2000/04/05
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表紙

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カメラ雑文

[811] 2014年02月13日(木)
「21世紀の未来生活に備えて」


2年くらい前に映像関係の展示会を見に行った際、「4Kテレビ」の展示を幾つも目にした。4Kテレビは現在のフルハイビジョンの4倍の画素数で、次世代のテレビとして注目されているという。
だが2011年にテレビが地上波デジタル放送に切り替わりハイビジョン画質となったばかり。我輩はそれらの展示を見て「先走り過ぎだ」と呆れた。

いくら技術が進歩しようとも、いくら大画面テレビの製造コストが低下しようとも、そんな高解像度の映像ソフトなど無い。映画やきゃりーぱみゅぱみゅのPVもようやくブルーレイビデオで買い始めたというのに、もう次の媒体が必要になるのか? ハードウェアが進歩しようともそれに対応する映像ソフトウェアが無ければ何の意味も無い。

そう思いながら会場内を見渡すと、4KテレビにSONY製デジタル一眼レフカメラが接続され、4Kテレビの画面にはデジタル写真が映し出されていた。
我輩は足を止め、その画像に見入った・・・。


「デジタルカメラの画素数はどれくらいあれば十分だろうか?」
そのような問いがあったとすれば、我輩はこう答えよう。
「どんなにあっても十分とは言えないが、強いて言うならば3,000万画素は最低ラインだな。」

このようなことを書くと正気を疑われるかも知れぬ。何しろ現状では、一般コンシューマークラスのデジタルカメラで3,000万画素を超えるものは「Nikon D800/D800E」と「SONY α7R」しか存在しないからだ。それ以外のデジタルカメラは使い物にならぬとでも言うのか?

さすがにそこまで言うつもりは無いが、現状我輩は1,600万画素のマイクロフォーサーズカメラを使っているものの、決してその画素数に満足しているわけではない。より画素数の多いマイクロフォーサーズ機が現れればすぐにでも乗り換えるつもりでいる。
やはり、画素数は多いほうが良い。

今に始まったことではないが、「画素数はもうこれ以上必要無い」という意見がある。また、「等倍鑑賞するのは偏狭な趣味の人間だけ」という意見もある。
一般的にプリントする上限はA3サイズがせいぜいであるし、ブログやウェブサイトで使うにしても更に画素数は少なくて良い。画面に表示させるのにも等倍にしてしまうと画面からハミ出すので一部しか見えない。また、画素数が増えると高感度特性が低下して諧調が潰れノイズも増えてしまう。そもそも高画素の画像はパソコンで扱うにも処理が重くて大変だ・・・と、このような理由である。

確かに、これはこれでもっともな話。だがそれはあくまでも、現在の環境に限った話でしかない。これから21世紀未来として技術発展することを忘れてはいないだろうか。

デジタルカメラが登場した当初、そのイメージセンサーはビデオカメラのCCDの流用のため25〜35万画素程度しか無かった。それが現在では最低でも1,000万画素以上、ハイエンドクラスで3,000万画素を越えた。
それなのに、高感度特性については様々な技術革新や改良により、旧い低画素機よりも新しい高画素機のほうが高感度特性が良い場合すらある。
現時点の技術を根拠に将来の高画素機の高感度特性を憂うのは無理があるのではないか。

またパソコンも処理能力も年々向上し、値段も低下するのは我輩がここで述べるまでも無い。ヘタに旧い機種を長く使い続けるよりも、新型の安物を買ったほうが効率が良かったりもする。
ハードディスク容量も、3.5インチ1基で2TB(テラバイト)にもなっている。我輩は動画保存でこれでも足りないが、静止画だけならば余裕だろう。もっと先になれば更に大容量・高速化され、どんなに高画素データであっても難無く処理可能になる。

これらを見ると、一昔前からすればまさに"隔世の感"と表現する他あるまい。

"隔世"とは、「時代が隔たるほどの違い」ということである。時代が異なれば、全てが変わる。それは、写真の鑑賞方法についても同様である。
我々は、知らず知らずのうちに写真との付き合い方を変えてきているのだ。

雑文781「プリントしきれぬ大量のデジタル画像」でも書いた通り、もはやプリント写真は誰かにプレゼントするというような機会でも無い限り、まずやらない。
昔、ネガフィルムが主流の時代では、とりあえず全コマをサービス判でプリント(あるいはベタ焼き)していたものだ。ネガのままでは画像確認もままならなかったからである。しかし今は、デジタル写真をパソコン画面に表示させるだけで確認出来る。
写真展示会や個展を開く、あるいはコンテストに応募するために大判プリントが必要だとしても、それこそ厳選したものだけであろう。
今は携帯電話で気軽に写真が撮れる時代であるが、それらをいちいちプリントするなど聞いたことが無い。大抵はメール添付として人に送るもので、「写メール(ソフトバンクの登録商標)」という言葉もそれを端的に表している。

画像の入り口としてのフィルムの衰退があるのだから、出口としてのプリントも衰退するのは当然の流れ。デジタル画像は入口から出口まで完全にデジタル化されるのが自然である。
時代は変わったのだ。

だがそうなると、「画面上で写真を見るだけならば、それこそ高画素数は必要無い」という意見が正しいように思えてしまうが、本当にそうだろうか?
これも先ほどのように、今現在の環境に限った話である。

我輩はデジタルカメラを昔から使ってきた。それこそ35万画素の時代である。その頃はパソコンのディスプレイもSVGA(800x600ドット)だった。しかもそのディスプレイはCRT(ブラウン管)が全盛で、LCD(液晶ディスプレイ)もあるにはあったが、256色やせいぜい6万5千色(16Bit-HighColor)までしか発色出来なかった。

CRTでは解像度を上げるには高周波数で表示させる方法があったが、あまりに解像度が高いと目がチラチラしたり細かい描写が潰れたりする。そうなると大きな画面のディスプレイが必要となる。しかしCRTでは画面が大きくなれば筐体が3乗に比例して大きく重くなるので、あまり大きな画面も難しい。

そうこうしているうち、LCDの技術が向上(TFT化)してフルカラーでの表示も出来るようになった。そして生産量が増えるにつれてLCDの製造コストも下がってきて、もはやCRTを目にする機会もほとんど無い。完全にLCDに置き換わったのだ。

LCDの画期的なところは、画面が大きくなっても筐体そのものはCRTほどに大きくならないということである。そして画素密度も年々高まり、タブレットPCなどでは「人間の網膜を越えた」とまで言われるようになってきた。見れば確かに緻密で、同じ写真でも眼の曇りが取れたかのようにキレイに見える。

現在、パソコンディスプレイはフルハイビジョンが1つの基準となり1,920x1,080ドットが最低ラインとなっている。画像処理をする者では恐らく1,920x1,200のディスプレイを使う者が多かろうと思う。

我輩の場合、パソコンはデュアルディスプレとし、メインを2560x1440ドットのものとしている。これは400万画素に近く、かつて我輩が使っていたデジタル一眼レフカメラ「Canon EOS-D30」の300万画素を上回る。こんなディスプレイでも3〜4万円くらいで手に入る時代。
当時、まさかデジタル一眼レフカメラで撮った画像が等倍表示でも足らなくなるとは思ってもみなかった。もはやデスクトップの壁紙にすら使えないのだ。いくら旧型とはいえ、仮にも一眼レフで撮った画像だぞ?

今後近い将来、4Kテレビや8Kテレビがメーカー主導で盛り上がってくるだろう。それらは展示会では巨大な画面だったが、タブレットPCのように網膜を越えたと言われる密度になれば、一般家庭に入るくらいコンパクトに凝縮されよう。
もちろんテレビ分野では映像ソフトが無いのでユーザーはなかなかついてこないとは思うが、それでもメーカーは4K/8Kを流行らせるつもりで設備投資に力を入れていることは事実。この流れで、仮にテレビとしては売れなかったとしても、その設備投資はパソコンディスプレイの大画面化・高解像度化の促進に影響を与えることは間違いない。現在のパソコンディスプレイがフルハイビジョン解像度を基準にしたように。
結果、デジカメ写真は4K/8K画面で気軽にしかも等倍で観る時代となろう。そうなれば、今でこそ少なくなったプリント鑑賞などという過去の習慣は、その時点で完全に廃れることになる。

それにしても、もしそんな時代になったとしたら、今我輩が使っているマイクロフォーサーズ1,600万画素のデジタル写真は等倍表示でも物足らなくなる。
4Kディスプレイならば解像度は約4,000x2,000ドット、画素数で言うと800万画素程度なので1,600万画素のデジタルカメラでも余裕があるように感じるが、実際はマイクロフォーサーズは縦横比が4:3のため長辺が4,600ドットくらいしか無く、4Kディスプレイの横辺に対して600ドットの余裕しか無い。水平調節をしてしまえばもうギリギリ。

4Kですらこういう状態であるから、これが8Kディスプレイともなれば、今撮っている写真は完全に画素数が不足する。だからこそ、未来に遺す写真には今からでも画素数向上を図りたいのだ。

そんなことを言うと、「小さなサイズの写真は全てダメなのか」という反論もあろう。もちろんそんなことは無い。しかし、だからと言ってわざわざ小さな写真にする必要もあるまい。選べるならば、高画素のカメラのほうにするのではないか?

当然ながら、デジタル画像の解像度をこれまで以上に増やすには、カメラ側はもちろんレンズの分解能も向上させねばならぬし、手ブレにもこれまで以上に気を使う必要がある。
そのためには、設計技術や加工技術、そして新しいレンズ素材の開発は不可欠。そして手ブレ補正にも大きな革新が必要となろう。イメージセンサーにしても、1画素当たりの面積がどんどん小さくなりそのままではノイズが増えることになるので何らかの技術向上が必要である。

だが我輩は、21世紀の未来技術を信じている。
これまでも、イメージセンサーは画素数を増やしながらも様々な努力によってノイズを減らしてきた。
手ブレ補正も驚くほど効くようになった。
レンズもフィルム時代には考えられないほど緻密な映像を結ぶようになった。

このような流れがこの先も続くことを信じ、今撮っている写真が21世紀の未来生活で楽しめるよう、ユーザーの立場として高画素の追及は可能な範囲で続けていきたい。