2000/04/05
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表紙

1.主旨と説明
2.用語集
3.基本操作法
4.我輩所有機
5.カメラ雑文
6.写真置き場
7.テーマ別写真
8.リンク
9.掲示板
10.アンケート
11.その他企画

12.カタログ Nikon
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カメラ雑文

[705] 2010年10月06日(水)
「2010年夏 九州帰省日記(5日目)」−8月10日(火)


中学時代の夏休み、当時入っていた科学部のメンバーでキャンプへ行くことになった。
聞けば、そのキャンプ場は川沿いにあり、そこに小さな滝もあるらしい。

引率として、科学部の顧問教師と生活指導の教師の2人が同行し、科学部の5人のメンバーと合わせて計7人。西鉄バス終点のまだ先のほうの山奥なので、2台の乗用車に分乗して行った(顧問教師はスズキ・フロンテ、生活指導教師は日産・バイオレット)。
テントで一泊するということで、我輩は寝袋を買ってキャンプ場へ持ち込んだ。

キャンプ場の近くの川は、見たところ巨大な一枚岩の上を流れているように思った。ちょうど、岩に溝が掘られてそこを流れているかのよう。不思議な川だ。
この日は川で遊んだ後、飯ごうで自炊して夕食の支度をする予定であった。

川遊びの途中、我輩は休憩のために河原に張ったテントの中に入って「Canon AE-1プログラム」のカタログを眺めていた。
近くにいた生活指導の教師が「なん、おまえカメラ好きなんか。」と聞いた。
その時、川のほうから悲鳴が聞こえた。

急いで行ってみると、科学部メンバーの1人が尻モチをついて苦しんでいた。今となっては誰だったか覚えていないが、確か、この春に入学した新入生だったかと記憶している。
一緒にいた者によれば、岩で足を滑らせ転んでしまったとのこと。一枚岩のような地面ゆえに足を強打してしまい、どうにも立てないようだ。外傷は無いので出血していないのが救いか。
いくら川遊びに慣れた田舎の中学生でも、川床(かわどこ)が一枚岩というのは不慣れであったのかも知れぬ。

その痛がりかたが尋常ではないことから、生活指導の教師が「これからふもとに下りて病院へ連れて行く」と言った。
メンバーが1人減ってしまうが、しょうがない。
ところが生活指導の教師は、新入生を抱えながら周りを見渡し、そして我輩と目が合った。
「おい、一緒に来い。」
そう言うと、我輩も一緒にクルマに乗せられてしまった。この中で我輩が一番体格が良かったため補助として任命されたようだ。

3人を乗せたバイオレットは猛スピードで山を下り始めた。エンジンが唸っている。
助手席からメーターをチラリと見ると、瞬間的ではあるが100km/hくらい出しているようだ。山道のため見通しが悪く、ちょっとスピードを出すだけでも怖いのに、この教師は何を考えているんだ。激しい痛みがあるとはいえ、単に足の怪我であるし、出血しているわけでもない。一刻を争わねばならぬようには思えない。対向車が急に現れて正面衝突したり、谷底へ落ちたりなどすれば、それこそ命も危ないぞ・・・。

しかし幸運にも事故に遭わず、信じられないほどの短時間でふもとに達した。
病院へは、我輩の家の前を通り過ぎて隣町へ行く必要があるのだが、どうしたことか「家に帰ってろ」と家の前で降ろされ、バイオレットはそのまま隣町へ走り去った。
我輩はポカーンとしていたが、ふと気付くと自分が体操服でハダシのままであることに気付いた。
結局、我輩は何のために同乗したのだ?
どうしようもないので家に戻ったのだが、今そこにいるはずのない我輩がハダシで帰ってきたものだから家族も驚いた。

後日聞いたところでは、新入生は足の骨にヒビが入っていたとのこと。
そして残りのメンバーは、あの後キャンプを楽しんだという。
結局使うことの無かった真新しい寝袋が家に届けられたのだが、いつか別の機会に使おうと思いつつ、社会人になる頃にはもはやそれはどこかに消えていた・・・。

<忌まわしき日産・バイオレット>
忌まわしき日産・バイオレット
[Canon AE-1/100-300mm] 1982?


以上、長い想い出話だったが、夏が来ればいつも想い出すエピソードなので、いつかは文章にまとめておきたいと思っていたことである。

さて、この日はまず父方の祖母に会いに行こうと思っていた。
近所で暮らしている父親に連絡を取ると、この日はデイサービスに行っているはずなので、クルマで一緒にその病院に行くことになった。

また午後からは、豚児に夏休みの自然を感じさせるために蛇渕(じゃぶち)キャンプ場へ行くことにしている。このキャンプ場こそ、冒頭に書いたエピソードのキャンプ場に他ならない。

<位置関係>

9時半の約束で父親のマンションへ行き、そこから父親をピックアップして病院へ向かう。
途中、知り合いの童話書店に寄り、父親が豚児に本を買ってやった。豚児は、今小学生の間で流行っている「怪談レストラン」というのも欲しいようだったので、それも追加した。

<童話書店>
童話書店
[Nikon D700/14-24mm] 2010/08/10 10:02

病院へは10時半頃に到着。
病院の介護室へ行くと、祖母がいて我々の突然の訪問に驚いていた。
祖母は周りの老人たちに我々を紹介した。
「こっちが息子、そんでこっちが孫、んでこれが曾孫やわ。ようー来たっちゃー。」
「息子」とは、つまり我輩の父親のことだが、ここで紹介しているということは、地元にいてもあまりここに顔を出していないのだろうか?
さもありなん。

談話コーナーに腰掛けて話をして過ごしたのだが、やはり豚児の成長に驚いている様子だった。
それにしても、先日他界した母方の祖父(参考:雑文687)と同い年であるから93歳か。足腰は弱っているものの、ボケも無くとても元気で気力が強い。昔の閉鎖的な田舎でありながらも、女手一つで6人もの子供を育て上げたのだから、強い心は持っているのだろう。

帰り際、息子以外の皆と握手をした。その手に、強い力を感じた。そしてエレベータの窓越しに、感極まった表情で我々に手を合わせて「ありがとなぁ〜。」と言って見送ってくれた。
病院を出たのは11時15分。

<別れ際の握手>
別れ際の握手
[Panasonic DMC-GF1/14-42mm] 2010/08/10 11:15

もうそろそろ昼食の時間か。
母方の祖父の他界時に帰省した折、母親と叔母さんと行ったうどん屋が近くにあるので、そこにするかと提案してみたところ、父親は「そこのうどんは固くてマズイ」と言う。
確かに、讃岐うどんのようにコシの強い印象があった。

あらためて考えると、我輩も、小さい頃は柔らかいうどんしか食べたことが無い。
九州全体の傾向なのかは知らないが、少なくとも北九州近辺の人間は、固いうどんは好まないようだ。ほとんど噛まずにツユと一緒に飲み込む。だから、コシのあるうどんを食べると「腹ン中でゴロゴロして好かんっちゃ」ということになる。
この柔らかさは、割り箸でちょっと混ぜただけでうどんの欠片がツユの中に舞うほど。それがまた、うどんらしくて好きなのだ。

讃岐うどんがダメならば・・・ということで、近くの「ゆめタウン」というショッピングモールのレストラン街へ。
我輩の父親は豚児に「好きなもん選べ」と言っていたが、豚児が「寿司食べたい」と言うと少し動揺して「他にも色々あるぞ」と他に目を向けさせようとした。
そこにあった回転寿司店を見ると、「1皿90円キャンペーン」をやっていたので結局寿司を食べることにした。

父親はどう見てもそわそわしている。そして「1皿90円か・・・高いのう・・・。」と言っている。普通は100円はするぞ。相場を知らないところを見ると、回転寿司は初めてなのか?
この店は、回転しているベルトコンベアとは別に、注文したものを直行で送り届けてくれるミニレールもあった。父親はそれを見て、「ほーお・・・。」と目をパチクリしていた。
反応があまりに田舎者過ぎる・・・。

慣れていないのなら普通の食堂のように注文しようかと思って皆にメニューを渡した。父親は「お・・・、おお。」と我に返ってメニューを受け取ったものの、ジーっとメニューを睨んだ挙句、寿司とは関係ないものを2品くらい言っただけで、結局あまり食べなかった。

<回転寿司>
回転寿司
[Panasonic DMC-GF1/14-42mm] 2010/08/10 12:03

食後、父親を家まで送り届けて別れ、近くにある町役場へ向かい、駐車場に停めてトイレ休憩を取った。

我輩は、豚児とヘナチョコ妻を待ちながら父親のことを少し考えていた。
まだ両親が離婚していない時代、つまり我輩が幼かった頃は、父親は厳しく怖い存在だった。ちょっとでも意気地が無いとすぐにハタかれて泣いたものだ。たくましく育てようとする意味での愛情があったのだろうが、我輩にとってはただ怖いだけであった。

また、父親の所属する政党の選挙運動に同行した記憶もあるのだが、そういう活動に接して、幼心に「父親というのは難しいことを考え、難しいことを実行しているのだなぁ」と思ったものだ。
幼児の頃だけに反抗・反論したとしても勝てるはずもなく、なるべく父親と接しないようにしていたわけだが、そういうわけで別居後も会いたいという気持ちなどは無かった。

だが今は、そんな感覚は全く無い。
相対的に、父親の位置が下がっているように感ずるのだ。それが少し、寂しくも思う。

さて、トイレ休憩も終わり、これからどうするか。
キャンプ場へ行こうと思っていたのだが、空を見上げると少し雲が多くなり遠くでゴロゴロ鳴っている音がする。

我輩自身、中学生の時のあのキャンプはまだ完結していない。意に反して「ハイ、ここで終わり」と一方的に遮断されたのだから、気持ちとして納得出来ないのだ。だからこれからそこへ行き、あの時のキャンプをキチンと終わらせたい。

それにしても、近いとは言ってもそれなりに距離はあるので、現地では天気も良いかも知れない。考えている間に時間も過ぎてしまうので、とりあえずキャンプ場のほうへ向けてクルマを発車させた。

元々田舎の土地で、そこからさらに山間に向かって行くのだから道はどんどん細く寂しくなっていく。
道は川沿いに延びており、途中、川で泳いでいる子供たちがチラホラと見えたりして「もうこの辺でいいか」と思いかけたのだが、駐車する場所も無いのでそのまま進んだ。

それにしても、道が狭い。10年くらい前までフルサイズのバスが走っていたことが信じられない。
場所によっては、山に囲まれた見通しの悪い蛇行道も多く、中学時代の生活指導教師はよくこんな道で100km/hも出したものだと今さらながら感心する。
所々で道幅を拡張する工事をやっているようなのだが、道幅を広げようにも土地が無いので待避所を作る程度しかやりようが無かろう。

<田舎道> (※帰りに撮影)
田舎道
[Panasonic DMC-GF1/14-42mm] 2010/08/10 16:16

30分ほど走っていると、カーナビゲーション画面で目標が近くに表示されているのに気が付いた。
もうそろそろ着くようだが、山里の見通しが利かない道のため、本当にキャンプ場が近くにあるのかが疑わしく思える。
しかし、最後のカーブを曲がった時にキャンプ場の看板が目に入り、駐車場に入ることが出来た。
今考えるとたったの30分だが、体感的には時間も距離も長く感じた。

クルマを降りると、自然の空気が出迎えた。まさに、夏休みという感じがする。
それにしても、記憶していた風景と合致するところが無い。川のほうへ行けば何かあろうかと思い、豚児とヘナチョコを急かして川へ急いだ。

<蛇渕キャンプ場>
蛇渕キャンプ場
[Nikon D700/24-120mm] 2010/08/10 13:33

途中、滝があるという案内板があり、そこへ降りてみた。
そこには小さな滝があったが、それはともかく、川が大きな一枚岩の岩盤の上を流れているように見えたのが、まさに当時の記憶そのまま。
しかも、周囲は木が茂っており、薄暗くてコケが生えている。これなら、ちょっとした不注意で足を滑らせてしまいかねない。

事件現場はここか・・・?

<事件現場か?>
事件現場か?
[Nikon D700/24-120mm] 2010/08/10 13:40

さて、豚児を水遊びさせるには、ここは適当でないので、もう少し上流側へ歩いてみることにした。
すると、川幅が少し広い場所に出た。陽が当たっているせいか、コケはほとんど無い。ここならば少し安全かも知れない。
ちなみにここも、川床全体が一枚の岩盤になっている。

<一枚岩の川床>
一枚岩の川床
[Nikon D700/24-120mm] 2010/08/10 14:16

見ると他にも家族連れがおり、子供が水着姿で遊んでいる。それを見て豚児も、「水着で川に入りたい」と言う。
仕方無いので水着に着替えさせたが、足を滑らせないよう厳重に注意したのは言うまでもない。
あの山道を猛スピードで飛ばしたくはないからな。

ただ、川自体は非常に浅く、泳ぐようなことはまず出来ない。せいぜい水遊びをする程度。
もし泳ぐことが目的ならば、上流ではなく中流のほうが良かろう。それは他でもなく実家近辺がそれに該当する。大小の礫(れき)がゴロゴロ積み重なり、巨岩の間に水流の緩やかな深い場所がある。

<水遊び>
水遊び
[New MAMIYA-6/50mm/Kodak E100G] 2010/08/10 13:58

豚児は小魚を見つけてそれを捕まえようとしたがなかなか捕まらない。
「おまえに捕まる魚がおるもんか」と言ってやったが、それでも捕まえたいようだったので、ビニール袋を使って捕まえてやった。これも豚児にとっての夏休みの想い出になろう。
別に食べるわけでも飼うわけでもないので、少々観察した後にすぐ逃がしてやった。

<小魚の観察>
小魚の観察
[Nikon D700/24-120mm] 2010/08/10 14:41

2人で川を遡上して1つの堰(せき)を越えてみると、水流緩やかな広いところに出た。なかなか涼しげな風景である。

<水流緩やか>
水流緩やか
[Nikon D700/24-120mm] 2010/08/10 15:32

ここは小石がゴロゴロあるので、上流から流れてきたものが堰で止められ溜まったものであろうか。せっかくなので、小石の中から平たい石を選び、水面を飛ばして水切りを豚児に見せてやった。
豚児も挑戦したが、やはり失敗。コツを教えても実践出来ないのは我輩の子供の頃も同じ。
いつかまた川に来た時にでも挑戦してくれ。成功するようになってそこから自分の成長を感じるのもまた良かろう。

<水切りに挑戦>
水切りに挑戦
[New MAMIYA-6/50mm/Kodak E100G] 2010/08/10 15:17

川べりを見ると、上から眺めていたヘナチョコが居ない。上がってみると休憩所で休んでいた。
時間はもう16時。そろそろ帰ることにした。
危ぶまれた天気も特に悪くなることも無くて良かった。

帰りは、実家を通り過ぎて隣町の駅まで行って母親をピックアップし、買い物に寄って実家に戻った。豚児は花火を買ってもらったようだが、もう明日は千葉に帰る日なので、やるとすれば今夜しかないぞ。

空を見上げると、台風が近付いているとのことで、確かに空がどことなく騒々しく見える。もし今回フェリーで来ていたならば、欠航になっていたのであろうか・・・?

<台風の近付いた空>
台風の近付いた空
[Panasonic DMC-GF1/14-42mm] 2010/08/10 17:23

実家で夕食を食べ、風呂に入り、さっそく花火をしようと思ったわけだが、近付いている台風の影響なのか風が強くなり、1つも着火できずに撤退。
花火はそのまま千葉に持って帰ることになってしまった。

<買ってきた花火>
買ってきた花火
[Nikon D700/24-120mm] 2010/08/10 18:43

我輩が高校生まで自分の部屋だったところで九州最後の夜を過ごす。
一日一日が早く、もう明日は帰る日を迎えることとなった。今回は新幹線なので、午後にはもう千葉か。

<寝床>
寝床
[Nikon D700/14-24mm] 2010/08/10 19:13



「2010年夏 九州帰省日記(6日目)」−8月11日(水)


この日、新幹線は小倉を8時過ぎに出るので、早起きして身支度をする。
窓からは、高校生の頃に夜明けの写真を撮ろうとした懐かしい景色が広がっていた。あの頃と全く変わらない風景に、時間の経過を忘れるような気持ちになる。

<夜明け>
夜明け
[Panasonic DMC-GF1/14-42mm] 2010/08/11 05:37

朝食を食べ、床の間の祖父の遺影に手を合わせ、帰りの挨拶をした。
実は、66判の「New MAMIYA6」にて、セルフタイマーを使った記念撮影もしたのだが、三脚が無いせいで多少傾き、またアングルも低く、そして遺影が背後に隠れてしまったのは残念であった。

<祖父の遺影に挨拶>
祖父の遺影に挨拶
[Panasonic DMC-GF1/14-42mm] 2010/08/11 06:02

新幹線に乗る前に、レンタカーを返却せねばならない。
母親も乗せて実家を6時10分に出発し、小倉駅前のトヨタレンタリースを目指すが、ガソリン満タンにする必要があるので、途中のガソリンスタンドで給油しようと思う。しかし、朝早くから開いている店があるかどうか。

そういう心配があったので、まだ少々距離を残しているがセルフ式ガソリンスタンドに入った。

<給油>
給油
[Panasonic DMC-GF1/14-42mm] 2010/08/11 06:31

ところが給油口を開けてキャップを外そうとしたが、なかなかキャップが外れない。
「ガコン!」と、なかば強引に外したものの、給油後にキャップをハメようとしたら、今度はどうやってもハマらなくなってしまった。体重をかけてグッと入れようとしてもダメ。
困った・・・。

<ハマらないキャップ>
ハマらないキャップ
[Panasonic DMC-GF1/14-42mm] 2010/08/11 06:34

あらためて、キャップをジイーっと見てみると、緩いネジが切ってあるように見えたので、クルクルまわして入れてみたら、見事にハマった。 なんだ、スクリューマウントだったか・・・。

我輩はこれまで、自分で給油した車種では全てがバヨネットマウントであったし、それが当然だと思っていた。まさか、旧式のスクリューマウントのキャップがあるとは夢にも思わなかった。
もしAF化することになれば、このマウントでは対応出来んぞ。まあ、給油キャップにAF化は関係無いがな・・・。

途中、母親のマンションに寄って幾つかの荷物を降ろした後、トヨタレンタリースへ到着。
車体のチェックを受けて、返却完了となった。

駅へ向かう前に、皆でクルマを振り返って後ろ姿を見た。この旅を支えてくれた「トヨタ・ベルタ」。非力ながらも運転し易さはなかなかで、良いクルマだった。今となっては家族のような気持ちがする。その別れは少し寂しい。

<今回の旅を支えてくれたベルタ>
今回の旅を支えてくれたベルタ
[Panasonic DMC-GF1/14-42mm] 2010/08/11 07:39

小倉駅へ行き、まだ新幹線の発車まで時間があるので、土産物売り場へ行ってみる。
そこには、懐かしい土産物が多くあった。その中でも、「にわかせんぺい」は、子供の頃によくCMで見て馴染み深い。今でも放映しているのだろうか?
ちなみに、我輩が好きなのは「博多の女(ひと)」という菓子。当然、それを買う。
また、車中で昼食を摂るので、駅弁も買っておく。

<にわかせんぺい>
にわかせんぺい
[Panasonic DMC-GF1/14-42mm] 2010/08/11 07:59

指定席を取っているので焦って並ぶ必要は無いが、小倉駅は始発駅ではないので停車時間が短く、時間は気になる。
ホームへ上がり、見送りの我輩の母親との別れがやってきた。

<別れ>
別れ
[Panasonic DMC-GF1/14-42mm] 2010/08/11 08:15

ホームに入線してきた新幹線に乗り込み、荷物を置いたりして座席に座ると、もう出発。窓から手を振ると、あっと言う間に景色は変わった。

さあ、あとは5時間座っているだけ。大阪から16時間運転した去年に比べると、目をつぶっていても良いというのが嬉しい。
新幹線建設が計画された当初は、貨物専用車両、そしてその中に自動車運送の構想もあったというのを本で読んだことがある。もし実現されていれば、マイカーでの帰省でも時間をかけずに済んだのかも知れぬ。

それにしても、朝が早かっただけに腹が減ってしまい、10時になる前に弁当を開けてしまった。

<武蔵小次郎弁当>
武蔵小次郎弁当
[Panasonic DMC-GF1/14-42mm] 2010/08/11 09:47

東京駅に着いたのは、13時15分。
何もしないでただ座っているだけというのも疲れるが、それでもやはり、去年の16時間と比べると全く違う。

上野駅まで出ると、我輩の通勤経路に入るので、帰ってきたという意識が強くなってきた。

<上野駅>
上野駅
[Panasonic DMC-GF1/14-42mm] 2010/08/11 13:30

自宅最寄り駅まで着いた後、荷物があるので我輩がひとまず手ブラで家に帰り、そこからクルマに乗って駅まで迎えに行く。出発時と同じ。

いやはや、久しぶりに乗る自分のクルマが嬉しい。もちろん、普段も土日に乗る程度なので、久しぶりに乗るとは言っても実はいつもの頻度からは外れていないはず。だが、数日間「トヨタ・ベルタ」に乗った後では、気分的には久しぶりという気になる。

今回はデジタルカメラはJPEG撮影ではなくRAWデータのみということで、これから現像処理が待っているのが頭の痛いところ。


今回の帰省のまとめは下記の通り。

●期間 2010年8月6日〜8月11日(6日間)
●デジタル撮影総枚数 約1,300枚
D700の内蔵ストロボはかなり有用であった。
●120フィルム撮影本数 7本
●走行距離 237km
レンタカー「トヨタ・ベルタ」の走行距離。遠出しなかったためこの値。
●燃料消費量 約16L
●平均燃費 14.8km/L
一般道のみであることを考えると上出来。
●旅行費用 161,283円

<内訳>
・新幹線料金(指定) :103,860円(往復割引)
・レンタカー代 :37,721円
・ガソリン代 :2,066円
・食費 :5,690円
・宿泊費 :なし
・入館・駐車代 :4,300円
(うち、小倉のコインパーキング代:2,700円)
・土産その他 :7,646円
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イラスト提供:シェト・プロダクション