2000/04/05
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表紙

1.主旨と説明
2.用語集
3.基本操作法
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5.カメラ雑文
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カメラ雑文

[428] 2003年06月08日(日)
「手間を強いるデジタルデータ」

最近、あまりCD-Rを使わなくなった。
CD用バインダーが数冊にも増え、収納場所の問題が深刻化してきたためである。現在、その問題を解決すべく保存媒体をDVD-Rへ移行させている。

CD-Rを使い始めた頃は、パソコンのハードディスク自体の容量がやっとギガバイトを越えるかどうかという程度で、取り扱うデータの種類もワープロやテキストなどがほとんど。そんな時代では、CD-Rの640MBの容量でさえ持て余した。
しかし現在では、我輩のパソコンのハードディスク総計は200GBを越えている。格納されているデータの種類も、写真やビデオなど容量の大きいファイルが多くなり、CD-Rでは1枚に入りきれなくなってきた。

CD-Rはそれぞれに内容をまとめてあり、写真や書籍、音楽、ビデオ等に分けている。写真も、被写体や撮影日時等によって分けられており、640MBのCD-R容量を単位として区切る。やむを得ず複数枚になり枝番を附(つ)けたものもある。なるべく容量に無駄が出ないようにしなければ、いたずらにCD-R枚数が増え効率が悪い。

このようにして苦労してまとめたCD-Rではあるが、やはり長い年月が経つと数百枚にもなる。もしCD用バインダーに収納せずP-ケースのままで保管していたら、今よりももっと大変な状況に陥っていたろう。

これらのCD-Rは、DVD-Rにまとめてしまえば計算上は1/7に縮小出来る。だが現実はそうならない。
CD-Rで苦労した分類は、やはりDVD-Rでの分類の苦労でもある。
DVD-Rは4.7GBもの大容量であるから、複数枚のジャンルをひとまとめに出来るものの、容量が有限であることに変わり無い。その上限にギリギリまで近付けることが出来れば理想的だが、ほんの僅かでもDVD-Rの容量をオーバーすれば、2枚目が必要となる。そうなると、溢れた分の2枚目のディスクには数MB程度しか格納されないことになる。
2枚目の格納先をCD-Rとしたところで枚数が増えてしまうことに変わり無く、DVD-Rへの移行の意味を薄めてしまう。

ちょうど今行っている作業は、複数枚のPhoto-CDからDVD-Rへの移行である。
Photo-CDは、最大100枚の35mm判写真をCDに焼込んだ媒体である。当初はテレビで閲覧することを目的としてデビューしたシステム(Photo-CD内の1BASE画像はテレビ表示用のサイズ)ではあるが、パソコンでデータが取り扱えるようになっているのは有用だった。音楽CD(CD-DA)のようにヘッダ部しか見えないというのでは困る。
デジタルカメラやスキャナーが一般的でなかった時代に於いて、Photo-CDは写真デジタル化の唯一の手段であった。

ところがPhoto-CDをDVD-Rにまとめようと思うと、前述のように容量が中途半端となった。何とかDVD-R1枚に収めたいのだが、ほんの僅か容量が足らない。フィルムスキャナを使用している現在ではPhoto-CDはもはや新たに増えることは無く、2枚目はいつまで待っても満たされることは無いだろう。かと言って2枚目の残り容量を別のスキャナ画像で満たそうとしても、今度はそちらが中途半端となり具合が悪い。
更に、インデックスプリントがPhoto-CDの枚数x4枚ほどある。これらを保管するにも困るのでスキャンしてデータ化し、同じDVD-Rに格納した。これもまた手間だがやらざるを得ない・・・。


以前、デジタルカメラで撮影したデータの消え易さについて書いた(参照:雑文095)。そろそろ、初期のCD-Rで読込みに失敗するものが出始めていることもあり、DVD-R化のプロジェクトは急務である。
しかし、いくらデータメンテナンスとして保存媒体を換えようとも、その作業にかかる手間や悩みが大きければ長続きするはずが無い。そういう意味も含め、我輩は「本当にデジタルデータは数十年保つのか?」という思いを持ち続けている。

こんなことを言うと、「自分の撮った写真を永く遺したいとは思わぬ。少なくとも、自分が死んだ後はどうでも良い。」と反論も出よう。
だが、写真は趣味であると同時にその時代の文化を伝える重要な資料でもある。どんな写真であろうとも、後世に残れば貴重な資料である。文化を軽視する刹那的思想は、同じ人間として許すことは出来ぬ。