2000/04/05
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表紙

1.主旨と説明
2.用語集
3.基本操作法
4.我輩所有機
5.カメラ雑文
6.写真置き場
7.テーマ別写真
8.リンク
9.掲示板
10.アンケート
11.その他企画

12.カタログ Nikon
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カメラ雑文

[733] 2011年09月26日(月)
「2011年夏 九州帰省日記(6日目)」−8月11日(木)


「閑さや岩にしみ入る蝉の声」〜松尾芭蕉
この俳句のセミの声については「ニイニイゼミ」という小型のセミだと解釈されているらしい。確かにニイニイゼミは、岩に同化したような存在感とともに鳴き声も低調である。ヒグラシほどの涼しげな声ではないにせよ、カンカン照りのイメージも無い。

それに対し、クマゼミというのは容赦無い。
ワシャワシャワシャと大合唱をして、耳の中で共鳴するかのごとく暴力的な声が響く。
もちろん子供の頃は、力強いクマゼミの声がカッと暑い夏休みを感じさせて気分を高揚させたものだったが、さすがにもうそんな気も起きぬ。

九州帰省の最終日。
この日も相変わらず朝からクマゼミの大合唱が響き、それが外の暑さを感じさせて外に出る気力を奪う。
午前中の予定は、近くの「到津(いとうづ)の森公園」という動物園へ行く予定ではあったものの、結局はクーラーの効いている室内でゴロゴロすることになってしまった。
全ての気力が削がれてしまっていたのである。

小倉市街へ出たのは午後になってからだった。
西鉄バスに乗って移動しようと少々離れたバス停へ歩いたのだが、道を行き交う西鉄バス車輌をあらためて見ると、新しいカラーリングが増えているのが印象的。昔からのカラーリングのバスもあるにはあるが、数が減っているようで少し残念。

<西鉄バスの昔ながらのカラーリング>
西鉄バスの昔ながらのカラー
<今回頻繁に見掛けた新しいカラーリング>
よく見かける新しいカラー

ちなみに、バスの行き先表示板はLED(発光ダイオード式)タイプのものが主流となっており、写真撮影した際、シャッタースピードとLEDの明滅周期との相性が悪く、読み取り可能な文字としては撮影出来なかった。
この問題は、最近増えてきたLED式の信号機にも言えることで、例えば事故時の映像記録を撮影する「ドライブレコーダー」という一種のビデオカメラでは、LED信号の点灯が写らずに証拠としての能力を失う事態も発生していると聞く。


さて、この時間になると暑さがピークに達していたが、午前中ゴロゴロしていたおかげで少しは体調が回復したようだ。それに、もうすぐフェリーに乗って帰るということを考えると、少し緊張感も出てくる。

小倉の街、大通りはクルマの往来も激しいが、1つ隣の通りへ行くと驚くほど閑散としていた。そこには歴史を感じさせる新聞店があり、また空も広く感じたので、何となく心に残り1写真を撮った。もしこれがビルに囲まれた風景であったならば、恐らく同じ建物であっても、シャッターを切ろうという気持ちの閾値(「いきち」、臨界点のようなもの)に達しなかったろう。

<古い新聞店>
古い新聞店
[Nikon D700/24-120mm] 2011/08/11 13:09

バス停は、この新聞店の近くにあった。
バスというのは地域によって、あるいはバス会社や路線によって支払い形態が様々で、初めて乗る者にとってはかなり難しい乗り物である。
前払い制、後払い制だけでなく、さらには単一料金、距離別料金などがある。その上、前ドア乗りか後ドア乗りかも注意が必要で、整理券が必要な場合は取り忘れしないことが重要。

今回も、母親からは単一料金だと聞かされていたが、よく見ると前方にLED式の運賃表があり、慌てて小銭を用意した。母親は、普段は単一料金の路線をよく利用していたようで、少々調子が狂ったようである。

<バスで移動>
バスで移動
[Nikon D700/24-120mm] 2011/08/11 13:13

リバーウォーク前の大通りに行くと、こじゃれた建物が多くあり、昔の雰囲気は全く消えていた。我輩が子供の頃は、ゴミゴミした賑わいがあって、それはそれで良かったのだが・・・。

<リバーウォーク前の大通り>
リバーウォーク前の大通り
[Nikon D700/14-24mm] 2011/08/11 13:47

少々遅くなったが、14時頃にリバーウォークでうどんの店に入って昼食とした。
九州的な透明なツユのやわらかいうどんを期待したが、出てきたのはどこにもありそうな普通のうどんだった。残念・・・。

食後、リバーウォークでウィンドウショッピングなどをし、15時近くに母親のアパートに戻った。昼食が遅かったせいでまだ昼という感覚が残っていたが、出航が17時半なので1時間前の16時半までに着いたほうが良い。フェリー乗り場までは渋滞を加味して1時間弱はかかるであろうから、遅くとも15時半には出発すべき。
そういうわけで、休憩もそこそこにクルマに荷物を載せ、いよいよ新門司のフェリー乗り場に向かうことにした。アパート前にはクルマを長く停めることは出来ず、母親との別れもそこそこにクルマを出さざるを得なかった。特に我輩は運転手なだけに、うしろを見ながら手を振るわけにもいかぬ。

新門司のフェリー乗り場へは45分で到着。まずまず順調。
誘導員がこちらに近付き「下船が数分遅くなる車両甲板へのご案内となりますがよろしいですか?」と言ったが、拒否する強い理由も無いのでそのまま待機場所に誘導してもらった。

エンジンを切るとすぐに暑くなるので、急いでクルマを降りて荷物をまとめる。
どうやらフェリー案内所は、去年とは異なる場所のようだった。フェリー会社は同じながらも、去年は大社造的な立派な建物だったが、今年はその隣の、あたかもタクシー営業所のような地味な建物であった。前回よりも早い便にしたせいであろう。
ちなみに船は、往路と同じ船体である。

<新門司>
新門司
[Nikon D700/24-120mm] 2011/08/11 16:16

搭乗手続きをしようと思ったが、窓口で手続き中に車検証を持ってくるのを忘れたことに気付き、慌ててクルマまで取りに戻った。そうなると手続きがまた最初からやりなおしになってしまうので、車検証は忘れずにしなければならない。
窓口では「搭乗者が多いので相部屋になると思います」と言われたが、4人部屋貸切にしてしまうと費用が上乗せされるので「それで結構です」と答えるしか無かった。

手続きを済ませて搭乗券を受け取り、別搭乗となる豚児とヘナチョコ妻に渡した。そして我輩自身はクルマに戻り、そこで待機。温室状態ではあるが、アイドリングするわけにもいかず、ウチワで扇いで何とか凌いだ。
出航時間まで1時間あるので搭乗開始まで少し待たねばならないかと思ったが、ほどなくして搭乗が開始され、誘導員に促されて船首のほうからクルマを乗り入れた。
さすがに船首からの搭乗は、「船に乗るぞ」という気持ちを強く感ずる。

<船首からの乗船>
船首からの乗船
船首からの乗船
[車載ビデオカメラ] 2011/08/11 16:33

クルマから降りて階段を上がり、4人部屋の2等寝台船室に入ると、そこには誰もいなかった。
しばらくしてから別搭乗のヘナチョコ妻と豚児が入ってきた。そのうち相部屋となる相手もやってくるだろう。そう思って様子を見ていたが、なかなか相部屋の相手が来る様子が無い。もしかしたら、復路も貸し切りになるかも知れないが、直前に乗船する単独バイクなどもあろうかと思う。
そういうわけで、出航までは落ち着けない状態が続くことになる。

それにしても、往路でもそうであったが、鉄で囲まれた船内にてGPS電波が捕捉出来ているのに驚かされる。確かに、窓が近くにあるものの、そこから上を見上げても空はギリギリ見えない。見えるのは、狭い中庭的通路と壁だけである。
もしかしたら、電波が反射しながら下まで届いているということなのか?

<船室にてGPS電波捕捉>
船室にてGPS電波捕捉
[Nikon D700/24-120mm] 2011/08/11 16:37

さて、17時半になってエンジン音(スラスターの音)が激しく響いてきた。出航である。この時点で相部屋の相手が来ないということは、貸し切り状態になったことを意味する。
フロントで部屋の鍵を受け取り、出航の様子を見るためにデッキまで出てみることにした。

やはり早い時間での出航便は、景色が楽しめるのが良い。豚児も、楽しみにしていた船旅を満喫しているようだった。

<出航>
出航
[Nikon D700/24-120mm] 2011/08/11 17:41

その後、食事をするために食堂へ行った。昼食が遅かったためまだ夕食には早いかと思ったのだが、あまりノンビリし過ぎると席が無くなってしまう。
ただ、意外にも腹は減っていたようで、どれも美味そうに見えてクジラフライや魚の煮付けなど余計なものも取ってしまい出費もそれなりに嵩んだ。

<食堂>
食堂
[Nikon D700/14-24mm] 2011/08/11 18:05

食後は風呂に入り、そして貸し切りとなった船室でノンビリと過ごした。
寝転がりながら、ポータブルナビの画面を見ているだけでも楽しい。船の動きが手元で逐一分かるというのが、何かのシミュレーションゲームのように感ずるためかも知れない。

<ポータブルナビSONY NV-U37の画面>
ポータブルナビSONY NV-U37の画面
[Nikon D700/14-24mm] 2011/08/11 20:20

ただ、翌日の大阪着岸は早朝6時である。ということは、起床のアナウンスは5時となる。そして着岸後は直ちに関東へ向けてクルマを走らせることになるのだ。ノンビリ過ごすのも良いが、早めに就寝しておかねば後で苦労する。

書き忘れていたが、この船室には洗面台が付いており、歯磨きなどその場でやれるのが良い。


「2011年夏 九州帰省日記(7日目)」−8月12日(金)

朝5時、船内アナウンスの声で起こされた。船は順調に進んでいるとのこと。
ポータブルナビのスイッチを入れてみると、確かに港までもうすぐの距離であった。

<起床時間のナビ画面>
起床時間のナビ画面
[Nikon D700/24-120mm] 2011/08/12 05:03

朝食は、船内では食べず、大阪に着いてからコンビニエンスストアでおにぎりか何かを買って食べることにしよう。
そういうわけで、身支度はすぐに完了。逆に、接岸まで待つのが長く感ずる。

接岸の15分くらい前になり、ドライバーはクルマに乗るようアナウンスがあった。下船時も、ドライバーと同乗者は別々である。
我輩は荷物をまとめて車輌甲板まで降り、クルマに乗り込んで待機した。
胸がドキドキして仕方がない。

このドキドキは、気分の高揚でもなく、期待感でもなく、ただの緊張である。何しろ、これから大阪から関東までの長距離を、強い日差しの中ずっと運転せねばならないのだ。そんな苦行のスタート地点にいるのだから、緊張せずにおれるはずもなかろう。

<下船前の待機状態>
下船前の待機状態
[Nikon D700/24-120mm] 2011/08/12 05:54

船を降りてから案内所前でヘナチョコ妻と豚児を乗せ、幹線道路を走ってガソリンスタンドを探した。燃料計では残り3分の1になっていたから、このままでは途中で給油せねばならなくなると思ったからだ。
しかし単価が高めのところが多く、しかも朝6時過ぎでは開いているところも少ない。
途中、コンビニエンスストアがあったので朝食を購入。車内で食べた。

そうこうしているうちに7時近くになったので来た道を引き返してみたところ、7時開店のガソリンスタンドがあり、ハイオク単価も周辺の平均値くらい(159円/L)だったのでそこに入って給油した。これ以上無駄に走ってガソリンを消費してしまうと、安いところを探しても意味が無くなってしまう。

高速道路に乗ると、とりあえず気分が落ち着いた。
関東までの長距離移動、いや"長時間"移動と言ったほうが良いだろうか、その中ではちょっとした寄り道や休憩が大変な無駄に思える。とにかく早く帰りたい。だから、ナビゲーション画面に表示される残りキロメートル表示を1キロでも潰していくこと、つまり高速道路走行中が一番落ち着くのである。

途中、純正カーナビゲーションとポータブルナビゲーションの行き先指示が異なる場面があった。純正のほうは、少なくともこのクルマが作られた4年前の地図データである。しかしポータブルナビゲーションのほうは2010年版の地図搭載なので、当然ながら地図の新しいポータブルナビゲーションの指示のほうに従う。
そのため、純正カーナビゲーション画面では道の無いところを走っている表示になっていた。
ただ、どこの道を走ったのか、そしてどれくらい時間短縮されているのかまでは調べていないので、詳細は分からない。

<地図に無い新しい道を走る>
地図に無い新しい道を走る
[Nikon D700/24-120mm] 2011/08/12 09:34

昼食は、三方原サービスエリアのコンビニエンスストアで調達し、エアコンの効いた車内で食べた。
昼食も無駄な時間のひとつだが、運転手の我輩が素早く食べてしまえばすぐに発車出来る。とにかく、停車時間を短く努めることが肝要。

これまで何度書いたか分からないが、この時期、途中の休憩でもエンジンを切ることは出来ない。エアコンが切れると途端に車内がオーブン状態になる。ヘタをすれば命に関わる問題。これは決して大げさな表現ではない。

クルマは、炎天下で停めておくと車の温度はどんどん上昇する。もちろん、車内のいわゆる「温室状態」は走行中であろうがなかろうが関係無いわけだが、ボディのほうは走行中であれば風を受けて冷却(空冷)される。
特に、ルーフの温度は車内温度に少なからず影響を与える。それを裏付けるものとして、ルーフ内張りにデッドニングを施したところそれが断熱効果を生み、炎天下駐車でも車内温度がさほど上がらなくなったという報告もある。

だから、停車中のアイドリング状態でエアコンを効かせているのは一番効率が悪いと言える。なるべく停車時間を短くするのは、燃費効率の上でも重要であろう。

例え、人間だけはパーキングエリア内の涼しい場所に退避して、クルマはエンジンを切りエアコンを止めてしまったとしても、いざ乗ろうとした時にダッシュボードをはじめとする内装類が高温となってしまっている。そうなると、いくらエアコンを効かせてもしばらくは内装の発する熱で車内の空気が暖められてしまい、エアコンの全力時間が長くなってしまう。全体の熱の収支は同じであっても、エアコンを全力で動かす時間が長いとさすがに燃費が悪くなるようで、以前それでみるみるうちに燃料が減っていくのを見てビックリしたことがある。

それ以来、短い停車中はエンジンを切らずにエアコンを効かせておくことにしているわけだが、それでも出来るだけ停車時間は短くするよう努めねばならぬ。

それから暑いと言えば、アイスクリームも食べたくなってくる。
パーキングエリアでアイスクリームを買おうと思ってアイスボックスを覗いてみたら、商品が全く無いのには驚いた。
諦めきれずそばでうろついていたところ、店の奥からアイスクリームの箱を抱えた店員が現れ、箱の中から商品を取り出して補充してくれた。それを待っていたかのように、どこからともなく人が集まり、次々にアイスクリームを取って行った。

<アイスクリームが飛ぶように売れている>
アイスクリームが飛ぶように売れている
[Nikon D700/24-120mm] 2011/08/12 14:49

さて、このような苦労を重ねながらも、14時半には伊豆半島に近い愛鷹パーキングエリアにまで到達した。このまま行けば、16時くらいには首都高速道路まで到達出来そうではないか。

クルマを進めて行くとさすがに関東に近付いたせいか、散発的な渋滞にハマるようになった。まあ、これも想定の範囲内ではある。
ところが、首都高に入る直前辺りで全く動かなくなってしまった。前方を見ると、車列が長く長く続いている。この状態であるから、多少進んだとしても数メートル。どこかの車間距離が多少詰まったせいでしかない。

ラジオをつけて交通情報を聴いてみたところ、首都高でバスや乗用車など6台が絡む大事故が起こり、それに伴い通行止めの区間があるとのこと。これは想定外であった。

<首都高入り直前の大渋滞>
首都高入り直前の大渋滞
[Nikon D700/24-120mm] 2011/08/12 16:22

ふと見ると、左車線は多少流れていた。どうやら、近くの出口から降りる車列らしい。
しばらく迷った挙句、我輩もここから高速道路を降りて一般道を走ることにした。とは言うものの、車列が動かなければ左車線へは移れず、少しずつ時間をかけて車線変更を行い、ようやく一般道へ降りることが出来た。

一般道を走り始めたのは17時頃。一般道は一般道でそれなりに混んでいた。
都内は離合が激しく運転には神経を使ったが、18時頃にようやく東京スカイツリーが見え始め、千葉へあと少しというところまで来た。ここまで来れば、カーナビゲーション無しでも家に帰れる。

<東京スカイツリーが見えてきた>
東京スカイツリーが見えてきた
[Nikon D700/24-120mm] 2011/08/12 18:10

途中、食料品の調達などでショッピングモール「アリオ亀有」へ寄ったため、実際の帰宅は20時半くらいになってしまったが、もし寄り道せずに帰れば19時半には帰れたはずである。

以上、これで長い帰省の旅が終わった。


今回の帰省のまとめは下記の通り。

●期間 2011年8月6日〜8月12日(7日間)
うち、九州での行動は5日間
●デジタル撮影総枚数 約1,150枚
RAWデータにて撮影。大量枚数の調整作業は大変であった。
●フィルム撮影総枚数 0枚
初っぱなから計算が狂い、後になればなるほど、フィルムでの撮影については"今さら感"が強くなっていった。
●走行距離 1,598km
分岐ミスにより行きは予定外の中央道を走ることになったが、現地ではあまり遠出をしなかった。
●燃料消費量 約148.32L
満タン状態で出発・帰着直後満タン給油のため大きな誤差は無いはず。
●平均燃費 10.8km/L
満タン法にて算出。
●旅行費用 146,377円

<内訳>
・フェリー代 :60,180円(往復割引)
・高速道路代(ETC) :19,170円?(予想)
・ガソリン代 :22,198円
・食費 :16,294円
・宿泊費 :5,725円
・入館・駐車代 :11,900円
・土産その他 :10,910円 

2年前のフェリー帰省と比べると各項目それぞれに若干安くなっている。ただしフェリー代は上がっている。

今年の帰省を一言で表すならば、「スタミナ切れ」と言うべきである。
加齢の問題ももちろんあろうが、世の中には老人になっても元気な人間はいるものだ。それを原因とすることは出来まい。
恐らくは運動不足によるものかと思う。不景気のため登山の回数もめっきり減っていることも、運動不足に拍車をかけた。

それにしても、やはり大きく影響したのは、九州入りして最初のプールでの日焼けによるダメージであった。そのダメージは我輩の予想を大きく超え、以後の予定に大きな影響を与えてしまった。

今回、フィルム撮影が1枚も無かったのは我輩自身大きな衝撃を受け、今後の中判機材の見直しを行う転機となった。それはつまり、66判へのこだわりを緩め、645判の活用範囲を広げるという、いわゆる規制緩和の方針である。
この件については、また今後雑文にて詳しく触れたいと思う。