2000/04/05
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カメラ雑文

[596] 2007年02月27日(火)
「甲府UFO事件」

1975年2月23日、甲府市の2人の小学生が、宇宙人に遭遇し肩を叩かれたという事件があった。
UFOに興味を持つ者にとって非常に有名な「甲府UFO事件」である。

この事件のことを初めて聞くと、内容が内容だけに小学生の戯言(たわごと)と斬り捨てたくなるのだが、現場の状況や大人の傍証などにより"少なくとも何かが起こった"と言わざるを得なくなる。そこが非常に悩ましい。
我輩としては半信半疑であるが、もしこれが本当のことだとしたら大変な事件と言うほか無い。

事件の概要を下記に記す。

<事件1>
その日の午後6時半頃、甲府市立山城小学校に通う小学生K君とY君が、近所の団地の脇でローラースケートをして遊んでいたところ、上空にオレンジ色に輝く2つのUFOを目撃した。
UFOはどんどん近付き、2人の頭上を大きく一回りした。そして底部から筒状の望遠レンズのようなものを出して「カシャ、カシャ」と音を立てた。
2人は怖くなり近くの墓地に身を隠したが、2つのUFOのうち大きいほうは飛び去り、残りの1つはブドウ畑のほうへ降りて行くのが見えた。
2人は恐る恐る墓地を出てブドウ畑のほうへ行ってみると、そこには高さ1.5メートル、直径2.5メートルのアダムスキー型UFOが着陸していた。それはオレンジ色の光を発してはいたが、材質そのものは銀色をしていた。
2人は互いにUFOの前後に回って観察していたが、K君がいる側でUFOの壁面の一部が音を立てて開き地面に倒れた。そしてそこから1人の宇宙人が現れた。
顔は茶色で目鼻が見えなかった。口らしいところには3本の牙が出ていた。そして耳はウサギのように大きかった。またテープレコーダーを早回ししたような「キュルキュル」という声も発したという。
この宇宙人は右手に銃のようなものを持ってUFOから降り、K君に近付いて肩をポンポンと2回叩いた。あまりのショックでK君は腰を抜かしてへたり込んでしまった。
その時、UFOの反対側に回り込んで観察していたY君は、妙な音がするので戻ってみたところ、K君が倒れているのを見付けてビックリした。そして宇宙人が横を向いているすきにK君をおぶって逃げた。
その途中、振り返って見たところ、UFOの入り口から内部が見え、そこにもう1人の宇宙人が機械を操作している姿が見えた。しかしその宇宙人が気配を感じてこちらを見ようとしたため慌ててK君の家に逃げ帰った。
K君宅ではちょうどY君の母親も来ており、K君Y君のあまりの様子に2人の母親は外に出てブドウ畑を見てみた。するとそこには、オレンジ色に輝くUFOが回転しながら浮いていたのをハッキリと見えた。母親たちがもっと近くに行ってみようとすると、K君Y君は「UFOにさらわれてしまうから行っちゃだめだ!」と真剣な顔で止めるので行くのを断念した。
翌日、UFOが着陸したと思われる場所には、ブドウのつるを支えるコンクリート柱が一本折れ、もう一本は傷ついており針金の網が破れていた。そして地面には重いものを押し付けたような穴があり、またリヤカーのタイヤのような跡も二本残っていた。そのうえ、後日の調査では、その土にわずかながらも放射能があることが分かった。
またそればかりか、同じ時間にオレンジ色の飛行物体を見たという目撃証言が幾つか寄せられた。


<想像図>

<事件2>
この事件から数年後、新たな目撃事件が発覚した。
事件1と同時刻に、保険外交員の中年女性が宇宙人と思われる人物に遭遇したという。
その女性は集金のために車を走らせていたのだが、事件1の現場近くで2人の人影に気付いた。その顔は真っ黒に見えたため、最初は中学生が土人の仮装をしているのかと思った。
しかし車で近付きクラクションを鳴らしたがまったく反応が無い。そこで最徐行して近付くと、ようやくこちらに気付いた様子。だがその顔は人間のものではなく、顔全体に皺のある不気味なものだった。
「あっ」と思ったその時、人物は車のフロントガラスに手をつき、じっと車内を覗き込んだ。
女性は現実を受け入れられず集金を急ぐため脇をすり抜けてその場を離れた。
しばらく走ると前方から棒を持った人が数人走ってきて女性の車を停めた。女性が窓を開けると「UFOを見なかったか?」と聞かれたため「いいえ」と答えるとそのまま走って行ってしまった。
この女性は後日事件1の報道を知り家族に自分の体験を話したが、「そんなことを言ったら笑われるぞ」と言われ沈黙を守っていたが、数年後に別の人から「それは誰かに知らせたほうが良い」と言われテレビ局に手紙を送ったということだった。


<証言する目撃者>

この事件は、「高知県介良(けら)市のミニUFO捕獲事件」とともに我輩の心に強く印象に残るものだった。
もしこの事件が2人の小学生によるデッチ上げだとすると、他に幾つもの目撃証言があることについての説明が出来ない。そのため、UFOによるものかどうかは別としても、少なくとも現場で何かが起こったと考えるほうが自然である。

あまりに非現実的な事件内容であるものの、それを完全に否定出来ないというジレンマ。
それゆえ、我輩の心に深く残っているのである。

我輩は今までこの甲府UFO事件に関する資料を出来る限り集めてきた。しかし資料には限りがあり、新たな情報はそれ以上には得られない。そして何よりも、文字や部分的な映像のみでは伝わらないところもあろう。
限られた資料を何度も読み、頭の中で事件を想像するのだが、現地の地理さえ知らぬ状態では想像の上塗りでしかない。

そこで、衛星写真を表示するサービス「Google Map」を使って仮想現地調査をすることにした。
しかしながらGoogle Mapは現在の様子しか見ることが出来ないため、新しい道路が出来てしまった今では事件当時の見取り図が合致せずUFO着陸現場がよく分からない。

その時思い出したのが、雑文539「あの時代のあの場所」でも用いた国土情報ウェブマッピングシステム(国土交通省)の航空写真であった。
そこには、事件が起こったちょうど1975年の航空写真が公開されていた。まさに、あの当時の現場を仮想的に調査出来るわけだ。

我輩は、その航空写真によって、UFO着陸地点と保険外交員による宇宙人目撃地点を推測することが出来た。
またそれと同時に、事件全体の位置関係を把握し、全体を俯瞰(ふかん)することにも繋がった。

上空から飛来したUFOの視点で見ると、上空からよく目立つ団地を目指して降りてきたのではないかと思わせた。そしてUFOは、その様子を目撃していた2人の小学生を気にしつつ、近くの適当な場所を見付けて着陸した・・・。
このような情景が頭に浮かんだ。

---小学生によるUFO・宇宙人遭遇地点<事件1>
---保険外交員による宇宙人遭遇地点<事件2>

それにしても、ここまで具体的な位置関係が分かったのであるから、いっそのこと実際に現地へ足を運び、周りの様子を写真に撮っておくというのはどうか。
事件から30年ほど経ってしまっており、今では大きな道路が現場を分断してしまった。
しかしだからと言ってこのまま放っておけば、更に地形は変わっていくことだろう。
撮るなら、思い立った今行くしかない。

現場は交通の便が悪く、最寄駅から歩いて行くには40分くらいかかるらしい。
バスもあるようだが、1時間に1本しか出ていないのがツライ。車で行くか。
(車を所有する以前は1時間に1本のバスなど何とも思わなかったが、車を運転するようになると、途端に面倒に思えてくるようになった。)

当日(2006年10月28日)、高速道路の渋滞に巻き込まれながらも何とか山梨入りした。
豚児とヘナチョコ妻も連れてきた関係上、途中で某アミューズメント施設へ寄ったため少し夕方になってしまったが、UFO目撃時刻も同じく夕刻であるから、当時の状況を辿るにはかえって都合が良かろう。
近くにはコンビニエンスストアがあり、そこの広い駐車場に車を停め、豚児とヘナチョコを連れて徒歩で現地へ向かった。

今回は調査撮影のため、証拠能力の低いデジタルカメラは使わず、大量枚数撮影用として「MINOLTA α-707si」、そして詳細写真撮影用として「New MAMIYA-6」を用いる。今回「BRONICA SQ-Ai」を使わなかったのは、調査地点が一般住宅地であるため、出来る限り目立たぬよう考慮したものである。豚児とヘナチョコが同行しているため、たとえカメラが目立っても家族写真を撮っているようにすれば良かろう。

「α-707si」のほうはマルチスポットカードを装着しているため露出計としても利用価値がある。
重要なポイントを3〜4点ほどスポット測光で拾ってメモリーし、それらの平均値を表示させる。そしてその値を「New MAMIYA-6」にセットして撮影するのである。この方法ならば、少なくとも重要ポイントの諧調は外さない。そのため段階露光の必要が無く、1シーン1カットで撮影を進めることが出来る。

2〜3分ほど歩くと、2人の小学生が最初にUFOを目撃した場所である団地が見えた。まさに、あの時のままの建物だった。


<小学生たちが最初にUFOを目撃した地点>

また、小学生たちが隠れた近くの墓地に行ってみようと思ったが、鎖で入れないようになっており、遠くから撮影するしかなかった。


<近くの墓地>

以上の調査は、目撃者である小学生たちの視点に立ったものである。彼らの驚きと緊張を追体験してみたということになろうか。
当時の空を想像しながら、今の空を見上げた。

次に、小学生が宇宙人に肩を叩かれたというUFO着陸地点のぶどう畑(地図上の●印)にも行ってみた。
こちらの調査は、宇宙人の視点に立ったものである。宇宙人が、地上の何に興味を持ち地上に降り立ったのか。それを、現地で感ずることが出来ればと思う。


<UFO着陸地点近く>

現場は今でもぶどう畑であったが、大きな道路に分断され小さな畑になっていた。
我輩は位置関係などを自分の目で確かめながら、部分部分を「α-707si」で、全体写真を「New MAMIYA-6」で撮影していった。

そして最後に、保険外交員の女性が宇宙人と遭遇したという場所(地図上の★印)を探した。
しかし、現地を分断した新しい道路に惑わされてしまい、ピンポイントな場所を特定することが出来ない。陽も傾き、撮影時のシャッタースピードも遅くなってきた。
携帯GPS(参考:雑文442「GPS」)も持参していたのだが、間抜けなことに目撃地点をポイント登録していなかったため、結局分からなかった。不覚にも、地図さえ持ってくるのを忘れていた。

後日、フィルムを現像して地図と見比べてみたところ、★印地点は遠景に写っていた。住宅地によくあるような生活道路の小さな交差点である。
当時のUFO番組で観た光景とはかなり雰囲気が変わっているようだったが、それでもこの場所に近付いた価値はあったろう。
UFOの着陸場所から離れて異星の地を調査をするのであるから、余程の感心事があったのか。我輩は、その距離感を実際に確かめたかった。それが宇宙人たちの行動分析の材料になるかどうかは分からぬが、後々何か参考になることもあろうかと思う。たとえ参考にならなかったとしても、参考にならないことが判明したこともまた一つの成果であろう。


<現地調査の様子>


参考文献:「全国UFO目撃多発地帯(矢追純一著)」昭和53年7月10日発行 (株)二見書房