豚児は現在3歳。
写真を撮ろうとカメラを構えると、3本指を出して「3歳っ!」と勝ち誇ったように言う。
豚児の祖母(我輩の母親)がピースサインをして写っている記念写真を見ると、「ばーちゃんは、2歳!」と言う。やはりまだ子供だな。こういうエピソードを後々話して聞かせるとどんな反応を示すだろうか。
3歳の時のことなど、大人になっても覚えているはずもないか。
ところで先日、
雑文549「夏の帰省2005」にて九州の実家に帰省したことを書いたが、その時に実家で昔のアルバムを何冊か見た。
ほとんどがモノクロ写真であり、祖父母の若い頃の写真など古いものは印画紙の銀が吹いて金属色に輝いているものもあった。
その中に、我輩が3歳頃の写真があるのを見付けた。
神社の境内で、オモチャの屋台で買ってもらった円盤銃(円盤状の弾を連続して撃ち出す玩具銃)を構えた写真である。
この写真を見るのは、何十年ぶりだろうか。本当に久しぶりに見る写真だったが、我輩の持っている記憶とほとんど違いが無いように思われた。
これは、時々目にする写真ではなかったため、
雑文352「記憶のインデックス」で書いたような、写真を見る度に薄れかけた記憶が強化され固定される"インデックス効果"は期待出来ない。つまり、その時の記憶は我輩が写真とは別個に持っていたものと思われる。
その時の記憶は、今でも非常に鮮明なビジョンとして脳裏に浮かぶ。周辺の風景や神社の様子などのパノラマが我輩の頭の中に広がっている。
神社の境内はとても静かで、そこにはポツンと1つだけ屋台があり、我輩は買ってもらったばかりの円盤銃の黄色い弾を1つ飛ばした。
ただ、写真は屋台が背景に写っているのみで神社周辺が写っておらず、我輩の記憶と照らし合わせる範囲が狭いのが残念であった。
せめて引いて撮っていてくれれば、せめて複数枚撮っていてくれれば、と今になって思うのであった。
まあ、1枚でも無いよりはマシだと納得するしかない・・・。
さて、トンチンカンなことを言う豚児であってももう3歳であるから、断片的とはいえ我輩と同様に鮮明な記憶を残す可能性がある。
そう考えると、今この時代が豚児にとっての懐かしい時代や光景になるのであろうか。
不思議な気がすると同時に、こまめに広い範囲の写真を撮っておかねばなるまいと改めて感じた。