでは、ウルトラマンが闇雲に敵を倒すのではなく、相手の心に訴えて戦意を喪失させるという戦い方を見せてくれた。
バルタン星人は、自ら侵略を止めて去って行ったのだ。
「戦いだけで勝ち取る平和は、本当の平和じゃない・・・。」この言葉に、豚児の目から涙がこぼれたのには少々驚いた。

涙を流す豚児(ビデオカメラ撮影)

確かに、子ども相手にしては着ぐるみの演技もかなり練習されていると感ずるものだった。日替わりアルバイトが適当に演技しているものでは決してない。
セリフの内容が解らずとも、練習された演技と照明と効果音によって、子どもでも気持ちが高ぶるのであろう。
子ども向けだからとバカにしておくにはもったいない内容であった。

続いてこの後、中国雑伎団の演技が始まった。
一昔前にテレビで観たものよりも、演出に工夫が凝らされていたように思う。ただ、撮影禁止とのことで映像は何も残っていない。

一通りの出し物が終わった後、大ホールは再び休憩所になった。
ヘナチョコは少し弁当を食べた後にまた横になって寝ていたが、豚児は元気を持て余しており、近くの「子供コーナー」へ行きたいと言い出した。
我輩ももう少し休みたかったが、ヘナチョコの体力が豚児に吸い取られているのを見かねて豚児に付き合うことにした。

子供コーナーでは、他の子供と一緒に遊ぶ豚児を「Nikon D200」と「SB-600」の組合わせで撮影した。
「RICOH GR-Digital」の場合、連写性能があまり良くないため次の撮影までしばらく待たされることが多かったが、「Nikon D200」はさすがに一眼レフタイプのデジタルカメラだけあって、連写性能は満足出来る。
もちろん、実質的には秒間何コマという性能は使う場面が少なかろうが、次の撮影準備が迅速であることのメリットは大きい。


元々、豚児は内弁慶気味で、外では初対面の子供が近付くとオドオドしていたのだが、最近は初対面の子供でも一緒に遊ぶようになってきた。
ここでも、一時の友達を作って楽しそうに遊んでいた。
ほんの数十分間の友達でも、親が来て一緒に帰る姿を見ると少し寂しさが湧いて来る。豚児は友達見えなくなるまで手を振っていた。

子どもコーナー(D200撮影)

さて、少し落ち着いた頃、スギノイパレスの土産物コーナーで土産を買ってから福岡県京都郡(みやこぐん)の実家に帰ることにした。
ここの土産物コーナーは色々なものがあって楽しい。杉乃井ホテルに宿泊して、湯上がりにでもゆっくり回りたい気分だ。

車に乗り込み、別府ICから大分道に乗る。
一般道に下りて椎田有料道路を通り、実家に到着。2時間ほどの道のりで、すっかり夕方になっていた。
この実家には、豚児の曾ジイちゃん、曾バアちゃんが居る。
北九州に住んでいるバアちゃん(我輩の母親)も、間もなくやってくる予定。

ヘナチョコは気分が悪いため着くなり水枕で寝かせた。病院に連れて行こうかと考えたが、盆休みであるから開いているところを見付けねばならない。実家にはインターネットなど無いため、我輩の母親に調べておいてもらうことにしていた。

夜、家族が揃い、家の前で花火をして楽しんだ。


(その2へ続く)