2000/04/05
OPEN

表紙

1.主旨と説明
2.用語集
3.基本操作法
4.我輩所有機
5.カメラ雑文
6.写真置き場
7.テーマ別写真
8.リンク
9.掲示板
10.アンケート
11.その他企画

12.カタログ Nikon
 F3 (F3H)
 FM3A
 FM2
 FM
 FE2
 FE
 FA
 FG
 FM10
 FE10
 F4
 F-401X

Canon
 AE-1P
 AE-1
 newF-1

PENTAX
 K1000
 KX
 KM
 LX
 MX
 MZ-5
 MZ-3
 MZ-M

OLYMPUS
 OM-3Ti
 OM-4Ti
 OM-2000

CONTAX
 ST
 RTS III
 Aria
 RX
 S2

MINOLTA
 X-700
 XD

RICOH
 XR-7M II
 XR-8SUPER

カメラ雑文

[521] 2005年01月26日(水)
「手の届く相手」

先日、出会い系マッチングサイト「Match.com International」のインターネット調査によるアンケートで、30代独身女性の4割が「自分を"負け犬"と思う」と回答したというニュース記事を見た。
負け犬になった理由として、「出会いがなかった」(37%)、「相手はいたが、結婚に踏み切るタイミングを逃した」(32%)、「理想が高すぎて妥協できなかった」(29%)とある。

"負け犬"という表現はなかなかインパクトがあるが、「上手くいくはずだった人生設計が狂ってしまった」という女性の気持ちを如実に表していると言える。なぜなら、本人の意志で独身を貫くのであれば、"負け犬"などという意識を持つはずがない。

ちなみに我輩は、20代の頃に何度か見合いをやったことがある(参考:雑文047「実際の製品とは異なります」)。
やむを得ないことなのだが、見合いでは打算的になることが多く、結局のところ年収の高くない我輩には太刀打ち不可能だと悟った。
それにしても、今ふと考えると、「理想が高すぎて妥協できなかった」と答えた女性がその相手の一人かも知れない・・・?

女性側にとって結婚とは重要な問題である。もちろん、男性側にとっても重要であることに違いないが、女性は結婚する相手によって人生がガラリと変わるのだから、重要度は男性側の比ではない。
しかし若い頃にいくら男性にモテたとしても、それが永遠に続くわけではない。高スペックな男性を選り好みをしているうち、いつしか歳を重ね、取り巻きは去ってしまっていた・・・。
まあ恐らく、理想にかなった相手が現れたとしても相手にされなかったというのが真相ではないだろうか。



さて、雑文188「冬の匂いに想い出す」でも書いたことだが、我輩が最初に一眼レフカメラに興味を持ったのは、中学時代の必須クラブであった。
天然スキンヘッド先生のOLYMPUS OM-1(?)とレフレックス望遠レンズを使い、サッカーをしているクラスメートを撮影した。
カメラは三脚に据えられており、クラブ生たちが順にファインダーを覗いてシャッターを切るのである。

我輩は当時、家にある目測・手巻き式のプラスチック製カメラ「ピッカリコニカ」を使って写真を撮っていたのだが、それに比べると、ガラスと金属で出来た一眼レフカメラの緻密感には大変感動した。
(恐らく、金属カメラを好む者は過去に我輩と同じような感動を経験しているのではないかと思う。)

フォーカシングスクリーンのスリガラスに浮き上がる映像は、まさに撮影レンズから入った映像であるというリアリティがあり、ボンヤリとしたアウトフォーカスの結像がピントリングを回すにつれてだんだんハッキリとしてくる。
そして、シャッターを切った時の瞬間的なブラックアウト。
レンジファインダーカメラを好んで使う者に言わせれば、それらは一眼レフ特有の"短所"であるとされているのだが、我輩にとっては"長所"である。

クラブ活動で撮影したその写真は、後日光沢フチ無しプリントされてシャッターを切った生徒達に配られた。
背景がボケて人物が引き寄せられた望遠写真。絶対にピッカリコニカでは撮れない写真だった。
当時、フチ無し写真は珍しかったことも影響していたかも知れないが、一眼レフで撮られたそのプリント写真は、心なしか今までにはない重みを感じた・・・。


中学生当時、友人「クラッシャージョウ」の愛用カメラはPENTAX K2-DMDであった。シャッターダイヤルの形状がシャープで美しく、「これを調節することによってどんな写真でも撮れるんだろうな」という、秘めたる可能性を感じた。
しかしながらペンタックスというブランドは地味であり、何よりジョウが愛用しているカメラのブランドであることに抵抗があった。

その頃、科学雑誌NewtonでNikon F3が取りあげられ(参考:雑文083「F3の第一印象」)、我輩は一目見てそのカメラの優秀さを感じ取り、「このF3というのはカメラの王者に違いない。ジョウのK2-DMDなど、このカメラの足下にも及ばん。いつかF3を手に入れよう。」と思った。

我輩はカメラ屋へ行き、「Nikon F3」のカタログを入手した。ついでに、「Nikon EM」、「Nikon FM」、「Nikon FE」のカタログも持って帰った。
カタログを広げると、F3はまさに大人の使う道具であることを感じた。それは今思えば、カタログでは数々のアクセサリが掲載されており、撮影状況に応じて様々な形態に組み上がるいわば"システムカメラ"としての貫禄だった。
「このカメラがあれば、どんなものでも撮れるな・・・。」
我輩は生唾を飲み込んだ。

当時のニコンのカタログには価格は載っておらず、別途価格表を見なくてはならない。
「いち、じゅう、ひゃく、せん、まん・・・、うわ!高っけーわ!」
我輩は、Nikon F3の価格を見て落胆した。
ボディのみの定価が13万円くらいである。とても我輩の手の届くものではない。仮にボディが手に入ったとしても、交換レンズが無ければ何も出来ない。
我輩は、F3ボディと数本の交換レンズやアクセサリの値段を計算し、その金額を紙に1000円単位のマス目として書いた。そして、今持っている小遣いの分だけマス目を塗り潰してみた。しかしそのマス目の終点は遥か先にあり、ほとんど絶望的だということをすぐに実感した。

そこで目を移し、同じNikon製の安いカメラを考えることにした。
手元にあるカタログは、「Nikon EM」、「Nikon FM」、「Nikon FE」。
その中でEMはボディのみ4万円と比較的安く、お年玉の時期を経れば何とかなりそうな感じに思った。レンズまでは手に入らないが、ボディが安ければレンズまでの到達は早かろう。

しかし、シャッターダイヤルが無いのは困った。これでは思い通りに動かせない。
安いNikonであるのは確かに魅力なのだが・・・。
そうかと言ってFMやFEにするのは難しい。EMですらやっと買えるかどうかというレベルであるのに、FMやFEなど無理である。
それでもFMとFEのカタログはボロボロになるまでよく読んだ。

そんなある日、カメラには中古という選択肢があることを知った。
それまで、我輩の行動圏内にあった隣町のカメラ店(その多くは「高千穂カメラ」)には中古が無かったため気付かなかったのだが、北九州市の大都市小倉に行った際、デパート「井筒屋」のカメラ売り場にあった中古コーナーがあることを知った。

中古カメラとは、誰かが一度手にして使ったカメラだそうである。
ショーケースのガラス越しに見ると、確かに新品とは言えない状態。角の黒塗装が剥げ、真鍮色が覗いている(我輩は黒ボディのカメラしか眼中に無かったため、それしか印象に無い)。
その中で、我輩は一番安いCanon AE-1に狙いを付けた。価格は1万5千円。これならば、貯金をもう少し貯めれば手が届く。

それから間もなく、我輩は中古のCanon AE-1を手に入れた(参考:雑文085「想い出のファインダー」)。初めて手にする、自分だけの一眼レフであった。まだ交換レンズは買えなかったものの、ボディだけでも手に入れた甲斐はあった。

AE-1には、今まで使っていたピッカリコニカには無かった様々な機能があった。見えるものがそのまま写真に写せるだけでなく、シャッターの開く時間さえも自分の思い通りに制御出来る。
いくら中古のボロカメラであろうとも、その当時の自分にはそれがお似合いであったのだ。そして、それが手の届く所にあった。

もし我輩がNikon F3にこだわり続けていたならば、中学の頃から貯金を始めたとしても高校生になってもまだボディのみが買えるか買えないかという状態だったはず。
それはまさに、理想が高すぎて妥協できなかった"負け犬"の状態か。

カメラの場合は、我慢していればいつか買えるという意味では、結婚とは違うかも知れない。だが、お気に入りのカメラはいつまでも待ってはくれない。金が貯まる前に生産終了となれば、それこそ"負け犬"そのもの。
F3にこだわらず、新品にこだわらず、とりあえず手の届くカメラに手を出した我輩は、中学時代の楽しい写真生活を送ることが出来たわけだ。

適度に妥協し、負け犬になる前に写真ライフを始めよう。