2000/04/05
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表紙

1.主旨と説明
2.用語集
3.基本操作法
4.我輩所有機
5.カメラ雑文
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7.テーマ別写真
8.リンク
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カメラ雑文

[669] 2009年07月26日(日)
「間もなく閉館と知り」


たまにテレビで見る鉄道車両の引退ニュース。
新幹線0系や寝台特急ブルートレインの引退などは記憶に新しい。

特にブルートレインの場合は、マスコミが上空のヘリコプターから中継していたほどの大騒ぎで、駅のホームでも通勤ラッシュかと思うほどの人混みであった。
確かに寝台特急ほど旅情を感じさせるものは無い。それが廃止となるのだから、感慨深いものもあろう。多くの人の想い出を乗せて永遠の旅に出ると言われれば、最後にひと目見ておこうという気にもなろう。

しかし我輩は、これだけの人数がブルートレインの最後に集まったことについて、もしこの人間たちがブルートレインを利用したならば廃止になることは無かったのではないかと思うのだ。
結局のところ、最後の日を迎えてしまった原因は、そこに集まったコイツらにある。普段は利用せずに、こういう時だけに集まるなど卑しいにも程があろう。本当に大切に思い、本当に残念に思うのなら、なぜ、普段ブルートレインに乗らんのだ?

我輩などは、数年前にブルートレインに乗った後、これが最後になるかも知れぬと「さようなら」を心の中で言ってきたものだ。これが、裏千家茶道で習った一期一会の精神である。
だから我輩は、廃止になるという話を聞いた時、「ああ、あの日が別れの日だったんだな」と静かに思い返すのみだった・・・。

−−−−−

さて、 栃木県益子町に、「ペンタックスカメラ博物館」という施設がある。
ここはペンタックスの工場敷地内にあり、その関係で営業時間が平日のみとなっている。そのため、我輩のようなサラリーマンは休暇を取って行くほか無い。いくらカメラの数が多くとも、1時間くらい見れば気が済むだろう。それだけのためにわざわざ休みを取る気にもなれず、かと言って益子町周辺についでに行けるようなおもしろそうな施設や観光地なども無い。
そういうわけで、行ってみたい気持ちはあるものの、なかなか重い腰が上がらなかった。

ところがそんなある日、「ペンタックスカメラ博物館」が間もなく閉館するというニュースを知った。営業日は今年の7月末までとのこと。
このニュースを知ったのは7月始めであったから、まさに閉館まで秒読み段階。

「くそっ! まごまごしているうちに閉館になろうとは・・・。」

我輩がもし本当に行きたいと思っていたならば、休暇を取って行くチャンスなどいくらでもあったろう。蔵王のお釜へ行くエネルギーに比べればはるかに楽なのだ。つまり、今まで行かなかったということは、我輩がどうしても行きたいとまでは思っていなかったということになる・・・?

そうなると、もし閉館間際に行くとなれば、それはあくまで閉館間際ということが動機ということになろう。ブルートレイン最後のさよなら運転に押しかける奴らと何ら変わらないではないか。

「なんてことだ・・・、なんてことだ、まったく・・・。」

我輩は、自分自身が許せない気持ちになりながらも、それでも閉館間際ということを動機として利用し、「ペンタックスカメラ博物館」に行くことにした。そのために、自分自身が1つのことを認めざるを得ない。
「この博物館、行く価値があるかどうかは分からないが、閉館するというから行っておくのだ」と。

我輩の興味あるカメラは、近代の35mmSLR(一眼レフレックス)カメラである。それは我輩が経た時代に深く関係している。
我輩が最初に知ったSLRは「Nikon F3」、我輩が最初に触れたSLRは「PENTAX K2-DMD」、我輩が最初にシャッターを押したSLRは「OLYMPUS OM-1」、我輩が最初に手に入れたSLRは「Canon AE-1」・・・。

しかしこれらのカメラは特に珍しいものではなく、中古カメラ店に行けばすぐにでもご対面となろう。わざわざ、博物館に行くまでも無い。
ただし中古カメラ店は在庫の動きがあるため、行くタイミングで特定の機種が見れたり見れなかったりする。それに、店内で在庫を撮影するわけにもいくまい。その観点から言えば、博物館に行く価値も少しはあるかと思う。

ところで今回のドライブは、カメラに興味が無ければ面白くないだろうと思い、1人で出かけるつもりだったが、念のために豚児とヘナチョコ妻に声をかけてみたところ、夏休みで暇をもてあましていたようで一緒に行くことになり、カメラ博物館近くのオモチャ博物館も行程に組み込むことにした。

休暇を取ったのは7月23日木曜日。
クルマに乗ってカーナビゲーションの目的地を設定し、10時頃に出発。
途中、高速道路に乗ったのだが、10キロくらい走るとなぜかカーナビゲーションの指示により高速道路を降りてしまった。
以前、我輩は知らない道をカーナビゲーションの指示に従わずドツボにハマった経験があることから、この作戦には何か深い意味があると思い、敢えて高速道路を降りたわけだが、実際のところ一般道はトラックで混雑しており、我輩の判断は裏目に出てしまった。

<一般道はノロノロ運転>
一般道はノロノロ運転
[Canon EOS 5D Mark2/24-105mm]

結局、ペンタックスの益子工場に到着したのは14時近くであった。昼食タイムが含まれているとは言え、これは完全な予定外。化石博物館どころか、オモチャ博物館にも寄る時間があるかが心配。

何はともあれ、ペンタックス工場内を道しるべに従いクルマを走らせ、守衛詰め所のところで案内を受けた。

<ペンタックスの工場入口>
ペンタックスの工場入口
[Canon EOS 5D Mark2/24-105mm]

我輩は現在、某自動車工場の敷地内で勤務しているのだが、そこに比べるとこのペンタックス工場はさすがに光学機器の工場らしくキレイである。緑も豊かで騒音や悪臭も無い。

<敷地内駐車場>
敷地内駐車場
[Canon EOS 5D Mark2/24-105mm]

博物館のある建物までの道しるべが立っているので、特に迷うことは無い。
それにしても、緑に囲まれたこの雰囲気は、少し寂れた動物園のようにも感ずる。子供の頃によく行った小倉の到津(いとうづ)動物園に来たような気分で懐かしい。

<緑に囲まれた敷地内>
緑に囲まれた敷地内
[Canon EOS 5D Mark2/24-105mm]

途中の渡り廊下もなかなか良い雰囲気。こういう雰囲気は出そうと思っても出せないだけに、これが見られるのは今回が最初で最後かと思うと少し寂しい気がする。

<涼しげな渡り廊下>
涼しげな渡り廊下
[Canon EOS 5D Mark2/24-105mm]

渡り廊下が終わるところに、カメラ博物館のある建物入口が見えた。
何の色気も無い地味な建物だけに、かえって貴重な資料が保存展示されているだろうという予感が漂う。

<カメラ博物館のある建物>
カメラ博物館のある建物
[Canon EOS 5D Mark2/24-105mm]

入口から入ると、中は薄暗い雰囲気。豚児とヘナチョコは少し不気味さを感じたようだったが、我輩としてはこの雰囲気は嫌いではない。
工場という雰囲気ではないが、例えるならば古い大学校舎内という感じがして、これまた懐かしい。

<建物内>
建物内
[Canon EOS 5D Mark2/24-105mm]

博物館はこの3階にあるらしい。
階段を上がって行くと、インターネットで見たことのある博物館入口が見えてきた。

<カメラ博物館入口>
カメラ博物館入口
[Canon EOS 5D Mark2/24-105mm]

やはり平日のためか、入場者は我々の他には2人ほどしかいない。
閉館間際ということで、普通の中古カメラ店くらいの混雑があるかと思っていたが安心した。

<カメラ博物館内>
カメラ博物館内
カメラ博物館内
[Canon EOS 5D Mark2/24-105mm]

我輩は早速、「Canon EOS-5D Mark2」で展示物の撮影を始めた。
他の入場者も撮影をしているようだったが、撮影音を聴いていると、ペンタックス製のデジタル一眼レフの音がした。我輩の職場には「PENTAX K10」があるため、特徴ある音ですぐ判る。

それにしても、展示物が多いので1点1点を写真に収めるのは不可能に近い。
そこでとりあえずは展示用ケース全体を撮っていくことにしたのだが、さすがに2,000万画素ではツライものがある。文字など読み取れなくもないが、4,000万画素くらいあれば余裕だったろうにと思った。もちろんそうなると、レンズ性能は今まで以上に要求されるわけだが。

<展示用ケース>
展示用ケース
[Canon EOS 5D Mark2/24-105mm]

もちろん、気になるカメラは個別に撮影する。
歴史的なカメラや個性的なカメラ、そして個人的に関わりのあったカメラ・・・などである。

最初にも書いたように、我輩は35mmSLRカメラに強い思い入れを持っている。その理由は、一眼レフというのはファインダーで見たものがそのままフィルムに写るからだ。本来フィルムに届く光束を拝借し、目で見るほうのファインダーに映すシステム。これほど画期的で自由度の高いシステムは無かろう。
キヤノネットやピッカリコニカのようなファインダーが別軸にあるレンズシャッターカメラで不自由を強いられていた頃に憧れていた気持ちが、今でも続いているのである。

<PENTAX K2(上)とLX(下)のカッタウェイモデル>
PENTAX K2のカッタウェイモデル
PENTAX LXのカッタウェイモデル
[Canon EOS 5D Mark2/24-105mm]

SLRというシステムの有用さは、35mmカメラのみならず大きなフォーマットや小さなフォーマットにも広がるべきもの。
そういう意味では、PENTAXの中判SLR「PENTAX 67」や110判SLR「PENTAX auto110」などは、我輩自身がそれらのユーザーにはならなかったものの、非常に大きく重要な存在に思えたものであった。

<透明外装のPENTAX auto110>
透明外装のPENTAX auto110
[Canon EOS 5D Mark2/24-105mm]

特に「PENTAX auto110」などは、オモチャのような110フィルム(実際、110フィルムを使うカメラはポケットカメラと呼ばれ、ほとんどオモチャ扱いであった)を使いながらも本格的なシステムを構成し、SLR特有の「その気になればどんなもの(分野)でも撮れる」と思わせるに十分なものだった。

<PENTAX auto110お歳暮セット>
PENTAX auto110お歳暮セット
[Canon EOS 5D Mark2/24-105mm]

ふと目を移すと、計算尺のようなものが目に入った。これはまさに、「セノガイド(参考:雑文348)」のような露出ガイドだった。
我輩はこの時代のことは知らぬが、それでも様々な条件から露出値を求めるためのノウハウが詰まっていることについて、以前から"関心"と"感心"の念を抱いていた。
今後の資料のため、これは写真に撮らぬわけにはいくまい。

<露出早見表とも言える露出ガイド>
露出早見表とも言える露出ガイド
[Canon EOS 5D Mark2/24-105mm]

他にも驚かされたものに、「キーストンK1020」というマミヤ製OEMカメラがある。
この存在を知ったのは昭和62年刊の「クラシックカメラ専科」であったが、紙面に掲載された写真で見るそのカメラは非常に大柄に、恐らくは「Nikon F2フォトミック」くらいあるのではないかと思われた。貫禄十分の堂々としたカメラという印象である。

ところが実際に現物を目の当たりにして、その認識が完全に間違っていたことが判り愕然とさせられた。まさに手のひらに収まるくらいのオモチャのようなカメラだったのだ。

<実は小柄だったキーストンK1020>
実は小柄だったキーストンK1020
[Canon EOS 5D Mark2/24-105mm]

他には、フィルムの展示はなかなか興味深い。
銀塩カメラは、デジタルカメラとは違って電気は不要だが、フィルムが無ければタダの箱という存在なのだ(「電気が不要」ということの意味は、写真原理として映像を現すのは化学反応であるということ)。
だから、フィルムこそが写真の歴史の隠れた主人公であると言っても良い。

<昔のフィルム>
昔のフィルム
[Canon EOS 5D Mark2/24-105mm]

そうこうしているうち、とうとう「PENTAX K2DMD」に出会った。
このカメラは、中学高校時代の同級生「クラッシャー・ジョウ」(「PENTAX K2-DMD」の項参照)の愛機であり、我輩が初めてSLRに触れ、初めてダイヤルデバイスの素晴らしさを知ったカメラである。
ジョウよ、おまえは今、どこで何をしているのだろうか・・・。

<PENTAX K2DMD>
PENTAX K2DMD
[Canon EOS 5D Mark2/24-105mm]

それから、忘れてはならぬ我輩の写真の原点となるのが、祖父の使っていた「キヤノネット」と、家のカメラ「ピッカリコニカ」である。

キヤノネットは、我輩が小学生の頃に母親と山口県の青海島(おうみしま)へ旅行する時に祖父に借りて使ったことを想い出す。
美しい景色を撮ろうとしてボディ底部のトリガー式巻上げレバーを操作したが、途中で巻上げが固くなってしまった。それでも、ある程度の力を加えると巻上げが軽くなり、何とか撮影は続行出来た。
しかししばらく撮っていると、何枚撮ってもフィルムが終わらないことに気付き、途中でそのフィルムは巻戻した。後日現像したところ、フィルムの左右のパーフォレーション(ギアのハマる穴)が破壊されており、そのあと撮ったはずの10数カットの写真は写っていなかった・・・。

<キヤノネット>
キヤノネット
[Canon EOS 5D Mark2/24-105mm]

それから「ピッカリコニカ」は、同じく我輩が小学生の頃に家族全員が使えるようにということで導入された。
ただしピント合わせは目測式で、おおざっぱではあるがそれなりの操作は要求された。

我輩はこのカメラを駆使し、庭木にやってくる昆虫の撮影から始まり、UFOのトリック撮影、そしてカメラの限界を超えて星夜写真のバルブ撮影さえ行ったこともある。
(※ピッカリコニカでのバルブ撮影は、レンズシャッターをセロテープで開きっぱなしにすることにより可能となる。シャッター羽根はフィルム室から直接触ることが可能で、そういう意味では正確に言うと「ビハインドシャッター」と呼ぶべきかも知れない)

<ピッカリコニカ>
ピッカリコニカ
[Canon EOS 5D Mark2/24-105mm]

実際のところ、博物館内で撮影したカメラはまだまだ色々あり、とてもここで紹介しきれるものではない。しかしそれでさえ、全ての展示物を撮れたわけでもなくほんの一部。写真に撮るにはあまりに展示品の数は多かった。
それに、撮影時は少々気が急いていたせいもあり、ピンボケ(被写界深度からの外れ)や手ブレなどが幾つかあった。それらは微妙なため撮影時に背面液晶画面では気付けなかったのが残念。

出来ればもう一度撮り直したいと思うのだが・・・、もうそのチャンスは無い。
しみじみ、間際になって行くのではなく、普段から行っておけば良かったと思い知らされた。

今後、これらのカメラたちがどこへ行くのかが気になるが、いつか思わぬところで再会出来ることを願うしか無い・・・。

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