2000/04/05
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表紙

1.主旨と説明
2.用語集
3.基本操作法
4.我輩所有機
5.カメラ雑文
6.写真置き場
7.テーマ別写真
8.リンク
9.掲示板
10.アンケート
11.その他企画

12.カタログ Nikon
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カメラ雑文

[407] 2003年03月12日(水)
「懺悔」

自作自演によるでっちあげ、それを「やらせ」と言う。
その言葉を聞いてまず思い出すのが、朝日新聞のサンゴ事件である。西表島の貴重なサンゴにカメラマン自身がイニシャルを彫り込み、それが心無いダイバーの仕業であるとして捏造記事を掲載した(1989年4月)。
他にもNHKが「禁断の王国ムスタン」でやらせシーンを織り込むなどサービス向上に努めている(1992年9月)。

やらせの程度には軽重があろうが、少なくとも信頼を売りにしている報道機関がやるべきことではない。ジョークになってないなければ、いたずらに視聴者を惑わすだけである。

大きな書店(洋書コーナーがある書店)で売っているアメリカのタブロイド新聞などを手に取ると、あまりのバカ写真オンパレードで呆気にとられる。
例えば、アメリカ大統領と宇宙人が仲良くゴルフをやっていたり、人間の身長と同じくらいのイナゴが捕獲されたりした写真が載っている。中には手乗りの小さなラクダが写真に写っているものもあり、「狭い住宅で暮らす日本人が、ラクダをペットとして飼うために品種改良によって小型化に成功した」と書かれている。我輩は日本人であるが、そうまでしてラクダを飼いたいとは思わぬ・・・。

まあ、そこまでやれば「やらせ」の域を越えてシャレとなって楽しめるが、たまに日本のメディアが、タブロイド紙の記事をマジメに取り上げ、「ヒトラーやプレスリーが生存している」などと騒ぎ立てることがある。

どこまでがやらせで、どこまでがそうでないのかということについては、また議論が分かれることだろうと思う。
写真などは、記念撮影の「はい、チーズ!」という行為も、笑顔を作らせたというやらせの一種と言うことも出来る。
しかし常識的な観点から言えば、「観る人を欺く」あるいは「反社会的な行為を伴う」ということがやらせのやらせたる所以(ゆえん)ではないかと我輩は考える。

偉そうなことを言いながらも、我輩自身、過去に1度、紛れもない「やらせ写真」を撮った張本人であった。
今考えても心が痛む。
以下にそのエピソードを書き、我輩の懺悔としたい。


以前、雑文251で「44マグナムは反動で射手を身体ごと跳ね飛ばすほど強烈な銃だ」と書いた。中学生の頃、我輩は東京マルイ製の44マグナムのプラモデルを作り、友達であるオカチンとよく刑事モノの写真を撮った。
学生服の襟を内側に折り込んで背広のようにし、音楽用ヘッドホンを装着して射撃場の気分を作った。
マンガ「ザ・ゴリラ」の影響のため、撃った直後に後ろに跳ね飛んでみたりした。もちろん、キャップ火薬を発火させるだけのモデルガンであるから、エアソフトガンのように弾が飛ぶわけではない。


<銃を構えるオカチン>

ある日、そのモデルガンを使って44マグナムのパワーを写真で表現できないかと考えた。
庭に出て地面に小さな窪みを付け、あたかもそこがマグナム弾の着弾点であるかのように見せようと思った。だが、穴は単なる穴だった。銃弾でえぐれた様子をうまく表現出来ない。しかも、地面を撃つシチュエーションというのも、何だか外れ弾のようで格好良くない。

そこで目を付けたのが、庭に生えている木だった。木の枝を折れば、そこがあたかもマグナム弾が貫通したかのように演出出来る。「ザ・ゴリラ」でも、ヒグマに襲われる老人を助けるためにマグナム弾で大木を貫通させ熊を仕留めたのである。
マグナムの威力を示すのはこれしか無い。

母屋から離れた目立たない木を1つ選び、その枝を折ろうとした。だが、なかなか折れない。渾身の力を込めて勢いを付けてやっとメキッと折れた。生木の白さが生々しく、ほのかな木の香りが漂う。

早速、その枝に44マグナムを挟み込み、あたかもその銃で枝をブチ抜いたかのように配置した。
「ウーム、さすが世界最強の44マグナム。絵になるなあ。」
我輩は早速、ピッカリコニカで写真を撮った。
その後、枝をそのままにしておくとマズいので、折れた枝を裏の林の中に投げ捨て、目立たないように取り繕った・・・。


今考えれば、何と愚かなことをしたのかと思う。たった1枚のやらせ写真を得るために、大切な庭木を手にかけたのだ。
家族は気付いていたかどうかは分からないが・・・いや、派手に折った枝に気付かぬはずは無かろう。
時々思い出しては罪悪感に苛(さいな)まれる。

前回帰省した時には、庭の様子も少し変わっていたようで、あの庭木を特定出来なかったが、今度帰る時には、念入りに探し出し、庭木に謝ろうと思う。