2000/04/05
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表紙

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カメラ雑文

[768] 2012年09月07日(金)
「ロボット」


写真撮影は、本来難易度の高い作業である。
いくらカメラの機能を高度に自動化させようとも、結果的に撮影者のイメージに合わねばそれは失敗写真なのだ。
自動化を阻むのは、「撮影者の持っているイメージをカメラ側に伝えること(意思疎通)」と、「カメラが撮影シーンを正しく理解し適切に撮影すること(状況判断)」、の2つの問題である。

最初の、意思疎通の問題は、マン・マシンインターフェースと呼ばれる。
これが人間同士であれば、言葉で指示伝達することが出来る。場合によってはジェスチャーや、あるいは日本人特有の「場の空気を読む」という先読みすら可能なケースもある。
しかしながらカメラに人間のイメージを伝達するには、撮影モード選択という面倒なことをせねばならぬ。
通常、モードは幾つか用意されているが、例えばもしUFOを撮りたい時はどのモードを選べば良いのだろう。「風景モード」か? パンチラ写真の場合は「スポーツモード」か?
そもそもスポーツにしてもゴルフと陸上競技で同じモードが使えるとは思えない。だったら「ゴルフモード」と「陸上競技モード」を追加すべきなのか?
今の時代、ファームウェア・アップデートでモード追加は簡単だろうが、モードをどこまで細分化するのかという議論を解決することにはならないし、ヘタすると「1万種類のモードを搭載!」などと変な競争に突入しかねない。
カメラが撮影者のちょっとした挙動から今何をしようとしているのかを汲み取ってくれれば済むことなのだが、現状では難しい。

次に状況判断の問題について、人間の場合は画を画として見ることが出来るが、カメラは画をデータとして取り扱う。だから、逆光シーンを撮ろうとしている場合に人間ならば「影を明るくしたいな」などとイメージする。
しかしカメラのコンピュータは、得られた情報からパターンマッチングにより「逆光シーンの可能性が高いな」とは思うかも知れないが、画を見て判断しているわけではなく単純に輝度やコントラストなど過去のパターンとの照合作業なので、その予想は外れているかも知れない。
しかも、ちょっとカメラを振ってフレーミングが微妙に変わるだけでパターンマッチングが変わり、全然違う露出値を出すことも有り得る。状況が読めていない証拠だ。
もしこれが人間ならば、ちょっとくらいフレーミングが変わったとしてもそれが同じシーンであることを人間として理解しているので、意味もなく露出を変えようとは思うまい。

いくらカメラのコンピュータが高度な制御を行うようになったとしても、自分の置かれた状況を理解し、かつ人間の心を読むことは現状難しい。人工知能が実現しない限りは・・・。

そこで、ふと思った。
現在、人工知能の研究はどれだけ発達しているのだろうか。
もう21世紀に入って10年経った。本来ならばエアカーや原子力飛行機が飛び交っているはずの時代。そろそろロボットも自己を獲得し、我々人類に対して戦争をしかけてきても不思議ではなかろう。

その前に、昔のロボットはどんなものだったのかを我輩が見てきた範囲で振り返ってみたい。
まず、我輩が現実のロボットを知ったのは1970年の「大阪万博」に出品されていたロボットだった。
その頃はまだ我輩は幼かったので実際に万博に行ったわけではないが、万博を紹介した図鑑の中に「中に人が入れる巨大ロボット」、「記念写真を撮るロボット」などが紹介されていた。
だがこの時代のロボットは今見るとアナログ的で、玩具の域を出ていないように思えてならない。

<図鑑に載った大阪万博のロボット>
図鑑に載った大阪万博のロボット

その後、1982年に地元で開催された「ふくおか'82大博覧会」では、似顔絵を描くロボットがいたし、ロボットの姿ではないがラブレターを代筆(連続用紙にドットインパクトでプリントアウト)してくれるコンピュータもいた。
この辺でようやくコンピュータによる情報処理的な動きを感ずるようになった。

そして1985年には「つくば科学万博」が開催され、当時の科学雑誌「Newton」で特集された万博特別号に載った「楽譜を読み取り、ピアノを弾くロボット」に未来を垣間見た気がした。

<科学雑誌に載ったつくば万博のロボット> <現在のメモリアル展示(不動)>
(※画像クリックで縦1200ドットの拡大画像が別ウィンドウで開く)

それからしばらくは特に大きな報道は無く、どうしたのかと思っていたところに自動車・バイクメーカーのHONDAから二足歩行のロボットらしいロボット「ASIMO」が現れた。
その歩きは気持ち悪いくらいに人間的で、これまでのブリキのロボットのような歩きからは隔世の感がある。

HONDA 「ASIMO」 (※右のほうが新しいバージョン)
(※それぞれ画像クリックで長辺1200ドットの拡大画像が別ウィンドウで開く)
HONDA ASIMO HONDA ASIMO HONDA ASIMO HONDA ASIMO

「ASIMO」はその後改良を重ね、小走りしたり、ボールを蹴ったり、人間と同調した動きをしたりと人間に近付いてきた。

一方、「産業技術総合研究所(産総研)」では、人間そっくりな外見を持つロボット「未夢(ミーム)」が造られたという。
こちらも二足歩行を行い、つま先ターンなども器用にこなす。そういう特性を活かしてダンスも躍れる。
そして表情も、何パターンか変えることが出来る。

産業技術総合研究所 「HRP-4C 未夢(ミーム)」
(※それぞれ画像クリックで長辺1200ドットの拡大画像が別ウィンドウで開く)
HRP-4C 未夢 HRP-4C 未夢 HRP-4C 未夢 HRP-4C 未夢

同じように表情を変えられるロボットとして「アクトロイド-F」というのがあり、こちらは相手の表情を認識して相づちを打ったり、「未夢」よりはるかに細かい微妙な表情により人間とのコミュニケーションがとれるものとなっている。

産業技術総合研究所 「アクトロイド-F」
(※それぞれ画像クリックで長辺1200ドットの拡大画像が別ウィンドウで開く)
アクトロイド-F アクトロイド-F アクトロイド-F アクトロイド-F

その他にも、様々な企業や大学、団体がロボットを開発しており、それぞれの得意分野に磨きを掛けている。
このまま進めば、遠くない将来には人間と変わらぬ意識を持つ人工知能ロボットが登場するはずだ。そして、カメラにもその技術が応用され、まるで気の利くアシスタントのように存在となり、ピントや露出、フレーミングはおろか、シャッターのタイミングまでカメラ任せのほうが人間よりも出来が良くなることだろう。

その他ロボット
(※それぞれ画像クリックで長辺1200ドットの拡大画像が別ウィンドウで開く)
その他ロボット その他ロボット その他ロボット その他ロボット
その他ロボット その他ロボット その他ロボット その他ロボット

・・・いや、そんな未来がすぐ来るようには思えない。
これまで見てきたロボット、気持ちを落ち着けてよくよく見てみれば、人工知能の部分では全く進歩が無いではないか。

確かに、二足歩行のバランスの取り方、画像認識の技術、人間に似せた表情や動作などは一昔前では考えられないほど。だがそれらは人間が指令を出して行動するものであって、自発的な動作では全くない。
確かに外界から受ける刺激に対応してはいるものの、基本的には人間の組み立てたアルゴリズムに沿って動いているだけである。昔と違うのは個々の動作や細かい配慮などの処理の仕方であって、それが人間らしく見せているに過ぎない。人間は、自分に似た動きをする存在に対して架空の意識を投影して見てしまうのだ。

現在のロボットに、自発的意志は無い。
デモンストレーションに意欲を燃やしたり、デモンストレーションが終わってスイッチを切られそうな時に「スイッチを切らないでくれ」と懇願することも無い。
ロボットは、自分が今何をしているのかという真の意味を理解出来ていないのである。

我輩は詳しい技術動向は知らないが、恐らく現在、人工知能に関しては大きな壁に行き当たり、全く進歩は無いのではないかと思う。物体認知や移動・制御など個々の要素ごとの進歩はあろうが、将来的にそれらが統合されると、ある種の閾値(いきち=臨界のようなもの)を越えて人工知能が発現するかどうかは不明だ。いや、きっと無理だろう。何しろ、単細胞である原生動物ですら自発的な動きを見せる。原生動物は既に閾値を越えているというのだろうか?
原生動物についてはきっと、今までとは全く違ったアプローチによるブレイクスルーを必要とすることを示唆している。それを越えられねば、いくら数百数千年経とうが人工知能は実現しない。


キレイな景色に出会ったら、それをその印象のまま写真に残したいと思うのは人間的な心の働きである。ロボットは同じように感じ、そして人間に共感せねばならない。それが出来て初めて、人間と目的を一にすることになり、自らの取るべき行動を悟るのだ。
それが出来ないうちは、カメラの完全自動化は成し得ないものと我輩は断ずる。

まだまだこの先しばらく、写真を撮るということは難しいのであり、カメラ任せには出来ない。