2000/04/05
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表紙

1.主旨と説明
2.用語集
3.基本操作法
4.我輩所有機
5.カメラ雑文
6.写真置き場
7.テーマ別写真
8.リンク
9.掲示板
10.アンケート
11.その他企画

12.カタログ Nikon
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カメラ雑文

[483] 2004年04月09日(金)
「規格に則ったもの」

今さら言うことでもないが、デジタルカメラの画素数は年々増大している。一昔前ならば「メガピクセル」と言えば高画質の代名詞であったが、今どき100万画素のデジタルカメラが高画質であると感ずる者はいまい。現在の主流は500万画素である。しかもその画素数もいずれは低スペックとされる日が来る。

もちろん、デジタルカメラの耐用年数を考えれば同じ機材を一生涯使い続けることはあるまい。普通に使い古して新しいものに買い換えれば、それがすなわち画素数アップとなる。その時代その時代のデジタルカメラを使えば何の問題も無いように思える。
しかし我輩のように、昔のデジタル画像でも永く保存したいと考える人間にとっては、今後最新デジタルカメラに買い換えようとも過去に撮影したデジタル画像までもが高画質になるわけではないということがガマンならない。

それ故、我輩の価値観ではデジタルカメラを趣味として位置付けることは無い。
結局のところ、一般大衆と同じく使い捨て用途となるだけだが、他の者が使い捨て用途に全面移行するのに対し、我輩は作品保存用としての銀塩写真を維持しながらデジタルカメラを使い捨てる。


さて、我輩がビデオ撮影を趣味に加えたということは前にも書いた(参考:雑文480「ビデオカメラ」)。
それ以前にも何度かビデオカメラは購入していたが、実用本位での運用のため画質や編集などには無頓着で、趣味と位置付けるまでには至らなかった。

ビデオの場合、ビデオカメラや編集機材はプロ向けとアマチュア向けとに別れており、クオリティが全然違う。記録媒体さえも違う。これは、プロもアマチュアも同じカメラを使い同じフィルムを使う銀塩スチルカメラには無い問題だ。

我輩は趣味を中途半端にやるつもりはない。そのため、本格的にやれるという見通しが立たねば最初から手を着けることをしない。
ビデオの場合、一昔前ならば高画質ビデオカメラや編集用機材を揃えると数百万円〜数千万円の単位となり、余程の金持ちかあるいは他に趣味が無い場合に限られる。スチルカメラを趣味としながら同時にやれることではない。

しかし時代は変わった。
ビデオカメラもデジタル化されてプロ用とアマチュア用の差も以前より小さくなり、そして編集に伴う画質劣化も無くなった。しかも値段はかなり安くなり、6万円も出せば新品が手に入る。ハイエンドモデルでも中古ならば安い。
パソコンを使えば専用編集機材を揃える必要も無く、文字入れや音入れ、そして各種映像効果を盛り込むことが出来る。もちろんパソコンの値段は高いが、今使っているパソコンを流用するのであるから事実上はソフトウェアのみの値段を考えれば済む。
そして最終的に、DVD-Videoの形にまとめ作品とすることが可能だ。

こういった下地が出来ていたところに、我輩がビデオ撮影の面白さに触れることになった。スチルカメラとは全く違う面白さに、妙な"棲み分け感"を感じた。これならば、スチルカメラとムービーカメラの趣味の両立が可能であろう。
しかし何より、我輩がビデオに対して好感を持ったのは、フォーマットが決まっているということだった。

ビデオでは、NTSC(日本の場合)という規格が前提にある。
最近はメガピクセルCCD搭載のビデオカメラも登場しているが、最終的にNTSCの画質に落とすことになるため、デジタルカメラのように昔撮影した映像が陳腐化することは無い。規格が一貫していることにより、今の映像も昔の映像も、編集で繋ぎ合わせて1本の作品としてまとめることも出来る。

また機材としても、NTSC規格の製品であるからその中でのハイエンドはいつまでもハイエンドであり続ける。
撮像管としてプランビコン管やサチコン管を使った昔のビデオカメラのほうが、小さなCCDを使った現在のデジタルカメラよりもクオリティ高い画が得られる場合もあろう。
良いものはいつまでも良いと言えるビデオの世界では、趣味として突き詰める価値があるように感ずる。

もし、ビデオの世界で規格が存在せずに画素数で劇的に画質が変わっていくとしたら、撮り貯めた過去の素材は全く価値を失い、現在の映像との混在も不可能だったろう。また、ビデオカメラも1年ごとに買い直さねばならなかったろう。
こんな環境では、ビデオ作品など落ち着いて撮れはせぬ。すぐに陳腐化する映像に気を込められるものか。

我輩は、中古でCanonのハイエンドビデオカメラDM-XV1を購入した。これは1999年発売の旧い機種である。
もしこれがデジタルカメラであったならば、画素数が少な過ぎて物足りなかったに違いない。少なくとも、ハイエンドカメラとして使おうとは思わぬ。
しかし、ビデオカメラであるこの旧式DM-XV1は、我輩の元で立派にハイエンド機として使われている。これは銀塩カメラの感覚にも似ている。いくら旧い銀塩カメラでも使い方によっては最新カメラと遜色無い写真が撮れる。ビデオカメラもまた同様。なぜならば、それらは皆同じNTSC規格に則ったビデオカメラだからだ。

昔のハイエンドカメラが今のローエンドカメラになっているデジタルカメラに比べれば、ビデオ撮影は趣味として突き詰めるには非常に有用であると我輩は判断した。
だからこそ、価格の問題がクリアされた今、ビデオを趣味として始めたのである。



もちろん、HD(ハイビジョン)規格の民生ビデオが出始めているものの、現状のカメラやテレビがHDとして置き換わるまでにはまだまだ時間がかかるだろう。