2000/04/05
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表紙

1.主旨と説明
2.用語集
3.基本操作法
4.我輩所有機
5.カメラ雑文
6.写真置き場
7.テーマ別写真
8.リンク
9.掲示板
10.アンケート
11.その他企画

12.カタログ Nikon
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カメラ雑文

[398] 2003年02月04日(火)
「勝つためのこだわり」

昨年11月10日、職場のT主任が所属するソフトボールチーム主催の親善試合が行われた。相手は同じ県内の2つのソフトボールチームである。
我輩はT主任の要請により、応援を兼ねた撮影を行った。

ソフトボールの撮影は、今回が2度目となる。
撮影コストを下げるため、デジタルカメラ「Canon EOS D-30」にて撮影した。だが、デジタルカメラゆえにタイミングをはかるのが難しく、シャッターの無駄切りが多かった。
そもそもスポーツ写真の経験があまり無いため、前回もそうだったが今回も一般人受けしそうな望遠撮影による"背景ボカシ写真"でお茶を濁した。それでも「プロが撮ったみたいだ」と騒いでくれた。

さて、肝心な試合の内容は、残念ながら2試合敗北であった。
1試合目は、相手打陣の猛攻撃を受け、初回から大量失点。最終回で相手の守備の乱れを突き4点を返すが、打線の不調がたたり4対13で敗北。
2試合目は、初回先制するもすぐに追い付かれ、要所は相手投手によりキッチリと押さえ込まれ最終的に6対8と逆転された。

なぜこのような結果となったのか。
T主任はこう言って嘆く。
「せっかくやるからには、勝つためのこだわりが必要だと思う。しかし我がチームは、勝っても負けても同じ雰囲気で試合が終わる。負けて悔しいならば、バットを叩きつけて帰ってくるくらいの気迫が欲しい。悔しさをバネにすれば、自宅で素振りの一つくらいは出来るだろうに・・・。」

様々な職を持つ様々な年代の人間が、ソフトボールという趣味で集まりチームを作った。しかしメンバーの一人一人が、試合に負けても「俺はアマチュアだから」あるいは「これは趣味に過ぎないから」などと自分に甘えていれば、チーム全体が試合に勝てない雰囲気になるのは当然。そこには、勝つためのこだわりが無かった。
T主任の嘆きを聞き、我輩も自分の身を引き締めた。

雑文254「ジンクス」でも書いたことだが、我輩は他人から見れば意味の無いこだわりを持つ。「トリミングをしない」ということはその中の一つ。また、「記録として遺す写真には66判リバーサル以外は使わぬ」ということや「フィルムで撮影した写真は、失敗を取り繕うようなデジタル修正をしない」ということも最近のこだわりである。

我輩にとってそのこだわりは、ソフトボールの試合のようなもの。「アマチュアだから」とか「趣味に過ぎないから」などと言っていれば、それこそ歯止めのきかない降下を続けるしか無い。いったん一つの妥協を許してしまえば、他の部分でこだわる意味も無くなる。結果、趣味をやること自体に目的を失う。

ソフトボールでは、試合に勝てばやはり達成感が得られる。趣味であろうとなかろうと、負けた時では味わえぬ喜びがある。同じく、写真活動にて妥協無く写真を手にすることが出来れば、達成感が得られぬはずが無い。

現在、写真をデジタル化してしまえばデジタルカメラや銀塩ネガ及び銀塩リバーサルは等価となった。どんな手段で撮影しようと、デジタルデータを介して印画紙に焼き付けることが出来る(メディアプリントやデジカメプリントなど)。昔のように、リバーサルフィルムからのダイレクトプリントで階調が堅くなるということも無い(参考:雑文318「メディアプリント」)。

いったんデジタル化してしまえば、例えば露出過不足のある写真でも使える場合がある。画面に写り込んでしまった邪魔な電線を消してしまうことも出来る。僅かなピンボケもごまかすことが出来る。
それはつまり、従来では失敗とされた写真でも救済可能になったことを意味する。
もちろん、完璧な失敗写真では救済不可能ではあるが、従来ならば諦めざるを得なかった写真でも、デジタル補正によって利用可能な範囲に入るようになったことは確かだ。

だが我輩は、あくまでもリバーサルフィルムを原版と位置付け、パソコンに取り込む時には、その原版に忠実になるよう努力している。原版が失敗であれば、いくらパソコン画面上で取り繕うことが出来るとしても、もう一度撮影する。満足できる原版が上がるまで何度でも撮り直す。撮り直しのきかないものであれば諦める。
それが我輩のこだわりの一つである。
(厳密に言えば、トランスパレンシー(透過光)による膨大な情報量をRGB各8ビットの狭い範囲に収めることは不可能であるが、見た目の印象を原版に近付けることは出来る。)

もしこのこだわりを捨てれば、自分に対する甘えが生まれ、「原版はボロボロであるがパソコン表示とプリント写真はピカピカ」という矛盾を抱えることになろう。
だが現在のところ、パソコン画面上に満足出来る写真が表示される時、それはつまり、満足出来る原版が手元にあるということである。満足感や達成感が違う。


ソフトボールの試合では、勝ち負けというのは客観的に評価される。そういう意味では解りやすい。
だが写真というのは、勝ち負けが主観的である。どこまでが負けか、どこからが勝ちか。それは自分の決める"こだわり"そのものである。
だからこそ、自分がキッチリと「これは負けだ」と線引き出来るこだわりを持たねば、ズルズルと自らのレベルを下げることになる。
「プロではないのだから」とか「趣味だから」などと自分に理由を付けて逃げるとすれば、それはつまり、勝ち負けのレベルを下げる行為である。弱い相手ばかり選んで試合するようなもの。

勝とうとするこだわりがあるならば、自分に目標を課し、乗り越える努力をすべし。
趣味の目的は、その向こうにある。

写真にこだわり、カメラにこだわり、自分にこだわる。そしてそれらが努力を生む。
努力もせず目的を語るヤツには、自分の生きる目的すら掴めまい。

勝つためのこだわりを常に持て。