2000/04/05
OPEN

表紙

1.主旨と説明
2.用語集
3.基本操作法
4.我輩所有機
5.カメラ雑文
6.写真置き場
7.テーマ別写真
8.リンク
9.掲示板
10.アンケート
11.その他企画

12.カタログ Nikon
 F3 (F3H)
 FM3A
 FM2
 FM
 FE2
 FE
 FA
 FG
 FM10
 FE10
 F4
 F-401X

Canon
 AE-1P
 AE-1
 newF-1

PENTAX
 K1000
 KX
 KM
 LX
 MX
 MZ-5
 MZ-3
 MZ-M

OLYMPUS
 OM-3Ti
 OM-4Ti
 OM-2000

CONTAX
 ST
 RTS III
 Aria
 RX
 S2

MINOLTA
 X-700
 XD

RICOH
 XR-7M II
 XR-8SUPER

カメラ雑文

[415] 2003年04月11日(金)
「死亡事故」

去年12月9日午前1時15分頃、我輩の近所で死亡事故が起きた。酒気帯び運転の車に歩行者5人が次々とはねられ、5人が全員とも死亡したのだ。現場にブレーキ痕は無く、被害者の身体は70メートルほども飛ばされた。
パチンコ店店員和島豊が酒を飲んだ帰りに車を運転し、途中で眠り込んでアクセルをベタ踏みした結果の事故であった。
目撃者によると、事故直後、和島容疑者は逃走しようとしてエンストした車の再スタートを試みたが、車前部の破損が激しく果たせなかったという。
5人の被害者の中には、我輩と同じ職場の人間がご近所付き合いしていた人も含まれていた。場所と人が近いだけに、どうしても他人事とは思えない。


世の中には自分勝手な無謀運転をする馬鹿ドライバーは数多い。「信号が黄色ならば進め、赤ならば注意して進め」などというふざけた行為が日常的になっている現状では、交通事故による死者を減らすことなど不可能に近い。
「今まで事故を起こさなかったんだから大丈夫(これからも事故は起きない)」などと非科学的なことを言う者すらいる。

人間とは、愚かな動物である。
他人の経験を自分のものとせず、同じような過ちを人を代え何度も繰り返す。交通死亡事故も、自分が起こして初めて後悔する。
問題は、「事後に反省したところで何の意味も無い」という点。
100人のドライバー全員が日頃の無謀運転について反省するためには、100人全員が死亡事故を起こさねばならなくなる。自分が体験するまで死亡事故の悲惨さが解らないのだからそうなるしかない。

もしそれが本当ならば、例えば戦争の悲惨さなど次の世代へ伝えていくことも出来まい。戦争を体験した世代がいなくなれば、再び戦争を体験して悲惨さを学ばねばならなくなる。
自分自身の体験でしか学べない、それは文化の下等性を示す一つの指標である。

なぜドライバーという馬鹿共は、死亡事故を起こす前にその悲惨さを知ることが出来ないのか。その原因のひとつは、死亡事故現場の惨状を想像出来ないからだと我輩は考える。
ニュースで聞く「死亡」という文字。そこにどんな地獄絵図が展開されているかなど、思いもよらないだろう。ましてや、それが次に我が身に降りかかる事かも知れないなどとは考えない。

この時期、特集番組が多く、救急医療密着系や犯罪捜査系の特番を目にする。その中で、惨(むご)たらしい現場や死体などの映像は全てに強烈なモザイク処理がかかっている。
確かに、老若男女誰もが何気なく見るテレビでは遺体の映像はタブーである。心の準備が出来ていない状態でそのような映像を見せられてはたまらない。最悪、チャンネルを変えたらその映像がいきなり目に飛び込んでくることも考えられる。

だが書籍では、読む側が意志を以て本を選び目を通す。不快な頁があれば、すぐに閉じれば良い。一昔前の写真週刊誌などは、興味本位的な面も強かったが遺体写真など無修正で載っていたものだが。

去年6月13日、女子中学生2人が在韓米軍の装甲車に轢かれ死亡した事件があった。
報道で聞く限りでは、他の交通事故や殺人事件のニュースに紛れてあまり印象が残らなかった。
だが、先月号の「軍事研究」という雑誌を手に取り驚いた。轢死した女子中学生の遺体が写真掲載されているのである。
記事はモノクロ紙面であったが、写真のオリジナルはカラーであるという。
そして、その写真を詳細に説明する文章によって自分自身もその写真をカラーで見るような気持ちになった。
事故を起こした装甲車は、我輩の予想に反し重厚なキャタピラー式で、車重も相当なものに思える。そして、2人の身体は潰され、頭からは脳がはみ出し路面にその塊が落ちていた。

不覚にも我輩は、この写真を見て初めてこの事故の惨さを実感した。


我輩が生まれて初めて遺体の写真を目にしたのは、1985年に墜落した日航ジャンボ機の事故の報道だった。
地面から突き出た足、煙の燻る人形(ひとがた)の炭、ちぎれた女性の腕、機体の裂け目から出た血に濡れた髪の毛・・・。
写真週刊誌に掲載されたその悲惨な光景は、まさに想像を絶する地獄絵図そのもの。

他にも、外傷の見られない綺麗な状態の遺体写真もあり、「ちょっと前は生きた人間であった」ということを感じ、血みどろの遺体よりも却ってショックであったことを想い出す。
もしも、文字だけで事故の報道に触れたならば、我輩の想像力が及ばぬために事故の悲惨さは十分に理解出来なかったろう。

ただしその事故以後、同様な航空機墜落事故が起こってもあまり遺体映像が掲載されることがなくなってしまった。事故を伝えるのは解説文字と遠巻きに見た事故現場写真のみ。
だが我輩は、報道される事故の経緯や死者数などから、事故現場の様子を想像する。文字だけで伝えられる報道であろうとも、日航機墜落事故の時の写真が我輩の想像のディテールを補い、他の航空機墜落事故の報道にも目の前でその現場を見る。


もっとも、興味本位で遺体の写真を掲載したり見ることは不謹慎ではある。遺族への配慮も必要になる。自分の愛する人が殺され、その遺体が公衆に晒されるのは許し難いことだろう。
だが、事件・事故の本当の姿を知り、少しでも自分の行為の危険性を認識し、再発を防ぐように繋がればと思う。可能な範囲での紙面掲載は必要ではないか?
そういったことが現在では難しいのであれば、例えば免許センターの講習の中だけでもそういう写真を見せてやれないのか。免許証の書換えに来た者たちに、「目を逸らすな、おまえたちが一瞬でも気を抜けば、このような結果が待っているぞ」と脅してやってくれ。

死亡事故を起こせばどんなことになるのか。本当にそれを知る者は少ない。
サンダルを履くかの如く気軽に車を運転していた者が、事故死した遺体の写真を目にすれば、自分が当事者になるという可能性を少しは認識し、気を引き締めてハンドルを握るかも知れない。100人のドライバーのうち1人でもそうなれば、現状も変わろう。

ドライバーの全てが死亡事故の経験を積む前に、写真の伝える衝撃によって1つの経験を共有する・・・。馬鹿共にそんな期待をするのは、甘いだろうか?



=交通事故関連リンク=
親や子供や兄弟を突然失った苦しみが想像出来るか?
飲酒運転防止のぺ−ジYanagihara's Home Page 北海道交通事故被害者の会TAV 交通死被害者の会交通死、重度後遺症被害者の告発交通死−遺された親の叫び全国交通事故遺族の会菜摘へ天国のみなみへ隼ちゃんのホームページ森にかえったしな乃真実を-僕の声をきいて-Rei19大事なゆうすけへ交通教育研究会隠された真実-その夜、兄になにが起こったのか-クルマ社会を問い直す会