2000/04/05
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表紙

1.主旨と説明
2.用語集
3.基本操作法
4.我輩所有機
5.カメラ雑文
6.写真置き場
7.テーマ別写真
8.リンク
9.掲示板
10.アンケート
11.その他企画

12.カタログ Nikon
 F3 (F3H)
 FM3A
 FM2
 FM
 FE2
 FE
 FA
 FG
 FM10
 FE10
 F4
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Canon
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カメラ雑文

[426] 2003年05月18日(日)
「愉しみの回収」

現在、新たに手に入れた「写真工業」5年分をスキャナ作業中。
やっと3年分が終了したところである。しかし、あと2年分残っていることを思うと気が重くなる。

もちろん、空白の号が埋まるのは嬉しいこと。特に、「Nikon F3」が発売された1980年のものが手に入ったことは、一つの達成感すら感じさせる。
だがスキャナ作業によって我輩自身の時間が割かれるのは結構ツライ。
いくらパソコンであろうとも、手放しで書籍を電子化出来るわけではない。やはりそれなりの手間と時間をかけねば電子化は不可能である。
そして、今回の「写真工業」の電子化が終わったとしても、他に電子化を待っている書籍が山とある。まさに、終わり無き闘い。

そもそも我輩が書籍の電子化を始めた動機は、少容積化とハンドリング向上のためであった。それはつまり、閲覧性を高めることが目的である。

デジタルデータは重さも容積も無い。唯一、それを記録する媒体に依存する。それゆえ、媒体の密度が高くなれば単位情報量当たりの重量・容積が小さくなる。将来的には、書斎の本全てが手のひらに乗ってしまうことも夢では無い。
こうなれば、パソコン上でサッと目的の書籍を開いて読むことが可能となる。本棚の奥の方に埋もれて取り出せないなどということも無くなる。

しかし現実は、デジタルデータ化の作業が非常に膨大で、遅々として進まない。もちろん、可能な範囲で機械装置による合理化を進めてはいるが、手作業や人間の判断が必要な割合が大きいために合理化にも限界がある。

そんな時、ふと思う。
「もしかして、このままスキャン作業で一生を終えてしまうのか・・・?」
もしそんなことになれば、本末転倒も甚だしい。
閲覧することを目的とした作業であるはずが、作業そのものに追われ、閲覧する時間を失う。後々の愉しみのために作業をしているというのに、その作業で一生を終えてしまえば愉しみの回収が出来ないではないか。
しかしながら、これは書籍だけの問題では無かった。写真の趣味でも、同じ状態に陥りつつあった・・・。

最近、フィルムの消費が以前に比べて多くなった。
一時期多用していたデジタルカメラの撮影テンポが影響したのか、シャッターを切る回数が増えている。
それに加え、我輩特有の「後悔無く生きよう」とするために、遺しておきたい現在の風景(秩父鉄道や別府温泉、万博タワーなど)を次々に増やした結果でもある。

気が付けば、我輩は写真の撮影と整理することに追われ、それを閲覧する時間を失っていた。
写真の整理が完了すれば、その時点でとりあえずホッと安心する。そして、次の撮影に気持ちが向く。ずっとその繰り返し・・・。

以前にも書いたように、我輩が写真を始めたきっかけというのは、「写真を観る」ためであった。これは、誰でも同じであろうと思う。最初にカメラを買って「さあ、何を撮ろうか」と考える者はあまりいない。いるとすれば、趣味に飢えていた者が、習い事として必要性も無く写真という趣味を選んだ場合くらいか。
(もちろん、撮影行為そのものに面白味を感じることは必要なことではあるが、それはあくまで写真という結果を得るための副産物でしかない。自分自身がその写真を観たいと思わない写真など、撮って何の意味があろうか。)

ところが、撮影と整理に追われるようになると、肝心の「観る」という最大の目的が疎(おろそ)かになってしまった。
後でゆっくりと鑑賞したい。だからこそ、我輩は写真を撮る。特に我輩は、写真の情報量趣味性を見出し楽しむのであるから、時間をかけて写真を鑑賞したいという思いが強い。

世の中には、定年後に写真の趣味を始める者もいるに違いない。
我輩はそれとは逆に、定年後は趣味としての写真撮影はパッタリと辞め、本来の趣味である写真鑑賞に移行したいと思っている。もし定年後に写真を撮るならば、愉しみの時間がまた先に延びるではないか。
若い頃に撮り溜めた写真を、ゆっくりとした時間の中で鑑賞する。我輩にとって、これ以上の愉しみはあるまい。

スキャン作業に追われる現在のように、愉しみを回収出来ぬ老後にはしたくない。