日本の途上国に対する援助は中途半端なものが多い。金や資材だけ出して、あとは知らん顔。
物資が途中経路でピンハネされて末端まで届かなかったり、高度な知識を必要とする複雑な機械のために活用出来なかったり、あるいは特殊な部品を使っている器具のためちょっとした故障で使用不能となって放置されたりしている。
そうならないためにも、きちんとした計画に則った援助を行う必要がある。長い目で見た長期的プログラムを考え、何が本当に相手に必要であるのかを見極めること。
・・・大げさな前振りだったが、何のことはない、我輩が以前
実家に土産として持ち帰った「ミノルタα-7000」のその後についての話だ。
我輩は今、九州の実家に帰って来ている。
そこでふと、「ミノルタα-7000」がどうなっているかを見てみようと思った。カメラケースを開けると、長い間使われていなかったかのように、グリップのゴム部が白い粉を吹いていた。
思わず手を止めてしまった我輩だったが、気を取り直してシャッターを切ってみた・・・つもりだが切れない。
液晶表示は出ているが、ウンともスンとも言わないんだ、コレが。
AFさえも全く動作しない。
そのカメラを見つけたのは、夏の暑い気温に即座に同調する部屋である。高温多湿なその部屋は、いくらプラスチック製カメラであろうと酷であったろうと予想出来る。事実、数少ない金属部品であるビス(小さなネジ)表面が赤茶色に錆びていた。
「これは、壊れたかも知れん・・・。」
動かなければ何もせず、放っておく。それはまさに途上国に援助された機械のように見える。いくら簡単なカメラとしてα-7000を選んだとはいえ、やはり一眼レフというのはそれなりに難しい。そんなカメラが動かなくなれば、それこそ何も出来ずに放って置かれるのは当然。
結論から言えば、単に電池が切れただけの不具合であった。だがそのような単純な問題であっても、未知の機械に対する適切な対処が出来ようはずもない。
良かれと思って与えたものでも、それを活用出来なければその援助は「無」に等しいのである。
我輩は再びカメラが使えるようになったことを伝え、フィルムを入れてやった。これがデジタルカメラであったならば、事態はもっと複雑だったろう。
だが、今回の件でα-7000が本格的に活躍する見込みは薄いと感じた。我輩の考えの浅さが招いた結果だった・・・。