2000/04/05
OPEN

表紙

1.主旨と説明
2.用語集
3.基本操作法
4.我輩所有機
5.カメラ雑文
6.写真置き場
7.テーマ別写真
8.リンク
9.掲示板
10.アンケート
11.その他企画

12.カタログ Nikon
 F3 (F3H)
 FM3A
 FM2
 FM
 FE2
 FE
 FA
 FG
 FM10
 FE10
 F4
 F-401X

Canon
 AE-1P
 AE-1
 newF-1

PENTAX
 K1000
 KX
 KM
 LX
 MX
 MZ-5
 MZ-3
 MZ-M

OLYMPUS
 OM-3Ti
 OM-4Ti
 OM-2000

CONTAX
 ST
 RTS III
 Aria
 RX
 S2

MINOLTA
 X-700
 XD

RICOH
 XR-7M II
 XR-8SUPER

カメラ雑文

[452] 2003年11月09日(日)
「下駄の鼻緒写真」

以前、雑文296にて「エレベータの中で鏡の壁に向かって撮った写真に謎の手が背後に写っていたというが、それは明らかに本人の手の影だった」と我輩は断言した。
これは、テレビ番組の心霊写真コーナーで紹介された写真についての我輩のコメントだったが、最近、この写真をテレビ画面ではなく印刷物で見る機会を得た。

それを見ると、実はその手は明らかに実体感を持っており、とても影などとは言えないことが判明した。テレビで見た時は真っ黒な影にしか見えなかったのだが・・・。
これにはさすがに我輩もビックリした。
影ではないとすれば、誰かが後ろで手だけを出したか、あるいは本当に心霊写真か・・・?

霊障が怖いので写真掲載は無し

ところでそうは言っても、心霊写真とされているものを見てみると、やはりほとんどが不鮮明なものや無理なこじつけが多い。
もちろん写真に写った本人にしてみれば、少しでも人の顔に見えるものが写り込んでいると気持ちが悪いだろう。だから念のために、心霊研究者と呼ばれる者の所へ写真鑑定の依頼をする。
ところが心霊研究者は、何でもかんでも心霊写真だと鑑定し、依頼者の不安をよりいっそう煽る。

確かに、いくら説明の付く写真であろうとも、それが即「心霊とは関係無い」ということには繋がらない。
雑文296でも書いたとおり、昔の人間は下駄の鼻緒が切れた時に不吉なものを感じた。
下駄の鼻緒が切れるなどという現象は別段不思議なことではない。まさかそれがアミラド繊維で作られた鼻緒で、絶対に切れることがないというならば不思議ではあるが、通常の繊維ならば使っていればいつか切れるもの。
しかし、その現象が他の事柄に同期(シンクロ)しているならば話が違ってくる。

そういったことを心霊研究者たちは「シンクロニシティ」と呼び、現象そのものの特異性よりも、それが現れたタイミングに着目し、そこから異世界からのメッセージを受け取ろうとした。

心霊写真の場合、もしそれが本当に心霊写真であったとしても闇雲に騒がず、少なくとも、霊の姿が直接現れたのか、それとも日常的な現象がシンクロニシティを以て現れたのかという区別はしておきたい。

我輩は、日常現象を以て説明の付く写真を「下駄の鼻緒写真」と呼んでいるが、ここでは、心霊写真と呼ばれる幾つかの例(霊?)を挙げ、それが霊体の写真ではなく、あくまで「下駄の鼻緒写真」でしかないということを示していこう。
その後、この写真が霊的なものであるかそうでないかという判断は、見る者に委ねられることになる。
我輩はここでは、どんな写真も霊的なものであるかそうではないかということを断言するつもりは無い。ただ、写真的に説明が付く範囲のことについて述べるに過ぎない。


まず最初の写真は、観光地の滝で撮られた写真である。
シチュエーションとしては、いかにも霊が写り込んでも不思議ではないと言える。話を聞いただけでも、自殺した霊がウヨウヨしているのを感じるかも知れない。
実際に写真を見ると、子供の背後に何か人の顔のようなものが覗いている。


子供の背後に顔が・・・

まず疑問点として、母親の左ヒジは子供の尻の部分にあり、深く抱いていることが分かる。そうなると当然ながら、向こう側にあるはずの右腕も深く抱くことになり、こちら側へ右手が出ているに違いない。しかしなぜか、その右腕が見あたらない。子供の背中に添えられているわけでもない。
しかも、母親の姿勢が妙に後ろにのけぞっているのが気になる。まるで、片腕で子供を抱えたかのよう。
この霊の顔は恐らく、母親の右手がブレて写ったものだと思われる。片手で子供を抱えたまま右手で髪を整えたか、あるいは顔でも掻いたか。そのブレ具合は、ちょうど右ヒジがあると思われる地点を中心とした円弧を描いている。背後の滝のブレ具合からも、シャッタースピードが比較的遅いことが分かるし、この画像では見えないだろうが写真全体も微妙にブレている。
やはりこれは、「下駄の鼻緒写真」と言うべきか。


次の写真は、子供と一緒に父親が風呂に入っている写真である。
本文解説には、「これは人間ではなく爬虫類の霊の目である」と書かれている。確かにそこには、目のようなものがこちらを見ている・・・。


人間の目ではなさそう・・・と書かれているが

だがよく見ると、右下に紫色のチューブのようなものが伸びているのが分かる。これは何だ?
恐らくこれは、ホースの類ではないかと想像する。そこから湯が出ているのか、あるいは熱すぎる湯をうめるために水を流し込んでいるのか。いずれにしても、多少の泡は出てくるに違いない。
つまり、これは泡ではないのか?
そこで、実際に同じようなシチュエーションで写真を撮ってみることにした。


ストロボ一発の写真だが、やはり同じような写真が得られた。上の写真では水面が荒れていることから、泡が発生しても不思議ではないと思える。
例えこれが爬虫類の霊の目だとしても、我輩が適当に撮って得られるのであるから珍しい写真とは言えない。
つまり、爬虫類の霊は日常的にどこにでも存在するということになろうか。写真を撮れば必ず現れてくれるのだから。
結局、これも「下駄の鼻緒写真」であった。


次の写真は、普通の人間の身体についての異変である。
写真に写った指が妙に長いと言うのだが・・・。


指が変・・・?!

どう見ても不思議とは言えない。そのことが我輩にとって不思議な写真だと言える。
試しに、ヘナチョコ妻をモデルにして同じような角度から写真を撮ってみた。


「ヘンな指でスミマセンねぇ」

結論としては、どうにもよく分からない。何が変なのかが分からない。
これこそ、全くの日常写真である。
「下駄の鼻緒写真」とさえも言えないように思えるが、心霊研究者は「この人の性格が写真に現れたものだ」と結論付けているから、何かの霊的な意味があるんだろうな、きっと・・・。


次の写真は、札幌のイルミネーションにて写した記念写真である。
そこには、雪に混じって無数のドクロが舞い降りているのが写っているという・・・。


ドクロ舞う札幌の夜

確かに、ドクロと言われればそうかも知れないが、しかしあまりにも漫画的なドクロだ。
まあ恐らく、カメラにフィルターが付いており、そこに水滴が付着して光を反射させているのであろう。眼鏡に雨が付いた状態で光源を見るとこのように見えるのであるが、それがちょうどドクロに見えるという偶然は「下駄の鼻緒写真」という意味を持つかも知れない。
もしこの写真の光の滲みがドクロの形になっていなければ、逆にロマンチックな写真となり喜ばれただろうが・・・。