2000/04/05
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表紙

1.主旨と説明
2.用語集
3.基本操作法
4.我輩所有機
5.カメラ雑文
6.写真置き場
7.テーマ別写真
8.リンク
9.掲示板
10.アンケート
11.その他企画

12.カタログ Nikon
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カメラ雑文

[443] 2003年09月12日(金)
「死ぬ前にやっておくこと」

我輩は、職場を転々と変えて現在に至っているのだが(また来月にも別会社へ出向となる)、我輩が比較的長く在籍した部署にY氏がいた。彼は我輩と同い年であるのだが、会社員としては1年先輩である。

Y氏は小柄ながらも少し気難しいタイプで、短い会話の中でも強いプライドを感じさせる。
そのため我輩などは、Y氏と積極的に話をしようとは思わなかったのだが、それでも業務上の相談には何度かY氏を頼ったこともあり、少なくとも"悪い人間"という印象は持っていなかった。いや寧ろ、技術面では尊敬していた。

現在は互いに同じ品川のビルの別フロアで勤務しているのであるが、たまに社内ではY氏とすれ違うこともあり、それほど疎遠という気持ちは無い。


ところで今日、9月12日の朝、我輩の上司であるI課長殿が遅れて来た。どうやら、山手線上野駅で人身事故があり、その影響を受けたらしい。実は我輩も上野駅を経由するため、遅刻しても不思議ではない状況だった。
情報によれば、電車内で痴漢として取り押さえられた男が途中で逃げ出し、ホームから飛び降りて線路を横切ろうとしたところを電車にはねられたと言う。
「人身事故」という言葉には慣れてはいるものの、事故の詳細を聞くと、その光景が浮かんでくるようである。
それにしても縁起の悪い朝の始まりであった。

遅れてきた課長殿は、次長殿と何やら打ち合わせを始めた。それは、いつもの職場の風景としては見慣れたものであり、我輩は特に気にすることも無かった。単に、我輩は電話番として課長殿の動向を確認しただけである。
しかしこの日、打ち合わせを終えた課長殿がフロアにいる全員を集めた。連絡事項があると言う。
かしこまった様子に、少し緊張を感じた。

「皆に伝えることがあります。実は、Yさんがお亡くなりになりました。」
我輩は、言っている意味が解らなかった。Yさんと言っても社内には同じ姓の人物は2人いる。いや、派遣社員やアルバイトの中にも同じ姓がいるかも知れない。一体、誰のことだ・・・?
しかし、亡くなったというのであるから、ある程度の高齢の人物であろう。我輩の知らぬYさんなのか。

その時、我輩の隣の者が我輩に小さな声で言った。
「Yさんって、小柄なほうの人だよね?」
「えっ?そんなまさか!」
だが、そのまさかであった。

「Y氏が亡くなっただと? どういうことだ・・・?」
Y氏の顔がブワッと脳裏に浮かんだ。生々しい存在感。ウソとしか思えない。階段を下りていけば、いつものようにパソコンの前に座っているんじゃないのか?
たまに顔を見掛ける人物が、今この時間には生きていないとは・・・。

続けて課長殿は、誰を見るともなくこう言った。
「Yさんは、自殺だったそうです。」
皆、顔を見合わせた。我輩は、口が少し開いた。
Y氏が死んだことすらすぐに受け入れられないことなのだが、自殺などとは、我輩の実感に到達するにはあまりに衝撃的であった。
「自宅で自殺しているところを、上司に発見されたということです。自殺する前に誰かに相談出来れば良かったんですが・・・、もし皆さんも何か悩みがあったら、上司なり、周囲の誰かに相談するようにして下さい。」

課長殿の話の後、我輩は近くの者たちとY氏の自殺について話をしたが、それらの情報によれば、Y氏の周りでは色々とあったようだった。
その後、皆はいつものように仕事に戻った。それでも我輩は、Y氏についてずっと考えていた。今日はたまたま最高に忙しい日ではあったが、Y氏の自殺のことが頭から離れなかった。
なぜ自ら死ぬのだ? 死とは、元の世界に戻れない行為だぞ、行ったきり帰って来れないんだぞ!

一般には「死とは、無に帰すこと」と考えられている。
死ねば、その瞬間に意識は消滅し、夢すら見ない永遠の眠りの中に落ちてしまう。だからこそ、生きることの苦痛から逃れようとするために死を選ぶ者が後を絶たない。
「無に帰せば、楽になれる。」
・・・本当にそうであれば良いが。

我輩は、自殺について正反対の場所にいる。
思春期には精神的に不安定な時期も通過したが、現在は強固な自我を築いており、どんなに苦しかろうとも、どんな辱めを受けようとも、絶対に自ら死を選ぶことはない。最後の最後には自分が勝つのだと信じて生きている。今は負けたとしても、最後は絶対に自分が勝つ。
我輩は、最後の勝利を得るために命を賭けることがあろうとも、負けを認めたような死は選択しない。つまり、自殺とは我輩のプライドに最もそぐわない行為である。
逃げるために死ぬより、闘って死ぬならば本望。

それに加えて、我輩には大きな心の支えがある。
それは、趣味。
我輩には幾つもの趣味があるが、カメラの趣味はかなり大きなウェイトを占める。世界の終わりが来たとしても、人類最後の目撃者たらんと非常袋にカメラとフィルムを常備しているほど。
何より、「死ぬ前にこのカメラを使わねば、死ぬ前にこの写真を撮らねば、死んでも死に切れぬ。」と思わせるほど、生きることの動機を持っている。死ぬ前にやっておくことばかりで、全く自殺のほうには辿り着かない。
要するに、未練や執着が強いのだ。

趣味をやっていると、それを通じてやりたいことや知りたいことが多く発生する。我輩などは1000年でも2000年でも生きたいくらい。
自殺など、その後でなければダメだ。

カメラ・写真は、趣味としては非常に深く突き詰めることが出来る。自殺防止には最適な趣味と言えよう。
趣味無き者には、死ぬ前にやっておくことを、今から増やしておくことを強く勧める。