2000/04/05
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表紙

1.主旨と説明
2.用語集
3.基本操作法
4.我輩所有機
5.カメラ雑文
6.写真置き場
7.テーマ別写真
8.リンク
9.掲示板
10.アンケート
11.その他企画

12.カタログ Nikon
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カメラ雑文

[810] 2014年02月11日(火)
「2013年年末帰省日記(5日目)」


大晦日は九州での最終日となる予定。
東京行きの新幹線に乗るのは18時半なので、そこから逆算してレンタカーの返却は17時としている。つまり、具体的に17時までクルマを使う予定があるわけではない。場合によっては早めに返却しても良かろう。

昨日は我輩の単独行動だったので、せめて最終日は母親をどこかに連れて行ってやりたい。せっかくレンタカーがあるので、どうせならばクルマでなければ行くのが難しいような所を選ぶのが良かろう。
さて、どこにするか。

前の晩、コタツに入りながらWebで色々と観光スポットを検索して探してみた。
母親はインターネット接続にはWi-Fiルーターを使っているので、我輩もそれを利用してAndroidタブレットからインターネット接続出来たのだが、情報は色々と出てくるものの、漠然とした探し方をしているので「これだ!」というような所はなかなか見付からない。

そこで母親本人に訊いてみたところ、少し考えて「山口県の角島(つのじま)へ行ってみたい」と言う。
「角島? 聞いたことが無い名前の島だな・・・。」などと思いながらも、どれくらいの距離があるのかポータブルナビで調べてみると、なんと、その場所は既に我輩自身でお気に入り登録してあるではないか。どういうことだ?

改めて「角島」をWebで調べてみると、その場所は確かに見たことのある光景であった。島へ延びる長大な橋が優雅で美しく、恐らく誰もが観光記事などで一度は目にしたことがあるのではないかと思う。ただ、その島が山口県にあることや、島の名前までは覚えていなかった。

それにしても、その場所へは片道2時間近くかかるようだ。昨日の福岡行きと同じか少し遠いくらい。2日続けての2時間ドライブというのも少々気疲れするが、かと言って他に良い場所も思い付かない。
まあ、いずれは行ってみたいと思っていた場所だったことは、既にポータブルナビに登録されていることからも明か。行き先は決定した。

<北九州から角島までのルート>
北九州から角島までのルート
[OLYMPUS E-P5/14mm/ISO200] 2013/12/31 08:49

とは言っても、やはり橋だけでは間がもつまい。ヘタすればただ行って帰ってくるだけになりかねない。経路の途中で他のスポットにも寄れるよう考えておく必要がある。
そこで考えたのが「特牛駅」であった。

「特牛」は「こっとい」と読み、難読駅名として駅鉄界では大変有名である。もっとも、我輩は小学生の頃からこの場所を知っているために難読だという意識は全く無い。
我輩がなぜ特牛を小学生の頃から知っているのかと言うと、昔、母親の勤めていた会社の社員旅行(有志旅行?)で行った地だったからだ。
もちろん、当時の映像記憶は断片的に少しあるだけで、知っていると言うほどでも無いわけだが、記憶を辿る旅としてもそれなりに意味があろう。行ってみなければ分からないこともあるはず。

それから北九州に戻る時に、2年前に行った下関の「火の山公園」(参考:雑文732)へ寄ってみようかと思う。豚児やヘナチョコ妻を連れて行ったが、母親とは行ったことが無い。

さて計算上、このルートだと時間が余ってしまう。他に観光スポットを追加しても良いかも知れないが、あまりギリギリに行程を組んで、もしもの時に間に合わなくなっても困る。
そんなことを考えていると、母親が「小倉のリバーウォークできゃりーぱみゅぱみゅの衣装展示やってるからそこも良いねえ」と言う。なるほど、それならば小倉駅近くなので時間調整が楽になる。

そういうわけで、最終日の行程が決定した。

●12月31日(火)
当日、アパートを出たのは8時40分頃。年末の早朝のせいか、クルマの往来も少なくひっそりとした印象。
レンタカーを停めたコインパーキングまで歩いて行き、母親を助手席に乗せて出発。なかなか良い天気で角島行きにはちょうど良い。

北九州市内を抜け、関門海峡を目指す。
30分ほど走って関門トンネルの入り口に到達。2年前と同じように、フグの口からトンネルに入る。

<関門トンネルの入り口はフグの口> ※トリミング
関門トンネルの入り口はフグの口
[OLYMPUS E-P5/14mm/ISO200] 2013/12/31 09:19

トンネルの中は、当然ながら海の底をくぐり抜けるので、下った後に再び上る。その様子が見えるのが面白い。ただ、実際に走っていると頭上に海があるというのはなかなか実感しにくい。透明な天井にしてくれれば実感があろうが、土木技術的・コスト的に実現不可能であるばかりか、走っているほうとしては恐怖感があろう。

<関門トンネル内を走行> ※戻り時に撮影
(※画像クリックで長辺1200ドットの画像が別ウィンドウで開く)
関門トンネル内を走行
[OLYMPUS E-P5/14mm/ISO200] 2013/12/31 14:28

「トンネルを抜けると、そこは雪国だった」という小説の一節があるが、関門トンネルを抜けるとまさにそんな感じがした。と言うのも、路線バスとすれ違ったのだが、西鉄バスと違うカラーリングの山口のバス。ほんの数キロしか離れていないのに、バスの違いだけで町の風景がガラリと変わって見える。

<山口のバス>
山口のバス
[OLYMPUS E-P5/14mm/ISO200] 2013/12/31 09:30

角島まで片道2時間弱。下関市街を抜け、海沿いの道を走る。外は寒いが天気が良いのでまさにドライブ日和。カーラジオでもかけたいところだが、どうやら後付けの高機能オーディオらしく操作が複雑で、色々やったがラジオ機能を呼び出せなかった。

まあ、こういう機会でもなければ母親とゆっくり話をする機会も無い。走行中は、助手席に座った母親と昔の話をした。
我輩の子供の頃の話は我輩の記憶を補間・補正するものであったし、我輩が生まれたばかりの頃のエピソードが聞けた時は新鮮であった。昔の田舎の話なのでそれほど良いエピソードは少ないわけだが、昔の話に腹を立ててもしょうがなく、「当時はこういう時代だったんだなあ」とむしろ時間の経過を感じた。

<母親と話をしながらのドライブ>
母親と話をしながらのドライブ
[OLYMPUS E-P5/14mm/ISO200] 2013/12/31 10:13

10時半頃、角島に架かる橋のたもとにある駐車エリアに到着。
長大な橋のスケールは素晴らしいものがあるが、写真に納めるとなるとなかなかすぐには難しい。恐らく定番構図となるスポットがあるに違いないが、事前調査をしていないせいで、適当にウロウロして撮るほか無かった。こういう所は1度来ただけでは自分が納得するよう撮り切ることは出来まい。
ただし、少なくとも天気には恵まれたことは幸運だと言うしか無い。昨日の天気を思い出すと強くそう感ずるのである。

<角島へ渡る>
(※画像クリックで長辺1200ドットの画像が別ウィンドウで開く)
角島へ渡る
角島へ渡る
[OLYMPUS E-P5/14mm/ISO200] 2013/12/31 10:42-10:53

一通り撮影した後、いよいよ橋を渡って角島入りしてみる。
あまりに橋が立派なので有料ではないかと一瞬思ってしまうが、出入り自由で気軽に渡れる。ただ、走行中は意外に海が近くに見えるので、さすがに台風が来れば気軽とは言えまい。

<角島に架かる長大な橋> ※トリミング
(※画像クリックで長辺1200ドットの画像が別ウィンドウで開く)
角島に架かる長大な橋
[OLYMPUS OM-D E-M1/12-40mm/ISO200] 2013/12/31 10:46

橋を渡り切ったすぐそこに、また同じような駐車スペースがあったのでとりあえず入ってみた。
少々逆光気味になったが、反対側からの景色もまた雄大である。

<反対側からの眺め>
反対側からの眺め
[OLYMPUS OM-D E-M1/12-40mm/ISO200] 2013/12/31 11:00

ただ、やはりこの季節のせいか観光客はあまりおらず、しばらくいると他のクルマは出て行ってしまい、ピンク色のクルマ1台だけが取り残されてしまうのが寂しい。

<残されたピンク色のクルマ>
残されたピンク色のクルマ
[OLYMPUS OM-D E-M1/12-40mm/ISO200] 2013/12/31 11:04

その後、しばらく島内を走ってみたが、特別面白そうなところは見当たらず、道の駅のようなところで小休止とした。他の観光客の出入りもあった。食事処もあるので、時間的に少し早いがここで昼食としようかと思う。

付近を歩いてみたところ、海が近いせいか側溝に砂が溢れている。まるで砂漠化の波が押し寄せるアフリカのようだ。恐らく、風に飛ばされてここまで積もったのだろう。

<側溝が砂で溢れている>
側溝が砂で溢れている
[OLYMPUS E-P5/7-14mm/ISO200] 2013/12/31 11:22

何となく砂の上を歩いてみたところ、どうも砂の感触が不思議に思う。普通の砂よりも妙にサラサラして軽い。
砂を手に取ってよく見てみると、どうやらこの砂は鉱物性のものはほとんど含まれておらず、貝殻が粉砕されたものらしいことが分かった。ここは貝砂の多い島なのか、あるいは軽い貝砂だけが風に乗って選択的に側溝に埋まったのか。

<貝砂>
(※画像クリックで長辺1200ドットの画像が別ウィンドウで開く)
貝砂
[OLYMPUS OM-D E-M1/12-40mm/ISO200] 2013/12/31 11:20

さて、そろそろ昼食としようかと食事処へ行ってみた。LED式の電光掲示板が色々なメニューを表示しており期待が持てる。
ところが入り口へ近付いてみると、妙に人の気配が無い。見れば、12月31日から1月3日までは休みとのこと。それなのになぜ電光掲示板が活動しているのか分からない。消し忘れか・・・?
仕方無いので本土に戻って食べるところを探すことにしよう。どうせまだ昼食には早い。

橋を渡り、来た道を戻る。途中、特牛駅に寄る予定なのでポータブルナビの指示に従って道を折れる。
「本当にこんな道の先に駅があるのか」と言いたくなるような場所も通った後、特牛駅に到着。

<特牛駅>
(※画像クリックで長辺1200ドットの画像が別ウィンドウで開く)
特牛駅
[OLYMPUS OM-D E-M1/12-40mm/ISO200] 2013/12/31 11:45

特牛駅周辺には何も無く、過去の記憶にも合致する所は無かった。そう言えば、小学生の頃に特牛に来た時は列車ではなくクルマに分乗したような気がする。そうであればこの駅には来たことは無いのも道理。
しかしローカル線の駅舎としての雰囲気は満点。

<特牛駅正面>
特牛駅正面
[OLYMPUS OM-D E-M1/12-40mm/ISO200] 2013/12/31 11:45

そんな時、背後からバスが現れた。
バスは駅前で停車し、乗客を降ろしている。こちらのクルマが少々ジャマになっているようだったので気が気でない。駅なのでバスが来ても不思議ではないだろうが、まさか途中の細い道をこんな大きなバスがやってくるとは思いもしなかった。

<こんな所にバスが来た>
こんな所にバスが来た
[OLYMPUS OM-D E-M1/12-40mm/ISO200] 2013/12/31 11:46

バスが通り過ぎる時、ナンバープレートが見えたが、緑色の部分が擦れて薄くなっていた。余程永く使われ、毎日拭かれて大切にされているのだろう。我輩はあまりバスの型式には詳しくないのだが、フロント部分は旧さを感じなかったが後部ドアがスライド式というのはやはり年代物なのではないかと思う。

<ナンバープレートの色が薄くなっている>
ナンバープレートの色が薄くなっている
[OLYMPUS OM-D E-M1/12-40mm/ISO200] 2013/12/31 11:46

特牛駅ではそれほど長く居る理由も無く、クルマに乗って下関市街へ向かった。この辺りでは食べる所も無かろう。他に観光スポットも無いので、いっそこのまま下関へ戻り、火の山公園のレストランで昼食とするか。

途中、滝部駅の前を通ったところ、バスが停まっていたので急遽寄ってみた。
こうしてジックリ見ると、バスのカラーリングがなかなか渋い。これまで西鉄バスのカラーリングに見慣れていたので、こういうバスを見ると新鮮である。

<渋いカラーリングの山口のバス>
(※画像クリックで長辺1200ドットの画像が別ウィンドウで開く)
渋いカラーリングの山口のバス
[OLYMPUS OM-D E-M1/12-40mm/ISO200] 2013/12/31 11:56

再び元のルートに戻り、しばらく走っていると、ローカル線の良い雰囲気の列車が目に入った。妙に懐かしい風景で、思わず近くのコンビニエンスストアの駐車場にクルマを入れた。

駅名を見ると「小串駅」とある。クルマを降りてジックリ眺めたが、見れば見るほど懐かしい風景に思える。殺風景な駅の様子、錆びた線路、周囲の低い山々・・・。昔はローカル線というのはこういう感じだった。しかし今では実家近くの路線もレールバスとなり駅もこぢんまりとしたカプセル的な簡易駅舎となってしまった。
北九州から山口県に来て、こんな風景に出会えるとは。昔の懐かしい風景を、他人の庭で見付けたようなものだ。

<懐かしいローカル線の風景>
(※画像クリックで長辺1200ドットの画像が別ウィンドウで開く)
懐かしいローカル線の風景
[OLYMPUS OM-D E-M1/12-40mm/ISO200] 2013/12/31 12:14

その後しばらく走って下関市街へ入ると、妙な信号機があった。本来、青色のランプとなっている位置に矢印が入っている。矢印信号はオプション的扱いで、本体部分に組み込まれるなど有り得ないと思っていたが、どうもそうでは無いらしい。

<初めて見た信号機>
初めて見た信号機
[OLYMPUS E-P5/14mm/ISO200] 2013/12/31 12:57

さて、火の山公園に着いたのは13時を少し回った頃だった。少々遅くなったが昼食としたい。
駐車帯はピンク色になっており、ピンク色のクルマに良く合う。

<火の山公園駐車場>
(※画像クリックで長辺1200ドットの画像が別ウィンドウで開く)
火の山公園駐車場
[OLYMPUS OM-D E-M1/12-40mm/ISO200] 2013/12/31 13:08

火の山公園には回転式の展望レストランがあり、ゆっくりと回転する席から関門海峡の景色を眺めることが出来る。
同じような回転式レストランは、前にも筑波山で見たことがある。

<展望レストラン>
展望レストラン
[OLYMPUS E-P5/7-14mm/ISO200] 2013/12/31 13:13

あいにく、関門海峡は快晴ではなかったが、雲の合間から光が差し込んで幻想的な風景を見せていた。海面を照らすその光は、ゆっくりと形を変えながら移動していく。その様子を眺めていると、光というのは面白いなあと思った。あの場所に行けば晴れているが、ここでは曇っている。それは当たり前のことではあるが、何だか地球のスケールが小さく見えた気がしたのだ。

<雲の合間から陽が差す>
(※画像クリックで長辺1200ドットの画像が別ウィンドウで開く)
雲の合間から陽が差す
[OLYMPUS OM-D E-M1/12-40mm/ISO200] 2013/12/31 13:18

そんなことを考えているうち、料理が運ばれてきた。我輩が頼んだのは「クジラ丼」。せっかくメニューにあるので食べようと思った。
そう言えば我輩の小学時代、給食でもクジラ肉は割とポピュラーな食材だったが、今の給食はどうなっているだろう。

<クジラ丼>
クジラ丼
[OLYMPUS OM-D E-M1/12-40mm/ISO200] 2013/12/31 13:35

食後、土産物売り場で買い物などをしたが、ここ下関ではフグのことを「フク」と呼ぶらしく、店頭にもそう書いてある。しかし下関に接する福岡県で生まれ育った我輩は、実際の会話で「フク」と言っているのを1度たりとも聞いたことが無い。

さて、景色を楽しむつもりで来た火の山公園だったが、どうも遠景が霞んで良く見えない。
時計を見ると14時。これからレンタカー屋にクルマを戻すとすれば15時くらいか。まあ、それくらいでちょうど良かろう。

クルマに戻って火の山公園の山を下り、再び関門トンネルをくぐって小倉側へ。
安部山公園のレンタカー屋に着いたのは、予想通り15時。返却手続きを済ませ、安部山公園駅から電車に乗って西小倉駅へ。西小倉駅のほうが、リバーウォークへ行くには近い。これから、リバーウォークの「きゃりーぱみゅぱみゅーじあむ」へ行く。

「きゃりーぱみゅぱみゅーじあむ」では、きゃりーぱみゅぱみゅのステージ衣装が展示してあるとのことで、リボン型のヘッドホンを使うと衣装ごとの解説が聞けるらしいが、さすがにリボンを着けるのは抵抗がある。

<みゅーじあむ入り口>
(※画像クリックで長辺1200ドットの画像が別ウィンドウで開く)
[OLYMPUS E-P5/12-40mm/ISO400] 2013/12/31 15:55

きゃりーぱみゅぱみゅの魅力は我輩がわざわざ語るまでも無いが、敢えて言うならば普遍的な存在だということであろう。

昔のアイドルやモデルは当時のファッションの王道を行くものであり、当時の若者の憧れでもあった。ところが時代を経ると王道は変わり、当時のものを今見返すと何やらおかしなものに見えてしまう。かつて一世を風靡したアイドルの髪型も、今そんな髪型をしていたら失笑モノだろう。歌詞も「よくこんな内容をマジメに歌ってたな」と思う。

ところが、きゃりーぱみゅぱみゅの場合は、最初からおかしいのが決定的に違う。衣装やポーズはぶっ飛んでおり、歌の歌詞もニンジャやらインベーダーやらで意味不明。なるほど、最初からヘンでおかしければ、どんな時代になっても同じくヘンなまま。まさに普遍的と言える。

<きゃりーぱみゅぱみゅのヘンさは普遍的>
きゃりーぱみゅぱみゅのヘンさは普遍的
[OLYMPUS E-P5/12-40mm/ISO400] 2013/12/31 15:58

もちろん、単なるヘンなものであれば意味は無い。キャラクターとしてのかわいさは大変重要である。
そしてここで発想の転換があった。
「かわいいキャラクターは何をやってもかわいい、いや、むしろ自由奔放なのがかわいい」ということに気付いたことであろう。わざわざスカした顔をしてキメポーズをしなくとも、鼻血を垂らしたり、鼻ヒゲを生やしたり、白目を剥いたり、顔に落書きをしたり、死んだふりをしたりすればそれがかえってかわいくなるのだ。

個別のアイデアはきゃりーぱみゅぱみゅ本人のものかも知れないが、最初に発想の転換をしたのはプロデュースしているCAPSULE(カプセル)の中田ヤスタカによるものであろう。もしそうだとすれば、彼の才能には脱帽する。

<ステージで使われたヘンな小物に囲まれている>
ステージで使われたヘンな小物に囲まれている
[OLYMPUS E-P5/12-40mm/ISO400] 2013/12/31 16:09

それからついでに言うが、きゃりーぱみゅぱみゅのステージでは、フザケた格好のバックダンサー(きゃりーキッズ)がフザケたダンスをしているように見えるが、ジッと見ているとものすごい気迫に気付く。特に外国ツアーでくっついていく2人のバックダンサー(最初はその井上陽水のような口元からオッサンかと思ったが女性とのこと)は特別なオーラがある。それは血の滲むような練習の上に成り立つものであろうが、フザケた外見とのギャップが大きすぎて度肝を抜かれる。

普通、バックダンサーは主役よりも目立ってはマズイだろう。しかしきゃりーのステージでは、きゃりー本人よりもバックダンサーが目立つ存在である。しかも、ヘンな存在であるはずのきゃりーを更に上回るヘンさを演出することを計算しているかのようだ。それによってきゃりーのかわいさを引き立たせ、かつ、ダラダラと甘くなりがちなかわいさの味を、バックダンサーのキレのある味で引き締めている。
甘いだけの料理というものはすぐに飽きてしまうもの。飽きのこない料理に仕上げるのがこのバックダンサーの重要な仕事なのだろう。
実を言うと、我輩はそのバックダンサーの造り出した世界に引き込まれたのがきっかけだった。

<きゃりーの味を引き締めるバックダンサーのキレのある動き> ※YouTube動画より
きゃりーの味を引き締めるバックダンサーのキレのある動き

これからも我輩の価値観を超えたきゃりーぱみゅぱみゅを見せて欲しい。そんな願いを込めて訪れた今回の「きゃりーぱみゅぱみゅーじあむ」であった。

<ふりそでーしょん>
(※画像クリックで長辺1200ドットの画像が別ウィンドウで開く)
ふりそでーしょん
[OLYMPUS OM-D E-M1/7-14mm/ISO400] 2013/12/31 16:11

さて、展示を見終わって時計を見るとまだ16時台。ステージ衣装を見て回るだけのものだったので、それほど時間は必要無かったか。
新幹線に乗るまであと2時間少しあるので、母親とぶらぶら散歩しながら小倉駅まで歩いて行くことにした。まずは、近くの八坂神社のほうを回ってみる。

神社へ続く道では、明日の正月に備えて露店が準備をしていた。既に営業している店もある様子。

<露店が正月に向けて準備中>
露店が正月に向けて準備中
[OLYMPUS OM-D E-M1/7-14mm/ISO400] 2013/12/31 16:16

神社のほうでもやはり明日の正月に備えた準備が出来ており、明日の賑わいが目に浮かんでくるような気がした。

<露店が正月に向けて準備中>
露店が正月に向けて準備中
[OLYMPUS E-P5/12-40mm/ISO200] 2013/12/31 16:17

我輩と母親はお賽銭を入れた後、神社の裏へ抜けて小倉城のほうへ歩いた。
小倉城は、我輩が中学生の頃は天守閣がゲームセンターとなるなど落ちぶれていたものだが、今ではすっかり整備されて見違えるようになっている。いや、見違えるとは言っても、他の城と同じレベルになっただけの話。

その後、井筒屋のほうまで行き、地下食品街で回転まんじゅうと新幹線内で食べるための弁当を買うことにした。
途中、回転式の菓子売り場があったが、これは我輩が子供の頃にもあったような気がする。いや、絶対にあった。並んでいる菓子の種類はさすがに変わってしまったが、駄菓子のような安物ではないところは昔と変わらない。
懐かしいので写真にはぜひ撮りたい。店内での撮影は「OLYMPUS E-P5」とパンケーキレンズのため目立たず素早く行えた。

<回転式菓子売り場>
(※画像クリックで長辺1200ドットの画像が別ウィンドウで開く)
回転式菓子売り場
[OLYMPUS E-P5/14mm/ISO400] 2013/12/31 16:59

ちなみに回転まんじゅう屋は、以前は小倉駅前のコレットの中にあったが、今は井筒屋のほうに移動したのだという。

<回転まんじゅう屋>
回転まんじゅう屋
[OLYMPUS E-P5/14mm/ISO200] 2013/12/31 17:06

井筒屋を出てアーケードを歩き、小倉駅に向かう。大晦日の寂しい雰囲気と相まって、いよいよこの旅も終盤かと感じた。

<小倉駅へ続くアーケード>
小倉駅へ続くアーケード
[OLYMPUS E-P5/14mm/ISO200] 2013/12/31 17:16

最後の時間調整は、小倉駅前のコレット最上階の広場。
そこで30分ほど休憩し、母親と雑談などして過ごした。

新幹線出発15分前に小倉駅の新幹線改札を抜け、母親に手を振って別れた。しばらく進んでふとまた振り返ると、母親の姿が小さく見えた。
あまり振り返ると母親も帰りづらいかと思い、もう振り向かずにホームへ上がるエスカレーターに乗った。

ホームではまだ時間があったので座って待つことにしたが、やはりこの季節は寒くて仕方無い。ベンチに座って小さくなって待ち、しばらくして入線してきた新幹線を見た時はホッとした。

<小倉駅新幹線ホーム>
小倉駅新幹線ホーム
[OLYMPUS E-P5/14mm/ISO200] 2013/12/31 18:31

新幹線に乗り込み、席に座った。
新幹線は小倉駅をすぐに発車。そして間もなくトンネルに入った。関門トンネルである。先ほどクルマで往復したトンネルを、今また、新幹線でくぐっている。

<再び関門トンネル>
再び関門トンネル
[OLYMPUS E-P5/14mm/ISO400] 2013/12/31 18:34

我輩は井筒屋で買ってもらった弁当を広げて食べた。これから東京駅まで5時間の旅。体力を付けておかねば。
たかが5時間ではあるが、ただずっと座っているというのも疲れるはず。往路ではまだ期待感に満ちていたが、復路ではもう帰るということだけで期待は何も無い。心理的にはもう終わった状態なのだ。時間が経つだけで疲れてくる。ただグッタリと東京駅に近付くのを待つのみ。

<さっそく弁当を食べる>
さっそく弁当を食べる
[OLYMPUS E-P5/14mm/ISO400] 2013/12/31 18:36

それでもようやく、5時間が経ち、東京駅に到着した。
帰省で小倉駅に着いた時には「帰ってきたなあ」と思ったが、東京駅に着いた時にも同様に「帰ってきたなあ」と思った。

ところが東京駅の山手線及び京浜東北線ホームに上がって行くと、ちょうど京浜東北線の電車が走り去るところだった。もう少しタイミングが早ければその電車に乗れたのだが、まあ次に乗れば良かろう。そう思っていると駅アナウンスがあり、どうやらどこかで人身事故があり列車が遅れるとのこと。

<東京駅ホーム>
東京駅ホーム
[OLYMPUS E-P5/14mm/ISO400] 2013/12/31 23:36

「こんな時間にここで足止めか」と呆然としたが、数分後に山手線電車が到着した。見たところ、特に遅れること無く運行されているようで、常磐線に乗り換える上野駅まで何の支障も無かったのは幸いだった。

前回は豚児も一緒だったので最寄り駅からタクシーを使ったのだが、今回は一人なので最寄り駅からは歩いて帰った。
結局のところ、帰着は0時半。当初の計画通りで全ての行程を終了した。

以上、今回の帰省の集計を今後の参考として以下に記す。

●期間 2013年12月27日〜2013年12月31日(5日間)
●デジタル撮影総枚数 3,492枚
RAWデータにて撮影。ミスカットも含んだ枚数。

<内訳のうち主なもの>
・大和ミュージアム :約250枚
・てつのくじら館 :約100枚
・広島平和記念資料館 :約90枚
・錦帯橋 :約140枚
・宮島 :約240枚
・マリンワールド :約280枚
・自動車博物館 :約230枚
・きゃりーぱみゅぱみゅーじあむ :約110枚
●旅行費用 87,727円

<内訳>
・新幹線 :20,650円(特急券)
:23,040円(往復乗車券)
・電車賃(新幹線以外) :2,880円
・バス/フェリー代 :820円
・食費 :5,796円
・レンタカー/ガソリン代 :17,131円
・ホテル宿泊費 :3,100円
・入館・駐車代 :6,150円
・土産 :7,560円 
・その他 :600円