2000/04/05
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表紙

1.主旨と説明
2.用語集
3.基本操作法
4.我輩所有機
5.カメラ雑文
6.写真置き場
7.テーマ別写真
8.リンク
9.掲示板
10.アンケート
11.その他企画

12.カタログ Nikon
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カメラ雑文

[594] 2007年01月19日(金)
「いくらなんでも」

デジタルカメラのコミュニティを見ると、「今日は2,000枚撮っちゃいました」とか「2,000枚なんて多くないですよ、私はストレージ買ったんで1日に3,500枚撮りました」などという書き込みを見ることがある。
冗談じゃない、いくらなんでも、2,000枚は多いぞ。

もちろん、他人のことに口出しするつもりは無い。本当に必要ならば、それくらい撮るのは不思議ではない。
我輩も、T課長のソフトボール大会の写真を撮る際、ジャストミートの瞬間を狙って秒間5コマで連写したものだ。そのため2時間で1,000枚もの大量撮影を行なった。

しかしデジタルカメラのコミュニティでは、それぞれが掲示板上で互いに競い合っているかのように見えてしまう。これは問題である。大量に撮るということが普通のことであるという風潮を蔓延させかねない。
「みんなと比べて自分が撮った1,000枚なんてそれほど多くないな」と。「頑張ってみんなに負けないように撮ろう」と。

ところが実際には、1,000枚というのは膨大な数である。これは相対させるべき数ではなく、絶対数量として捉えねばならぬ。なぜならば、撮影後にはこの1,000枚を1枚1枚見て取捨選択及びレタッチ&リサイズするという作業が待っているからだ。

明らかに、撮影時よりも後処理のほうが何倍も時間がかかる。これが1,000枚あるというのだ。
テキトウに流し見るのであれば、そもそも最初からそんなに撮る必要も無い。1,000枚撮るということは、1,000枚見るという前提で考えるべき。

人生の貴重な時間を、そんなことに費やしても良いのだろうか?
我輩はビデオを編集してDVD-Video化する作業をしているが、あの作業は一コマ一コマを見ているわけではなく、シーン単位で長さを調節したり順序を変えているだけである。もしあの作業に一コマ単位での取捨選択とレタッチ作業が加われば、永遠の命が必要になろう。まさか、銀河鉄道999に乗って機械の身体を手に入れ、永遠の命を授かるわけにもいくまい。

デジタルカメラでは、そのような無謀なことを平気でやろうとする者が多いから恐ろしい。
撮影後の苦労を知らないのか、あるいは、延々と画像をチェックすること自体が趣味なのか。ヘタすると、撮りっ放しにもなりかねない。まさに、「人生、ビデオをためるヒマはあっても、見るヒマなどなしっ!(漫画家島本和彦氏の名言)」の世界である。

探してみると、フリーソフトでは大量のデジタルカメラ画像を整理したり簡単に閲覧するツールが幾つかあるようだ。しかし、それでも画像をチェックする作業は人間でなければ無理。画的に良いのか悪いのか。結局は全てに目を通す必要がある。ピントや手ブレチェックにしても、等倍表示しなければチェックは出来ぬ。余程の失敗写真でない限り、サムネイルの状態で振り分けることは難しい。

1日に1,000枚2,000枚撮る者が海外旅行にでも行けば、それこそ簡単に1万枚を越えることだろう。これをどうやって見るつもりなんだ?

現在我輩は、毎日往復4時間かけて通勤している。
だからこそ、時間というのがとても貴重に思えてならない。金を出して買いたいくらいだ。
時間さえあればやりたいことはたくさんある・・・。

時間を無駄に浪費するような、そんな無茶な撮り方は、絶対にやめるべきだと我輩は思う。
1,000枚2,000枚撮る者、せめて、そんなことを掲示板で吹聴するな。