2000/04/05
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表紙

1.主旨と説明
2.用語集
3.基本操作法
4.我輩所有機
5.カメラ雑文
6.写真置き場
7.テーマ別写真
8.リンク
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10.アンケート
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カメラ雑文

[605] 2007年06月30日(土)
「PDA」

7年くらい前、我輩はPDAを導入した。Palm-OSのIBM製「WorkPad30J」である。
モノクロ液晶の単4乾電池仕様であった。メモリ容量は8MBだったと記憶している。
我輩はこれを通勤電車の中でテキストファイルを読むのに使った。それまでは紙に印刷したテキストを読んでいたため、紙の節約にもなった。


WorkPad30J    (写真が無いためイラストで表現)

しかしながら、モノクロ液晶のため写真などを表示させることには向かず、データの入出力もクレイドルを介してパソコンのシリアルポートと接続させるしかない。しかも、テキストファイルは独自のDOC形式(※)に変換させねば表示することは出来ない。
(※MS-WordのDOC形式とは全く別物)

そんな時、WindowsCE機のカシオ製「CASSIOPEIA E-750」が現れた。
カラー液晶が非常に美しく、写真などもパソコンと同じように表示される。そしてコンパクトフラッシュメモリを使えばクレイドルが無くともデータの入出力が可能。そして、テキストファイルばかりでなく一般的なWindows用ファイルも変換不要で表示出来る。
ちょっとしたパソコンと言える。


CASSIOPEIA E-750

しかしながら「E-750」は筐体が厚く重量もあったため、通勤電車で片手で保持しながら使うには負担を感じた。
そこで、軽量薄型の東芝製「GENIO e550G」を導入。液晶の質は若干落ちたものの、コンパクトフラッシュメモリばかりでなくSDカードメモリも読めるようになった。
また、赤外線通信ポートを利用した外付けキーボードも導入。
ちょっとした場所さえあればキーボードによる軽快なテキスト入力が可能となった。


GENIO e550G

ところがここまで来ると、パソコンの用途を求めるようになってしまった。
こうなると、いくら高性能であってもPDAでは満足出来ぬ。結局、タイミング良く舞い込んだ臨時収入を充てて超小型パソコン「SONY VAIO VGN-U50」(参考:雑文508「超精細ディスプレイ」)を購入した。これにより、旅行先でデジタルビデオのノンリニア編集さえ可能となった。


VAIO VGN-U50

しかし、ふと思い出した。最初にこのような機器を導入したきっかけはテキストを通勤電車内で読むためであったことを。
電車内では超小型パソコンを使うことは難しい。パソコンは汎用性がある反面、操作がワンタッチではなく、ダブルクリックや右クリック、そしてドラックという操作を必要とする。それはつまり、片手で使うのが難しいということである。汎用性がある分、操作がワンタッチでは無くなったのだ。
また、高価であるがゆえに破損が恐く、気軽に扱うことが出来ないという面もある。

そこで、久しぶりにWindowsCE機を使ってみたのだが、バッテリーがヘタっており1日も保たなくなっていた。バッテリーが放電したまま放置していたのが良くなかったか。特に、「GENIO e550G」はバッテリーが本体内部に収まっているため換えが利かない。バッテリーの死は、すなわちPDA本体の死を意味する。
もし乾電池式であったならばこのような問題は無いのだが、カラー液晶を搭載したWindowsCE機ではバックライトが必須であるため、それなりの電力を必要とする。これが、乾電池式のカラー液晶PDAが存在しない理由の一つである。

結局、乾電池で駆動するモノクロ液晶Palm-OS機に戻るしか無かった。
ただ、「WorkPad30J」はとうの昔に手放しており、新たにHandspring製「VISOR」を入手することになった。ただ、"新たに"とは言うものの現在ではPalm-OS機は絶滅しているため、中古となるのは仕方無い。


VISOR

また、今後は中古品も数が減っていくことになるため、もし永く使おうというのであればバックアップ用も確保したほうが良かろう。結局、3個体を確保した。
この機種はインターフェースにメモリアダプタを刺すことによってコンパクトフラッシュメモリが使用可能となる。これを介すことにより、これら3個体が同一に扱えるようになる。

それにしても、反射式のモノクロ液晶は今見るとクールである。もちろん、文字も見易い。
通常の使用では、電池は2ヶ月保つそうだ。充電や節電に追われることも無く、自分のペースでテキストを読むことがこれほどまで快適だったとは、今さらながらに気付かされた。

他の者が見れば、「今さら絶滅したPalm機を使うなど時代遅れの原始人か」と思うだろう。間違っても我輩のことを「新し物好き」とは思うまい。
それでも我輩は、基本的には「新し物好き」である。本心としては、金さえ続くならば常に新しいデバイスを導入したいと思っているくらいなのだ。

最近、思う。
「新し物好き」というのは、常に満足出来ない人種ではないかと。
新しい物が出ても、それらは我輩の要求仕様に足らぬ不完全な製品しか無い。しかし他に選択肢が無いため、ちょっとでも進歩があるならば飛び付きたくなる。
その結果、最初は新しい機能や性能に感動したとしても、しばらくすると使い辛さに辟易して更に新しい製品を追い求めることになるのだ。

なぜ進歩しているはずの最新機器が使い辛くなるのか?

やはり、技術がなかなか都合良くは進まないというところが原因か。
不完全な技術でムリヤリ新製品を投入したとしても、性能のトレードオフ(ある性能を追求すると別の性能が犠牲になる)の問題が顕著になるため、本来の目的を失いがちである。
PDAの場合では、液晶のカラー化によってバッテリーの問題が生じた。その結果、「テキストを手軽に読む」という我輩の求める本来の目的を果たせなくなってしまった。また超小型パソコンを使った場合、片手操作もままならなくなってしまう。

結局のところ、主目的を達成するために何が必要なのかということを考えると、シンプルな昔の機種を使うことが合理的だと判断した。
確かに新しい機器は欲しいが、まずは求める目的をシンプルに実現させることのほうを優先させたい。

ふと、カメラにも目を向けてみた。
「そう言えば、我輩のカメラも同じような買い方をしてきたな・・・。」
機能的に優れたカメラを追い求めてきた我輩が、途中でF3に逆戻りしたことを書いた雑文152「7年目」を思い出した・・・。


<余談>

本文中に書くと本筋がボヤけるため割愛したが、実はPDAが登場する以前から「NEC デジタルブックDB-P1」というアイテムを使い、電子文書を読む試みを行っていたことをここで白状する。

DB-P1は、専用のデジタルブック用コンテンツ(小説など)を購入して読むための端末である。現代のPDAよりもふたまわりほど大きい。しかも、パソコン用のテキストファイルを転送してそのまま表示させることは出来ない。
しかし、開発者用のツールキットを購入することにより、コンテンツを開発出来るようになる。画像もRGBベタファイルならば挿入可能である。

しかし当時はMS-DOSの時代であり、ツールキットも当然ながらMS-DOSアプリケーションである。操作性があまり良くないうえ、画像挿入可能な数が仕様に満たないという致命的なバグもあった。我輩はこのアイテムを何とか実用したいという執念があったため、NECに問合せ、開発技術者と電話で話をし、その結果、我輩の指摘したバグを修正してもらうことに成功。送られてきたフロッピーのラベルは手書きであったが、きちんと動作するようになった。

結果的にデジタルブックというアイテムは盛り上がらぬまま廃れてしまったが、当時まだ誰も携帯電話などの液晶画面を見ていなかった電車の中で、我輩だけが一瞬ながらもデジタルブックを電車内で使い電子文字を読んでいたのである。


(2007.07.03追記)

雑文605「PDA」、雑文256「カラーの時代」、雑文258「メーカーとユーザーの役割」の記述が矛盾するのではないかとの指摘があった。消費電力の小さいモノクロPDAを擁護する一方で、消費電力に大きな差はないとして視覚的な表示を可能とするカラー液晶のカメラへの採用要望案についての比較である。
ここで改めて、これら雑文についての読み方を示したい。

雑文256「カラーの時代」では、この当時はまだ新製品が望める状況だったため、このような期待を込めた要望を書いた。省電力型のカラー液晶開発への期待である。コストの問題については、その存在証明として携帯電話などのカラー液晶の存在について言及した。そして反射光式かつセグメント式であれば、さらに視認性の良い低消費電力型のデバイスとしてカメラに似合うだろうと考えた。

一方雑文605「PDA」では、既にPDAというジャンル自体が終わっているため、もはや新製品は望めない。ということは、現在流通している中古品の範囲内で選び使うということになる。現状のカラー液晶というのは電力を最も消費するデバイスであるから、新製品を望めない状況で長時間バッテリ駆動を求めるにはカラー液晶を避ける以外に方法は無い。
仮に新製品が出るとしても、PDAの進化は画像としての表示を前提としているため、色再現性は比較的求められるし、ドットマトリクスでの表示は必須となる。カメラの場合は露出情報など数値の表示であるため、単色のセグメント表示で充分。

ただし雑文としての肝は、雑文256「カラーの時代」及び雑文258「メーカーとユーザーの役割」ではメーカーの現状維持姿勢についての批判であり、雑文605「PDA」では最初の目的を見失うことについての警告である。
カラー云々は、この際どうでも良い話。

これが読めねば、他の雑文も含め、話の半分も意味が伝わっていないことになるので要注意。