2000/04/05
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表紙

1.主旨と説明
2.用語集
3.基本操作法
4.我輩所有機
5.カメラ雑文
6.写真置き場
7.テーマ別写真
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9.掲示板
10.アンケート
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12.カタログ Nikon
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カメラ雑文

[429] 2003年06月10日(火)
「廃線撮り」

10年ほど前、大学時代の友人「ヤス」が東京に来た。
ヤスの勤める会社が晴海のビジネスショーに出展するとのことで、ヤスはその説明員であった。

我輩はヤスに会うため会場に出向いた。
久しぶりに会ったヤスは昔と変わらず、まるで大学時代に戻ったような気持ちになった。
しかしヤスは説明員であるために長話しも出来ず、ヤスの仕事が終わった後に近くの豊洲駅で待ち合わせをして一緒に食事でもしようということになった。

我輩は会場を一巡りし、適当に豊洲駅まで行った。
時計を見ると待ち合わせまでかなり時間がある。仕方なく、そこら辺を散歩してみることにした。
海の匂いがする方向に進んでいくと、運河が見えてきた。工場や団地も見えた。そのまま進むと、団地と団地の間に線路が見えた。よく見ると、それは途中で途切れており雑草も生い茂っている。廃線らしい。
その線路は道路のために幾つも途切れており、その途切れた線路の先を追いかけ続きを見付けて時間を潰した・・・。


我輩の感ずる廃線の魅力とは、想像力を刺激するということに尽きる。
豊洲の廃線の場合、我輩の見た線路は途切れ途切れになっていたが、最初からあのような状態であるはずがない。我輩は遺された線路の断片から過去に存在したであろう完全な姿を想像する。それはあたかも、地層から出土する化石の断片から、太古の生物を想い描くことに似る。

しかしながら、廃線の跡というのは一瞬の風景である。時間と共に風化し土や草に埋もれる。完全に埋もれてしまえば、もはや想像の手掛かりすら無くなる。現状を保存したくとも、自分はその施設や土地の管理者ではないし、もし仮にそうであったとしても旧いものを遺し維持する財力は無い。
我輩の立場として現状を固定するには、取りうる手段は写真以外に無い。

我輩が写真を撮るようになった動機は、「光景を時間をかけてゆっくり観る」ということと、「光景を永く保存する」ということである。このことは、以前から何度も雑文にて書いている。
廃線を撮影したいと思うのも、この2つの動機が強く働いているからである。

廃線については幾つか出版物がある。あるいはインターネット上でも検索すれば廃線に関するサイトが幾つも見付かる。
活動を停止した被写体を撮った写真は、どうしても似たような構図になってしまのであるから、我輩がわざわざその場所に行って同じ写真を撮る必要も無い。

しかしながら、出版物は頁数が限られており、目的の物件がたった1ページしかないという場合もある。文章が多いと掲載写真も小さくなりがち。カラー刷りでない場合はもっと情報量がスポイルされる。
インターネットにしても、ページ数の制限が無いため写真点数は多いものの、写真のサイズが小さく情報量が少ない。

「光景を永く保存する」ためには、自分で撮影せずとも他人の撮った写真が手に入ればそれで良い。だが「光景を時間をかけてゆっくり観る」ためには、ある程度の情報量が必要である。他人の撮影した写真では、それが不足である。
同じ構図であろうとも、やはり写真を観るためには自分で撮る以外無い。

豊洲の廃線(かつては貨物用)