2000/04/05
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表紙

1.主旨と説明
2.用語集
3.基本操作法
4.我輩所有機
5.カメラ雑文
6.写真置き場
7.テーマ別写真
8.リンク
9.掲示板
10.アンケート
11.その他企画

12.カタログ Nikon
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カメラ雑文

[504] 2004年08月16日(月)
「夏の帰省日記(2)」

●3日目(8月9日)−曾祖父母−

この日は、我輩の父方の祖母に会うことになっていた。
4年前に20年ぶりに再会したきりであるから(参考:雑文072)、元気でやっているか心配だった。聞いたところによれば、腰を痛めてリハビリ中だとか。もう88歳でもあり、今のうちに豚児に会わせておかねばならない。そうでないと後悔を残す。

昼頃、我輩とヘナチョコ、そして豚児の3人は、仲介役の叔母の家に行った。
豚児は叔母とは初対面だったが、結構打ち解けるのが早く叔母と一緒に遊んでいた。この様子ならば、祖母が来ても大丈夫だろう。
「なん、カメラが壊れたっちゅうたねぇ。新しいの買うたんち?(なんかカメラが壊れたらしいね、新しいの買ったって聞いたけど?)」と叔母は我輩に言った。
どうやらカメラの話が方々を回っているらしい。

しばらくすると、表に車が一台止まる音がした。そして玄関の戸が開いた。
皆で見に行くと、父親と祖母がそこにいた。

祖母はかなり足腰が弱っているように見えた。父親が手を貸して居間に案内した。
この父方の祖母にとっては、豚児は初曾孫であるそうで、とても嬉しそうだった。それに対して父親は、少しキョトンとして豚児を見ていた。何か不思議な物を見るような感じだった。孫という実感があまり無かったのだろうか。

豚児は最初、誰が来たのかと驚いていたが、しばらく経つと慣れた様子。我輩は豚児に「じーちゃん、ばーちゃん」と呼ばせた。
2人とも非常に喜んでいた。
特に祖母は、我輩の膝を叩いて「もう一回、ばーちゃんっち言わせてんね。(もう一回、ばーちゃんって言わせてよ。)」と催促した。
我輩はその場の様子をMAMIYA RB67で撮影した。
大きなカメラながらも、皆誰もカメラを意識することが無かったのは良かった。
ただ父親は、撮影後に脇に置いたカメラをシゲシゲと見て言った。
「おお、カメラが壊れたっち言うたなあ。(おお、カメラが壊れたって聞いたぞ。)」
そこまで噂が行っているのか。

父親は我輩に何かの印刷物を取り出して見せた。某政党の広報誌らしかったが、そこには若者数名が写ったカラー写真が掲載されていた。 父親はその写真の若者の中の一人を指さして「これがA子だ」と言った。
A子とは、父親の娘である。22歳になったと言う。
その時は撮影や豚児と祖母との相手で忙しくフーンと思っただけだったが、後でよく考えてみれば、父親の娘とは我輩の妹ということになるか。
もっとよく写真を見ておけば良かったと後悔した。

しばらくして皆で集合写真を撮ることになった。
最初は父親が用意したカメラで撮る。
まず三脚をセット。後で我輩もその三脚を使わせてもらう。
三脚の次はカメラだが、4年前の再会時には父親はMINOLTA α-9000を持参していたが、今回はなぜか旧式のMINOLTA SR-T 101 であった。どうやらα-9000は故障して修理不能となったらしい。

セルフタイマーが作動し皆カメラのほうを向いたが、シャッターが切れてもストロボが発光しなかった。何度やっても変わらない。
「なん、親子してカメラが壊れちょるんね。(なに親子でカメラが壊れてんの。)」と叔母が笑った。
結局、集合写真は我輩のカメラのみで撮ることになった。

失敗は許されないのでデジタルカメラNikon COOLPIX5400で試し撮りをする。
小型ストロボのためバウンス撮影では光量が足りず露光不足となる。そのため、光を直当てすることにした。自然な光であることよりも、鮮明に記録することを優先させる。
セルフタイマーが無いので叔母と交代でシャッターを切った。

祖母は、別れ際に豚児の手を取って手の甲にキスをした。豚児はビックリして手を引っ込めたが、祖母の目は温かかった。 次はいつ会えるか分からない。これが最初で最後ということもあり得る。そう考えると、祖母は悔いを残したくなかったのだろう。 同じ時間と空間を共有し、そして肌が触れ合った曾祖母と曾孫。
我輩は、それがとても羨ましく思えた。

皆、玄関先に出て、祖母を車に乗せて見送った。
去っていく車の中の祖母は振り向かなかったが、腰を痛めているので振り向けなかったのは分かっている。その後ろ姿に、皆で手を振って見送った。

<別れ際>
MAMIYA RB67PRO-SD/50mm

「行っちゃったねぇ。」
叔母とヘナチョコは家に入った。我輩も豚児を抱えて家の中に入った。
「豚児、今日のことは忘れても、曾バアちゃんの顔を覚えていなくとも、ちゃんと写真は撮ったからな。いつかおまえが家族の絆を考える時が来た時に、この日のことを写真を見ながら話してやろう。」

その後、しばらくして我輩の母親が駅からタクシーで来た。そしてそのタクシーに乗って母方の祖父母の家に向かった。この日から2日間はそこで寝泊まりする予定。

到着すると、祖母が出迎えた。豚児にとってはもう一人の曾祖母である。
「よう来たねー!疲れちょろう?さ、はよう入り!」
相変わらずの大声で、こちらの言う言葉がすべてかき消される勢い。
猛暑だったためまず風呂で汗を流し、そして夕食時には、祖母が作ったバーチャン料理が出た。あまりに大量にあるため、食べきれない。
食後のデザートも大量で、瓜やスイカや巨峰などが出てきた。豚児はスイカやブドウが大好きであるから、「ブドー、ブドー!スイカー!」と大騒ぎだった。

1ヶ月前から祖父母の写真を見せて慣らしていたせいか、豚児は最初から人見知りしなかった。特に曾祖父は写真とそのままだったようで気になるらしく、「ひいじいちゃん」と呼びながら顔を見に行ったりした。

<"ひいじいちゃん"と呼びかけている豚児>
MAMIYA RB67PRO-SD/50mm

しかし、そうやって家の中を行ったり来たりしているうち、突然豚児が「痛い痛い〜!」と泣き始めた。
「またか」
いつもは何でもないことでも「痛い」を連発するので放っておいたのだが、やけに真に迫っているので念のため皆が駆け寄ると、廊下を仕切る扉と壁との隙間に親指以外の4本指が挟まり取れなくなっていた。見ると、かなりキツく挟まっている。
それを見て、一瞬血の気が引いたが、床の間にある模造刀を持ってきてもらい、それを隙間に突っ込んでテコの要領でゆっくりと扉を開けた(本当は隙間を広げるつもりだったのだが、扉が開いてくれたので指が抜けた)。

指を見ると少し赤くなっていたが、骨に異常は無さそうだった。指を握ってみてもあまり痛がらない。豚児は泣き疲れたのかそのまま眠ってしまった。

その晩、我輩はそれまで撮ったビデオをパソコンに取り込み編集した。とりあえず、1日分のAVIファイルが出来上がった。


●4日目(8月10日)−源じいの森−

この日は、近くにある「源じいの森」という場所に遊びに行くことにしていた。そこにはキャンプ場と温泉があり、豚児に夏休み的自然に触れさせようと考えたのだ。

しかしその前に寄りたい場所があった。
それは、この町の歴史資料館。
そこでは、我輩が小学生の時に担任だったN先生が館長を務めている。N先生は、我輩の母親と叔母も教わっており、この日は母親も一緒に行くことになった。

暑い中、歴史資料館へ歩いて行くと、館内は広く涼しかった。
すぐさま係員が近付いてきた。
「常設展示ではなく特別展示のほうですか?そちらでしたら入場料は必要ありませんが・・・。」
我々は展示には興味が無かったため、その言葉を遮った。
「N館長はいらっしゃいます?」
「・・・え?N館長はかなり前に辞めておりますが・・・。」
「ありゃー、そうなんですか。」
皆で顔を見合わせて頭を掻いた。

仕方無いのでそこからタクシーを呼んで平成筑豊鉄道の新豊津駅まで出た。そこから源じいの森駅まで行けば良い。
時刻表では1時間に1本の運行となっている。
無人の駅に設置してある整理券を取り、10分ほど待ってやってきたワンマン気動車(1両編成)に乗った。
運転台横には、バスのものと同じ料金箱があり、降りる時に整理券と一緒に料金を入れる仕組み。

源じいの森駅に着くと、料金を払って降りた。その時に運転手から乗車証明書をもらった。この証明書を提示すれば、温泉施設のほうで入場料が割り引かれるのだ。
我々はまず温泉に入ることにした。

<源じいの森温泉>
MAMIYA RB67PRO-SD/50mm

叔母から聞いていた話では、そこには家族風呂もあるのだが、いつもは混んでいるので予約が一杯で入れないと言う。
まあ、別に大浴場でも良い。むしろそのほうが温泉という気分も出る。
一応、念のためにカウンターで家族風呂に入れるか訊いてみたところ、この日は空いているようで大丈夫だったので1時間借りることにした。

家族風呂は野菜の名前が付いており、我々は「ピーマン」と名の付いた部屋に向かった。
そこはまるで旅館の一室のようになっており、テレビなどもあった。そして奥に風呂場があり、そこで温泉の湯を張り入るのである。

<家族風呂に着衣のまま入ろうとする豚児>
MAMIYA RB67PRO-SD/50mm

前の晩に豚児が指を挟んだこともあり、手を取って温泉の湯に浸けて少し揉んでみた。外見上は全く判らず背中にも登ってくるくらいであるから大丈夫だろう。
入浴後、時間が来るまでのんびりとして過ごした。

次に、食事をするために食堂へ行った。
そこではほとんど客がおらず、これまたのんびりと食事をした。

その後、大広間に移動し、クッションを枕にして寝そべってウトウトした。
大広間は天井が高く、そしてかなり涼しかった。
のんびりした時間がとてもリラックス出来た。

<涼しい大広間>
MAMIYA RB67PRO-SD/50mm

帰ろうとする途中、マッサージチェアの部屋があったため、そこに寄った。
ここでもしばらく過ごしたが、ヘナチョコに抱かれている豚児が窓を指さして「虫!虫〜!」と叫んだ。見ると窓ガラスに大きなゴキブリが這っていた。
「アリさんー!」
「あれはアリじゃなくてゴキブリ!」
皆で大笑いした。

帰りは汗をかくのがイヤだったため、タクシーを呼んでもらおうとしたのだが、この近所にはタクシー会社が無いとのことで、再び平成筑豊鉄道に乗って帰ることになってしまった。
まったく、これだから田舎は・・・。

<サンダルを履かせて帰るところ>
MAMIYA RB67PRO-SD/50mm


(次回へ続く)