2000/04/05
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表紙

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カメラ雑文

[544] 2005年08月01日(月)
「無謀な青二才」

ヘナチョコ妻とケンカした。
原因は新居のカーテンについてである。

ヘナチョコは、オーダーカーテンの値段の高さに溜息をついた。新居の窓が既成カーテンのサイズとは全く異なるためである。
聞くところによれば、ヘナチョコの知り合いはカーテンにこだわって一部屋に15万円もかけたらしい。まあ、それは極端な例。
ただ我輩は、学生時代にデパートで安売りカーテン/カーペット屋でアルバイトしていたため、「よほど凝らなければあんな単純な布切れ如きに金がかかるわけがない」と感じていた。

オーダーカーテンを選ぶ理由の一つとして、個性を主張したいということがあろうかと思う。大量生産の布地はコストを下げるが、似たものが多く流通することになる。柄や織りや縫製も種類が少なく好みに合うものが限られてくる。
しかしながらカーテンマニアでもない我が家で、なぜにこのようなオーダーカーテンを選ばねばならぬのか。それがサイズだけの問題だとしたら、全く金の無駄としか言いようが無い。

そこで我輩はヘナチョコに提案した。
「カーテンなど、自分で合うように調整して縫えば出来るだろう。」
見れば、カーテンの作りは非常に単純で、やる気さえあれば何とかなりそうだった。生地そのものが高価であるならば、数千円の既製カーテンで大きめのサイズを裾上げなどすれば良かろう。
これは我輩のシロウト考えだが、出来ないという理由が思い付かない。恐らく、可能である。

実はこの提案は以前からのものだったが、もうそろそろ現実問題として取り組まねばならぬ時期に来ていた。
ヘナチョコは強い口調で反論した。
「単純に見えても実は難しい。縫い物を職としている知人がそう言っている。」

ヘナチョコは縫い物を職としている知人の意見を、そのまま鵜呑みにしたかあるいは我輩の提案を否定する材料として利用したわけであるが、我輩にとってそれはあまり説得力を感じなかった。

その筋に詳しい者の意見というのは、裏を返せば常識に囚われた意見でもある。確かに体系的な知識や技能持っているに違いないが、豊富な知識と経験により、無謀さが失われてしまっているのだ。
(参考:雑文297「挑戦なき者」

無謀さが失われているということは、若さを失っていることでもある。我輩はそういう意味では"怖いもの知らずの青二才"とも言える。
しかしながら、それこそが我輩のエネルギーでもある。

我輩は動物好きであるから、シェトランド・シープドックのぬいぐるみを何匹か買ったことがある(本物はさすがに飼えぬ。牧羊犬であるから、相当な運動を保証せねばならない。)。しかし毛の長い犬種のためかあまり製品化されておらず、あっても不細工であったりする。
そこで我輩は思った。
「気に入ったものが無ければ、自分で作れば良い。」
針と糸で縫い合わせれば良いのだから、やろうと思えば誰でも出来るはず。

思うのは簡単、作るのは困難。
今までぬいぐるみ作りはおろか縫い物すらしたことが無かった我輩である。しかし目的を持ち、「必ず実現出来るはずだ」という1パーセントの霊感を信じて突き進んだ(参考:雑文456「中判フィルムスキャナ(霊感と汗)」)。
目的を持っている限り、「困難」というのは止める理由にはならないのだ。

その結果、我輩は目的をやり遂げた。自分のイメージに合うシェトランド・シープドックのぬいぐるみを、現実の世界へ現すことに成功したのである。


共通の型紙で2匹製作した

知識と経験が豊富な者は、「未経験者には難しいことだ」とアドバイスするだろう。
実際やってみて分かったが、例えば最初の型紙の段階でかなりセンスが必要だった。立体に起こすための型紙であるから、単純ではない。
縫い方にしてもほとんど自己流であり、ボタン付けすら本来の正しい方法を知らない。そんな我輩が、長い毛が植わったメッシュ生地(ムートンのカーペット生地)を切って縫い合わせる努力をした。
やってやれないことは無い。

新居の1/50スケール模型の製作も同様。
それまでプラモデルは作った経験があったものの、フルスクラッチ(部品から作り出す完全自作)は未経験であった。しかしいつもの無謀さを発揮し、バルサ材とカッターナイフで作り始めた。

しかし細かい部品に至るまで水平垂直をしっかり作り込まなければ全体的に形がズレてくる。柔らかいバルサ材ゆえに、長いラインで刃を入れると曲がり易い。
またバルサ材は木繊維がスカスカなため、断面に無数の細かい穴が空いている。そこをパテ埋め研磨しなければ壁が一体感を持たない。
階段も段数が決まっているため、一段あたりの高さが厳密である。小さなズレがあってもそれが累積して階段全体の高さが合わなくなる。
さらに塗料は、実際に使う予定のサイディング(外壁材)とコロニアル(屋根材)のサンプルを建築会社から借りてきてそれを参考に色調合した。塗料は乾くと微妙に色合いと艶が変わるため、色とツヤ消しを少しずつ確かめながら混ぜていったのだ。もちろんサイディングは1色ではなく柄があるため、その風合いを再現することが大変だった。


各階が分離出来、レイアウト確認が可能な構造とした

ただ、我輩のやっていることは至極単純である。
フローチャートで言えば、「出来るまでやる。出来なければ出来るまでやめない。」ということ。このフローチャートは下手をすると無限ループに陥るが、我輩は自分を信じているから有限ループで終わると思っている。
これは無謀な賭けだが、怖いもの知らずの青二才だからこそ挑戦出来るのである。

人間、経験を前向きに活かせれば良いのだが、大抵のヤツは不可能を正当化するための材料にしてしまう。その結果、可能性を自ら閉ざすのだ。
そういう意味で、若者には無限の可能性があると言われる。この言葉は、単純に「残りの人生が長い」という意味では決して無い。若者特有の、無謀さが有るか無いか。それが未来を変えるエネルギーである。
人間に寿命があるのも、そういった活力を維持するための新陳代謝と言える。世の中の人間が全て経験豊富になれば、確かに安定はするだろうが閉塞状態に陥ってやがて矮小化する。

我輩は過去に中判魚眼カメラを自作したが、大した工作機械やノウハウの無い我輩がこのようなカメラを作ることは、自作を経験した今になって考えれば無謀なことだったと言わざるを得ない。カメラ自作に必要な精度など全く知らなかったのである。
今一度同じものを作れと言われれば、微妙なフランジバックの調整などを思い出して尻込みするだろう。しかし、別の自作カメラには無謀な挑戦をするに違いない。必要ならば、液晶カメラにダイヤルをネジ込む。何か問題が発生すれば、そのつど潰して行くだけの話。


このカメラは我輩の無謀さの象徴

雑文151「冒険野郎マクガイバー」でも書いたが、絶対的な意味での不可能というのは無い。それが信じられるかどうか。
それだけで未来は変わる。

何かやり遂げようとする者は、経験者に意見を求めるよりも、自分を信じてまず飛び込んでみることを勧める(もちろん、自分を信じられねば飛び込んでも上手くは行かないが)。


ちなみにカーテンの件は、結局のところ既製カーテンを裾上げ無料サービスがあるとのことで、それを利用することにした(出来ないはずがないと思った)。これにダブル式の伸縮カーテンレールを加えて10万円。カタログ通販だともっと安いが、生地が確かめられないのでこれはやめた。