数年前、当ウェブサイトを訪問した外国人から英語でメールを頂き、何度かやりとりをしたことがある。
最初、日本人に対して英語でメールをよこすなど傲慢だなと思ったのだが、相手はフランス人であったため単なる共通言語として英語を使ったのであろう。まあ、日本語に堪能であったとしても2バイト文字が使えないという問題もあるが。
自慢ではないが、我輩は英語を満足に読み書き出来ない。
そこで、翻訳サイトを使って日本語から英語に訳してみた。しかしさすがに機械翻訳であるから、明らかにおかしな点が幾つもある。英語の出来ない我輩でさえ指摘出来るような箇所が。
仕方無いので自分なりにその英文を直し、それを今度は日本語に機械翻訳して意味が通る文章になるかをチェックした。ダメなら何度もやり直した。
そのような努力の甲斐もあり、相手からは「英語が分からないと言うが、あなたの英語は普通に通じます」と返信があった。
だが実際のところ、意味が通る文章になるよう原文をかなり簡素化するなど調整をしており、細かいニュアンスなどはとてもその英文には込められなかった。
その文章の意味が通じるということと、言いたいことが全て込められているということはまた違うのだ。
そう言えば、洋画のDVDを鑑賞する場面にて日本語吹き替えと日本語字幕を同時に選ぶと気付くのだが、同じシーンの日本語訳でも異なる訳が出てくることがある。それぞれの翻訳者が違うのかも知れない。
このように、翻訳のプロでさえ翻訳時には細かいニュアンスの違いが出てくるのだから、完全な翻訳というのは無理なのであろう。
メールの件については、あまりに手間がかかるメールのやりとりのため我輩側からメール交換は終わらせてもらったのだが、それにしても、英語を英語のままで理解することが出来たならばどれほど良いだろうと感じたものだ。
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さて、過去に
雑文144「ディスプレイ」では、RGB各8bit(合計24bit=フルカラー)までしか表現出来ないディスプレイの不満について書いた。
出力側であるディスプレイ表現の上限が8bitまでであるならば、いくらデータ側が8bitよりも高かったとしても(以下、8bitよりも高いものを"高ビットカラー"と呼ぶ)、表示上は8bitを越えることは出来ない。
本来ならば、8bitで表現すべき純白色は高ビットカラーで表現すべき純白色とは異なるはずである。
つまり、理想的には高ビットカラーの純白色のほうが眩しいくらいの明るい白色が使われるであろう。もしそうでなければ、白飛びした空間に諧調を呼び戻せない。
ただ、ディスプレイを高ビットカラーに対応させて純白色の輝度を高くしてしまうと、写真用途は良いとしても事務用途では非常に困ることになる。例えば、ワープロ作業では画面の白地が眩しくて仕事になるまい。
中には、写真表示エリアのところだけの輝度を上げる特殊なディスプレイもあるが、あれは8bitで表示された諧調を引き伸ばしているだけに過ぎず、高ビットカラーで記録された諧調が表現されているわけではない。
ならば高ビットカラーの存在には意味が無いのかと言えば、そういうわけでも無い。
デジタル写真においてレタッチ(修正)はごく普通に行われているのだが、レタッチするたびに画質は落ちることになる(参考:
雑文706)。しかしレタッチ元の画像に高ビットのデータ幅があり、かつ最終的に8bitの画像として仕上げるならば、画質劣化があるにしても余裕が生まれる。
ただし、根本的な問題がある。
それは、入力側としてイメージセンサーの表現出来る輝度幅が狭いということ。
いくらデータ形式として高いビット数を持てる器があろうとも、画像を生成するイメージセンサーのダイナミックレンジが狭ければ意味が無い。
通常のイメージセンサーでは出力が12bitのデータ幅があるらしいのだが、実際の撮影で分かるとおり、RAW撮影であっても白飛びや黒潰れを完全に回避することは難しい。自然界の光がそれ以上のダイナミックレンジを必要とするからに他ならない。