ついに、コダクローム64(KR)/コダクローム64プロ(PKR)が国内販売が終了となってしまった。流通在庫が無くなった時点で手に入らなくなる。2月〜3月までにはその在庫も無くなるだろうとのこと。
また、国内での現像処理は今年の12月までとなり、その後はアメリカでの現像処理になってしまうらしい(つまり時間がかかる)。
1年くらい前にはコダクローム200(KL)が販売終了となっていたわけだが、この時は、我輩としては思い入れの無いフィルムだったため、それほど特別な感想は無かった。
しかし今回は、我輩の青春時代を共に過ごしたフィルムなだけに残念としか言いようが無い。
我輩が最初に使ったリバーサルフィルムはフジクローム100だったが、それは中学校文化祭のスライド上映での用途として資料を複写したものであった。それを除外することを許されるのであれば、我輩の実質的な最初のリバーサルフィルムはコダクローム64と言える。
コダクローム64を現像して厚紙マウント(※当時はスリーブ仕上げというものを知らなかったためマウント仕上げになった)に挟まれた濃厚な色の写真を初めて見た時、「これは・・・」と思った。
この感動は、それ以来一度も再現したことが無い。いくら努力しようが、いくら新しい被写体を見つけようが、いくら撮影枚数を重ねようが、所詮は無理だった。
やはり、最初の感動は永遠である。
我輩としては、最初の感動を与えてくれたものがコダクローム64だったことを幸運に思っている。
もしこれに出会うことが無いままデジタルカメラのほうを使うことになっていれば、きっと今ごろは「デジ画はフィルムのクオリティを超えたぜー!」とか「フィルム使ってる奴らは進化に取り残されたエテ公だ!」などとほざいていたに違いない。
そうなったら、このサイトも存在しなかったろう。
さてこのたび、最後のコダクローム64として6本を購入した。
枚数にして、216枚。
初めてコダクロームを使った時は、1枚1枚をジックリと撮った。
その後しばらくしてAFカメラで連写(つまり自動段階露出)が可能になると、途端に消費量が激増した。
そして今、最後の216枚。
この枚数は、デジタルカメラであればあっという間に撮ってしまいそうな量である。
しかしコダクロームは、デジタルカメラで撮る写真のように、いつ消えても構わないというような写真を撮るものではない。
以前、戦後日本をカラー写真で写した写真集を購入したが、これらは全てコダクロームで撮られていた。来日アメリカ人による撮影である。
それらの写真を見ると、非常に鮮やかな色彩のために、まるでつい最近撮られた写真のようにも見える。とても50年前(写真集刊行時から)の光景とは信じられぬ。信じられぬところを無理やり信ずると、その写真に写っている地面と我輩の立っている地面が繋がっているような気分になる。
(参考:
雑文102「記録としてのカラー画像」)
時代を越えて色を伝えることが出来るのは、コダクローム以外には存在しない。
我輩にとって、最後の216枚。
それはまさに、我輩にとってのコダクロームのカウントダウン。
1枚1枚撮るたび、確実に近付いてゆく終わりの時。
最後の1枚になった時、何を撮ることになるのだろうか?
永遠の画像を手にするために、限りあるコマを撮り終わる時の気持ちとは・・・?
それはいずれ、分かるだろう。