2000/04/05
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カメラ雑文

[533] 2005年04月27日(水)
「本当にそうなのか?」

自宅のトイレに入り便座に座っていると、時々目の前のドアからビリビリと振動音が聞こえてくることがある。そっと手を触れると、その振動は治まり静かになった。まるで、何か聞こえない音がトイレのドアを揺すり、木枠に当たって聞こえる音に変換しているかのようである。
トイレの窓から顔を覗かせると、特に何も変わったものは無かったが、50メートルほど離れた駐車場でアイドリング中の自動車が目に入った。ほとんど音は聞こえなかったが、何か空気の圧力のようなものを感じて頭が重くなった。
原因は、超低周波だった。

人間の聴覚で聞こえる音"可聴音"は、20Hz〜20kHzと言われている。もちろん、人によって若干の差はあるだろうが、人間には絶対に聞けない領域があるのは確かなことである。
高音域にて聞き取れない範囲を"超音波"、低音域にて聞き取れない範囲を"超低周波"と呼ぶ。

そのため、音楽CDは人間の可聴音以外の音はバッサリと切り捨てているわけで、理論派から言わせれば「人間に聞こえる範囲の音はカバーしているのだから完璧である」というわけだ。
もちろんこの理屈、必ずしも自分で聴き比べたものではなく、数字比べで出したものである。

しかしながら、この理論を覆す話が色々とある。
高音域では、22kHz以上の超音波を含む音楽を聴くと脳がリラックスする(アルファ波が出る)という。また、工場などの機械装置から出る超低周波を受けると、動悸がするなど体調不良を引き起こすことも言われている。
我輩がトイレで感じた空気の圧力は、耳には聞こえなかったものの、重く不快な雰囲気であり、超低周波の典型的な例であると思われた。

この場合、理論派の大前提は「聞こえない音」イコール「人間に作用しない音」であるが、そもそもこれが間違っている。確かに、人間に聞こえない音域というのはある。しかしそれは、あくまで人間の意識の下で知覚されるかどうかという話であり、無意識に音を捉えていることは十分あり得る。

ここで言えることは、「どれほど普遍的な法則があろうとも、前提を誤ると全く意味を成さない理屈が出来上がる」ということである。


さて、人間の視覚に目を向けてみる。
人間の目にも、見えない色や明るさの限度がある。また、細かいものが見える限度もある。
これらは、計測さえ正確に行えば数値化することも容易なことであろう。

しかしながら、可聴音の話から教訓を得るとすれば、人間の認識出来る光というのは、無意識の領域で感ずる範囲を含めるともっと広いという可能性もあるだろう。

解像力について考えても、これがどういう前提で言われているのか分からない。単純に、限られた条件で細かさの異なる画像を見せてその違いが分からなくなるポイントを知るだけならば、残念ながらあまり意味が無い。またあるいは、網膜の視細胞から画素密度を割り出すのはもっと意味が無い。

まず大前提として、"人間の視覚というのは動画である"ということ。これを忘れてはならぬ。

ビデオ編集をする者は理解出来ることだが、1枚1枚のスチル(静止画)が粗れていようとも、動画で流すと案外気にならないものである。
また、天体写真を撮る者たちは、複数の撮影画像を重ねて(コンポジット)1つの画像を合成すると解像感が高まることを知っている。

動画は、複数の静止画を積み重ねて情報を蓄積し、結果的に解像度を高めているのである。人間の眼の場合、残像や脳の画像記憶がこの機能を持つと言えよう。

また、人間の眼には「フォベア」と呼ばれる視細胞が密度高く集まった部分があるのだが、フォベア以外の部分の解像感は極めて低い。そのため、視線を動かすことなく全体を詳細に見ることは出来ない。
ところが逆に、視線を動かせばかなり細かいところまで観察可能である。これは例えるならば、スキャナと同じ原理である。CCDを走査(スキャン)することによって詳細な画像を得るようなものだ。

スキャナではラインCCDの密度は固定されているものの、走査(スキャン)する細かさ(ステップ)が走査方向での画像密度に関係する。
そう考えると人間の眼も、走査を繰り返したりジックリと注視することによって、より細かく解像出来る可能性があるのではないか。

人間の眼の解像度がどれくらいあると言われているのかは知らないが、それがどういう前提で意味を持つのかということを考慮しなければ、また誤った理屈がまかり通ることになろう。
他にも、肉眼の色識別能力にしても、無意識の領域に影響するようなことが無いとも言い切れない。それが無意識のうちに「鮮やかだ、綺麗だ」と感じさせる大事な要素だったとしたら・・・?

「人間の眼の解像度から言えば***dpi以上の情報量は無駄だから、これ以上の情報量は必要ない。」
「人間の眼の色認識から言えば****万色以上の情報量は無駄だから、これ以上の情報量は必要ない。」

たまに、したり顔でこのように言い放つヤツがいる。
何も人間のことを解っていないくせに、本当にそう言い切って良いのか?