2000/04/05
OPEN

表紙

1.主旨と説明
2.用語集
3.基本操作法
4.我輩所有機
5.カメラ雑文
6.写真置き場
7.テーマ別写真
8.リンク
9.掲示板
10.アンケート
11.その他企画

12.カタログ Nikon
 F3 (F3H)
 FM3A
 FM2
 FM
 FE2
 FE
 FA
 FG
 FM10
 FE10
 F4
 F-401X

Canon
 AE-1P
 AE-1
 newF-1

PENTAX
 K1000
 KX
 KM
 LX
 MX
 MZ-5
 MZ-3
 MZ-M

OLYMPUS
 OM-3Ti
 OM-4Ti
 OM-2000

CONTAX
 ST
 RTS III
 Aria
 RX
 S2

MINOLTA
 X-700
 XD

RICOH
 XR-7M II
 XR-8SUPER

カメラ雑文

[478] 2004年03月18日(木)
「自分だけの視点を突き詰めろ(2)」


鞄や計量カップなどを特定の角度から撮影して人の顔に見立てた写真集を見たことがある。特に計量カップなどは、取っ手部分が鼻、リベットが目となり、まさに老人の顔のように見えた。
写真は断片を切り取り視点を固定するものだが、それらの写真は、この特性を利用して撮影者の視点を通し発見を伝えたものと言える。

ところで以前、我輩は雑文363「自分だけの視点を突き詰めろ」にて「視点が変わると風景が変わる」ということを書いた。しかしながら、このことについての誤解があるようで、ここで補足の意味を込めて書くことにする。

鞄や計量カップを人間の顔に見立てる写真は、写真が人に見せるための表現であることを意識せずにはいられない。
これは、いわば面白さを表現するためのアイディアであり、人を楽しませたり驚かせたりするエンターテイメントの要素を持つ。商業的写真集としては、巧く出来ていると思う。まさしく"表現"と呼ぶにふさわしい。

ところが趣味の写真として撮ったのであれば、その面白さはすぐに終わる。
なぜなら、自分の発見したその顔の面白さは、発見した瞬間こそ最も強い。そのため、それを自分以外の者に見せ続けなければ、発見の新鮮さが維持出来ない。
表現としてではなく一個人の趣味で撮る写真としては表面上の面白さでしかなく、すぐに飽きてしまいそうな題材のように思える。短い間に撮り切るならばまだしも、もしテーマとして継続的に撮り続けるのであれば、ネタ切れの心配をせねばなるまい。

確かに、「形が似ている」という発見は、見方を変えることによって初めて見えてくるものも多い。
しかしそれが本当の自分だけの視点かと言えるのかは疑問である。それは単に"似たものに当てはめた"というだけであり、それによって今まで見てきた風景や世界がガラリと変わることが無い。

雑文363「自分だけの視点を突き詰めろ」では、網棚の風景に今まで見えていなかった世界を見た。それはつまり、無意識の世界が意識の世界へ浮上したということである。単純に別の角度から見たという意味ではない。世界そのものが広がった(逆に、今までの物の見方が狭かったとも言える)。

ここでは、雑文363とはまた別の例を挙げてみる。
ある日、電車に乗って何気なく町並みを眺めていると、ふと、高架から見下ろしたビルの屋上にある給水塔に気付いた。
「ふーん、給水塔もジックリ見ると不思議な構造物だな」と思った。あらためて見渡してみると、ほとんどのビルの屋上には給水塔が見えていた。
給水塔はそれぞれ似たような形であるが、微妙に個性がある。数本の脚で立っているものもあれば、棟の上に据えられているものもある。見慣れたいつもの風景ではあるが、見る目が変わるとなかなか興味深い風景に思えた。

給水塔を専門に製作している工場もあるのだろうか? どんな人間が関わっているのだろう? そしてその市場規模はどんなものだろう? 関連産業は?
我輩は色々と想像を巡らせた。そして、今まで我輩の中には存在しなかった世界が増えたように感じた。そして給水塔に関わる人間たちの姿が浮かんできた。それは単なる空想ではなく、必ず存在するはずの人間たちである。

たった数分前まで、我輩は給水塔を意識しない世界にいた。
自分自身の想い描く世界は、目に映る範囲内で現実の世界を単純化したもの。現実の世界では、今この瞬間、交通事故で亡くなる人もいるだろう。今この瞬間、生まれる命もあるだろう。他国に目を向けると、飢餓に苦しむ地域もあれば、内戦やテロの起こる地域もある。
もちろんそういうことは頭では解っている。しかし日常生活の中でそれを意識することは無い。意識しないということは、その人間にとって"存在しない"ということである。
もし何か一つでも現実の世界の事柄を実感を以て感ずることが出来るならば、その人間の世界は広がる。今まで見てきた過去の風景もガラリと変わる。

人間がどのように理解しようと、現実の世界は変わることなく有り続ける。
しかし人間の脳内で再構築された世界は、人間の意識によって大きく変わる。自分が変われば、世界が変わる。
この発見の積み重ねこそが、自分を知るための追求に繋がる。

意識を持って世界を見る。それが、「自分だけの視点」である。
我輩の場合、もし機会があれば全国各地の給水塔を撮り歩くのも面白いと思った。そんな写真は他人には理解出来ぬだろうが、我輩の視点を突き詰めるならば、それは価値あるものだと考える。

視点は人それぞれに違うため、世界の広がりは他者とは共有出来ない。そのため、自分自身を追求しても他者からの評価は期待出来ない。評価されるとしても、自分の死後に時代が変わった頃になるであろう。

つまらない写真(視点)だと言われても、「そのつまらなさが自分自身である」と言えればそれでよし。