2000/04/05
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カメラ雑文

[582] 2006年08月30日(水)
「小さなCCDで撮影するということ」

ピグミーマーモセットは、世界最小のサルである。
体長は約14cm程度で、人間の手で掴めるほど小さい。
また逆に、約30万年前には、体長3メートルほどのギガントピテクスという猿人が生きていたと言われている。
両者の体長を比較すると、20倍もの違いがある。

現在、地球上で文明を築いている我々人類は単一の種であるが、もし様々な種が混在していたとしたらどうなっていただろう。

ピグミーマーモセットやギガントピテクスが高度な知能を持つまでに進化することは難しいかも知れぬが、身体の大きさのバリエーションとしては良い見本であろうかと思う。つまり、様々な身体のサイズの人々と友達同士であったり、仕事仲間であったりするような世界があったかも知れないのだ。

もちろん、異種文明同士は対立してどちらかが滅ぶとか、知能の発達には適正なる身体のサイズがあるという説もあるかも知れないが、それは実証されていることではない。
現に、ネアンデルタール人とクロマニヨン人とは1万年の共存期間があるというし、脳の容積は知能とはあまり関係無い。大きな脳は、大きな身体を動かすためである(男性の脳は女性の脳よりも大きいなど)。

もし、様々なサイズの人間たちが共存したとしたら、電車に乗るのも不便かも知れない。
何しろ、体長に20倍もの差があるため、座席に座るにも1人分の差が大きい。吊革にも掴まれない人がいたりするだろう。
新聞を読むにも、それぞれのサイズが用意されていなければ、とても読めたものではない。
そう考えると、いくら共存しようと思ったとしても、ある程度は身体のサイズに合わせてそれぞれの世界を分けざるを得まい・・・。



さて先日、我輩は一眼レフタイプのデジタルカメラ「Nikon D200」を購入したわけだが、これはフルサイズCCDではなく、少し小さなAPSサイズCCDである。そのため、従来の35mmフィルムの感覚でレンズを使うわけにいかず、同じ画角を考えるならば、焦点距離の換算が必要になってくる。例えばNikonの場合では、係数1.5を掛けることになる。

そうなると、50mm標準レンズはデジタル一眼レフカメラでは75mm相当になってしまうわけだ。
逆に言えば、35mm広角レンズが標準レンズに相当するわけである。

ところが、レンズの被写界深度の深さは焦点距離に固有である(F値が同じ場合)。CCDのサイズが小さいデジタルカメラは短い焦点距離のレンズを使うことになるため、同じ画角でも被写界深度が深くなってしまう。
50mmレンズの被写界深度、そして35mmレンズの被写界深度はそれぞれ固有であり、CCDやフィルムサイズには左右されない。

同じことは、大きいほうにも言える。
例えばブローニー645判では、標準レンズは75mmとなっている。この焦点距離は35mmフィルムでは中望遠とされる範囲であり、被写界深度もそれなりに浅い。

その結果、いくら同じ画角であっても、デジタルカメラのほうではパンフォーカスが可能で、中判カメラではパンフォーカス不可能ということも有り得ることになる。

つまり、ひとことで言うならば次のように言えるだろう。
「CCDやフィルムサイズが小さいと、被写界深度は深くなる」
これは、巷でも言われていることであり、誰もが経験的に知る事実である。

だがこれは、事実ではあるが真理を突いていない。
小さなCCDで撮るということは、どういうことなのか。

ここで想像してみたい。
ピグミーマーモセットのような小さな人間と、ギガントピテクスのような巨大な人間が、それぞれカメラを使っているとする。
もちろん、同じサイズのカメラを共有することは出来ない。それぞれに最適なサイズのカメラが用意されるであろう。

そうなると、小さなカメラはCCD/フィルムサイズも小さいため、レンズの焦点距離も短くなる。
一方、大きなカメラはCCD/フィルムサイズも大きいため、レンズの焦点距離も長くなる。
両者の描写は異なるだろうか?
「CCDやフィルムサイズが小さいと、被写界深度は深くなる」という事実から推測するならば、ピグミーマーモセット人間はどんなに望遠レンズを使ってもパンフォーカスの写真しか撮れず、逆にギガントピテクス人間はどんなに広角レンズを使ってもパンフォーカス写真など撮れないということになる。

そういう点で言うと、我々はパンフォーカスや背景ボカシ写真など様々な効果を得ることが出来るという、まさに絶妙なサイズに生まれてきたと言うことか?
神に感謝すべきなのか?

そんなバカな話があろうはずがない。
結論から言えば、ピグミーマーモセット人間やギガントピテクス人間も、我々と同じように写真効果を楽しめるのである。
CCD/フィルムサイズの違いによる被写界深度の違いは皆無なのだ。

むろん、前提条件がある。
それは、撮影距離の違いである。

考えてみれば当然だが、ピグミーマーモセット人間が撮影する被写体というのは近距離に限られている。
小さな撮影者が小さな恋人を撮影する時、撮影距離は10cmくらいのものだろうか。

一方、ギガントピテクス人間が撮影する被写体というのは遠距離主体となろう。
大きな撮影者が大きな恋人を撮影する時、撮影距離は2メートルくらいはあろうか。

人間が撮影する被写体というのは、自分たちの世界の限られたものを写すのみである。
小さな人間の小さなカメラは、大きな人間の大きなカメラとは被写体そのものが変わるため、撮影距離も変わる。


小さなカメラの距離リングには「5cm 10cm 20cm 50cm 100cm 250cm ∞」などと刻まれているはずだ。
大きなカメラの距離リングには「1m 2m 5m 10m 20m 50m ∞」などと刻まれているだろう。

我々の感覚で言えば、小さなカメラは接写しているようなもの。それだけ被写界深度が浅くなり、パンフォーカスを和らげる。
逆に、大きなカメラは遠距離撮影が主であるから、それだけ被写界深度が深くなり、背景のボケが和らぐ。

結局のところ、大きな世界の大きなカメラでも、小さな世界の小さなカメラでも、描写は全く変わらないと言える。

さてここで、小さなCCDのカメラを使うという話に立ち戻って考えてみたい。
CCDサイズが35mmフルサイズに比べて小さいということは、それはすなわちカメラが小さいということ。
それは、単純に被写界深度が変わるというよりも、むしろ小人サイズの小さなカメラを使って遠距離撮影しているということを想像したほうが良い。
逆に言えば、巨大な被写体を遠くから撮っていると言うべきか。

被写界深度の面から言えば、我々の世界で使うには、それなりの適正な大きさのカメラがあるはず。
小さなカメラを使って大きなカメラと同じような描写を望むのであれば、いっそ、自分の世界を捨てて小さな世界に移り住むことを考えねばなるまい。