2000/04/05
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カメラ雑文

[835] 2014年12月02日(火)
「おい、そいつはブスだぞ!」


差し障りがあるのであまり具体的なことは書けず残念だが、学生の頃、我輩には気になる女性がいた。
彼女は周りの女性の中では大変かわいく見えていた。
ただ我輩は彼女との接点があまり無かったので、無理にアプローチなどはしなかったのだが、「機会さえあれば・・・」とは考えていたりした。

その後、学校を卒業した後になってふと気付いた。
「あの彼女、特別かわいいというわけではなかったなぁ。」
当時、狭い範囲の中で見れば相対的にかわいく見えた彼女だったが、実際は、失礼を承知で言わせてもらうと、どちらかと言えばブスのほうに近かったかも知れない。
良い言い方をすれば、「かわいいブス」とでも言おうか。

そう言えばこれは別のエピソードだが、大学時代に合コンでたまたま知り合った男子学生がいたが、彼が言うには「合コンだからって無理に相手を作らんほうがええわ。この中で一番かわいく見えても、実際は・・・なあ。」と言った。
我輩は、彼のその言葉を聞いてしみじみ頷いた。


さて10年くらい前、Webで知り合った外国出身の某カメラマン氏と一緒に自然公園へ親睦撮影に行ったことがある。のんびりと花などを撮影しながらカメラについての雑談をしていた。その中で、デザインの悪いカメラのことを彼は「ブス」と表現した。
「あのカメラはブスですね」と。
この表現はなかなか面白いと思った。カメラのデザインはブスか美人か。彼にとって、カメラは女性名詞なのだろう。

そこで我輩は、彼の表現を借りて唐突に言おう。
「おい、Nikon Dfはブスだぞ!」
こんなことを言えば、恐らく「お前は一体何を言ってるんだ?」と正気を疑われるであろう。「古き良きMF銀塩カメラのデザインで話題になっているカメラなのに、ブスとは何だ」と。
けれども本当に、「Nikon Df」がブスではなく美人なのか。我輩はそこを追及したい。

確かに「Nikon Df」は、近未来的エルゴノミクスなデザインに対するアンチテーゼとして現れた存在だった。他のカメラと比べれば大変目立つことは否定しない。
だがそれは、デジタル一眼レフカメラというグループの中での比較であり、MF銀塩カメラのグループに入れた時にどう感ずるか。
ここでは、「Nikon Df」をそれぞれのグループに入れて見比べてみたい。

もちろん、カメラデザインに対する美しさの感覚は人それぞれであろう。しかし、少なくともMF銀塩カメラのデザインを良いとする価値観で語るならば、その中での最低限の共通項というのがあろうかと思う。その証拠に、MF銀塩カメラの時代には、現実にデザインの人気・不人気が存在した。
今回我輩は、その頃の価値観に立って判断したい。

ではまず、デジタルカメラの中で「Nikon Df」のデザインを見てみる。

<デジタルカメラの中での「Nikon Df」>
※Dfはメーカー展示品を、それ以外は我輩所有カメラを撮影したもの
(※画像クリックで長辺1000ドットの画像が別ウィンドウで開く)
デジタルカメラの中での「Nikon Df」

確かに、「Nikon Df」は直線を基調とし、真面目で几帳面に見える。ダイヤルやその他操作部材が機械装置という感じがあり、使う喜びが得られることを期待させる。女性に例えるならば、和服が似合いそうな雰囲気の清楚な黒髪美人と言うところか。
もし価格が安ければ、あるいはまとまった金があれば、我輩もぜひアプローチしたくなる。

では次に、MF銀塩カメラと比べてみたい。当時、デザイン的に人気のあったものばかりである。ここでは純粋にデザインのみで比較するため、「Nikon Df」はMF銀塩カメラであると仮定して見ることとする。
もっとも、「Nikon Df」はデジタルカメラ特有の機能が形状として現れている部分もある。しかしMF銀塩カメラのデザインをモチーフとしているのだから、そのまま比較してもアンフェアということはあるまい。

<MF銀塩カメラの中での「Nikon Df」>
※Dfはメーカー展示品を、それ以外は我輩所有カメラを撮影したもの
(※画像クリックで長辺1000ドットの画像が別ウィンドウで開く)
MF銀塩カメラの中での「Nikon Df」

これを見ると、「Nikon Df」のデザインは各パーツ単位では悪くはないものの、全体として見ると決して美人と言うほどではない。もしこの中で「Nikon Df」を選んだとすれば「おまえよくそんなカメラ買ったな」と友達に言われるに違いない。
ボディが分厚く(デブ)、 ボディ左右が狭くペンタ部が大きく見え(頭デッカチ)、そしてボディ表面に金属らしさが無い(肌が汚い)。
もちろん、これらには技術的な理由がある。

ボディが分厚いのは、フィルム圧板と裏ブタだけの銀塩カメラとは違い、デジタルカメラにはイメージセンサーとそれを載せる電子基盤、そして背面液晶などが積み重なっているからだ。
そして左右が狭く縦に長いのは、フィルム巻き上げ軸やパトローネ室が不要で、そして下部にはAF駆動系があるせい。
またボディに金属らしさが無いのは、マグネシウム合金を採用しているために腐食防止の表面処理を必要とし、金属ボディとしてはウソ臭く見えるからである。

やはりデザインというのは、全体のバランスが大事であることは言うまでもない。もちろんそれは、機能に裏打ちされたムダが無いからこそ万人に受ける美しさとなる。
ただ単に、「ダイヤルを採用しましたよ」とか、「金属を使いましたよ」とか、「直線を基調としましたよ」というような、部分部分だけを主張されても意味は無い。全体としてバランスが取れていない限り、それは使う道具としての機能的美しさとはならない。

ダイヤル1つ例にとっても、そのデザインコンセプトは「機能性」ではなく「レトロ感の演出」でしか無いことが明白。
「1/3 STEP」などを設定するならば、ダイヤルは最初から要らないではないか。もし必然性があってダイヤルを採用したとするならば、「ダイヤルならでは」と言わしめるような現代的な発展があってしかるべき。それをせず、単にレトロ感を出すための演出としてのみダイヤルを付け、現在の機能と整合性をもたせるための辻褄合わせに終始する。それでは機能的ではないし、決して美しくは見えない。

金属ボディにしても、確かにマグネシウム合金の採用は現代的アレンジとも言えなくはないが、ともすればコンクリートにも見えるその表面。デザインにこだわるにしては、美しく仕上げる技術的工夫が見られない。地が悪ければ化粧の乗りが悪いか。
その点、CanonのAシリーズなど、トップカバーはプラスチック外装(プラスチック基部に銅コーティング)ながらもまるで真鍮製のようにも思える自然な仕上げは素晴らしい。化粧上手も美人の要素であろう。

確かに、かつてのMF銀塩カメラにもブスなカメラは存在した。しかし現代においてわざわざMF銀塩カメラ的なデザインを採用しているのだから、ブスなカメラと比べる意味など無い。比べるならば美人カメラとであろう。

撮影機材として「Nikon Df」は決して悪くはないが、「かつてのMF銀塩美人が現代に甦った」というようにチヤホヤされているのを見ると、昔の我輩のほろ苦い想い出が甦るのである。
冷静に見れば、デブで、頭デッカチで、しかも化粧の乗りが悪く肌が汚い。
我輩は改めて叫びたい。

「おい、分かっているのか、そいつはブスだぞ!」